45話 グレン 三
村が視界に入ってきた頃、漸く、雨も小降りになってきた。
随分と時間が掛かってしまったように感じる。
無理をした足が痛む。
休んでいる暇はない。すぐに馬車を借りて、引き返さなければならない。
自分を奮い立たせる。
直接、村長の元へと交渉に向かった。
交渉というほどでもなかった。村長は僕を覚えていた。
村長は快く、馬車を貸してくれた。どんなに感謝してもし足りないほどだ。
今日中に返すことを条件に、1頭立ての簡素な幌馬車を借りることができた。
貨物用の為、椅子はない。また、御者は頼めなかった為、僕がしなくてはならない。御者の訓練を受けていてよかったと心から思う。
久しぶりの為、心配したが、走らせることはできた。大人しく、よく慣らされた馬だ。後は車輪が泥濘に嵌まらないよう、注意しなければならない。
急がなくてはいけないが、焦ってはいけない。
イネスとミアとグレンの姿を見つけた時は、どれほど安堵したかわからない。
グレンは気を失ったままのようだが、イネス達の様子を見るに大丈夫だと思えた。
魔法の火を出し、暖を取っていた。
「コーディ、グレンは無事よ。中々、頑丈なのよ」
「ああ、それより、グレンを運ぶ。そして、すぐに出発する」
イネスとミアの手も借り、グレンを馬車に乗せた。
荷台にイネスとミア、そして、グレン。御者は僕が務める。
クッションなどあるわけもなく、多少の揺れは覚悟してもらわなければならない。
急ぎ、村へと戻った。
村長が出迎えてくれ、さらに、家に泊めてもらえたのだ。
やっと落ち着けた。
グレンとは同じ部屋で、ベッドの上には、まだ目を覚まさないグレンが眠っている。
グレンには特に外傷はなく、熱があるわけでもない。
おそらく、疲労ではないかと思う。村に医師はいない為、正確な診断はできない。
今はただ、ゆっくり休ませるしかない。
村の中ではおそらく一番大きな家ではあるが、簡素な造りの家だ。大きいだけで、他の家々と基本的には変わらない。
装飾の類はなく、必要最低限の物がある程度だった。
小さな部屋にはベッドが2つあるだけだ。
グレンはまた、文句を言うだろうか?
ぼんやりと考えていた。
僕は熟睡してしまっていたらしい。窓から差し込む朝日に目を覚ました。
いつもであれば、もっと前に起きていた。
急いで、グレンの眠っているベッドに顔を向ける。
だが、そこにグレンの姿は見られなかった。
えっ、と思わず声が漏れてしまう。
まさか、昨日の今日で起き上がれるとは思っていなかった。
グレンの剣もなくなっている。
僕は立て掛けていた自分の剣を掴み、部屋を飛び出した。
家の中にはおらず、イネスにグレンのことを伝えると、僕は外に出た。
昨日の雨が嘘のような晴天で、日の光が眩しい。
もう、グレンがこの村を出てしまったのではないかと思うと気が気ではない。
僕は村を駆けずり回った。小さな村なので、そんなに時間は掛からない。
村の中に見つからなければ、外を捜さなくてはならない。
途中、イネスも加わってくれた。ミアはまだ、眠っているそうだが、起こすのはかわいそうだ。疲れているに違いない。村の外に捜しに行くことになれば、起こす必要はあるが、それまでは寝かせてあげたい。
村の中に見つけることを諦めかけた時、ふと教会が目に入る。
中に入ってみるが、誰もいなかった。
あの村の教会に似ている。このくらいの村の教会は同じような造りとはなっているだろう。
そうは思うが、初めて人を殺してしまい、動揺していた自分に、感情を出し、激しく泣き、僕を頼ってきた彼女を想った。
彼女がいたからあの時の僕は前に進めた。
教会を出て、その裏に回る。教会の天井ほどの高さの木が二本植わっている。
その内の一本の木の陰に人がいた。正確には足の先だけが見えている。
木に近づき、その人物を確認する。
昨日の衰弱が見間違いかと疑いたくなるほど、顔色がいい。
「まだ、村にいてよかった」
「どうせ、行くところはない」
「そうか」
「……」
グレンとの間に沈黙が流れた。
「人を殺したというのは本当なのか?」
不躾な物言いでグレンが聞いてくる。
「ああ。メイを人攫いから助けた時だ」
「コーディ、お前は……俺を恨んでいるか? 俺を殺したいか?」
グレンの声は少しだけ震えていた。
「恨んでいない。恨む理由がない。グレン、このまま何もせず、腑抜けるというなら、僕は君のそんな姿は見たくない」
「俺がメイを殺したと思わないのか?」
グレンは落ち着いた声で問いかけてきた。
「僕は見ていた。君はメイを助けようとしていた。勿論、本当にメイを盾にして助かったのなら、僕は許さない」
ふんっと、グレンがそっぽを向く。いじけた子供のようだ。
あの時、イネスからしたら、僕がそうだっただろう。
「行くところがないなら、僕達に協力してほしい。メイは必ず生きている。魔王の元から助け出したい」
「それこそ、自殺行為じゃないのか?」
「反論はできない。だが、諦めきれない」
「論理的じゃないな。具体的な計画も方法もないのだろう?」
「その通りだ。だから、困っている。人手がいる」
「俺が拒否したら?」
「生き恥を晒すぐらいなら、殺すとミアが言っていたな。生贄にもなれず、おめおめと戻ってきた僕達は正にそうだろう。剣を取れ。僕に勝てれば、好きにしていい。負ければ、協力してもらう。それに、僕達はまだ、身分を剥奪されたわけではない。意味はわかっているだろう?」
「お前にしては、嫌な言い方だな」
「君に言われたくないな」
「いいだろう。受けて立つ」
グレンが剣を抜く。
場所を変えようと思ったが、そんな雰囲気ではない。
僕も剣を抜く。
グレンとはよく手合わせをしていた。実力はほぼ均衡。
だが、今日は絶対に負けられない。
特に開始の合図はない。互いに動いた時からだ。
長閑な村の中に、剣を打ち合う音が響く。この不釣り合いな音は案外よく聞こえる。
村人が何事かと様子を見に来る。
それに混じり、イネスとミアの姿が見えた。
その後は、グレンに集中し、周りのことは一切、遮断した。
一歩も引かない剣戟の末、僅かなグレンの癖をつき、力強く押し込んだ剣がグレンの剣を弾いた。
「今回は僕の勝ちだな。約束通り、協力してもらう」
僕はそう宣言した。
クソッと、グレンは投げ遣りに零した。
「協力してやる」
そう言い放つと、グレンは剣を鞘に納め、どしどしと不機嫌そうに村長の家の方へと歩いて行った。
軍人さんはすごいとか、集まっていた村人が口々に言っているのが聞こえる。
僕達は軍人ではないのだが、と思うがわざわざ否定することもない。この村には時折、軍人が滞在することがあると村長から聞いていたので、そのせいだろう。
以前に、軍人に魔獣を退治してもらったそうで、軍人に対して、村人は好意的であるそうだ。
規律もしっかりしているところを見ると、どうして左遷されたのかと思うほど、あの長官は有能だ。
軍人に思われている以上、僕達で評価を下げるわけにはいかない。
「ご迷惑をお掛けし、申し訳ございません」
僕は村人に頭を下げた。
村人は、構わないと言い、仕事の為に散っていった。
「グレンも加わるのね。グレンは平民として生きていけるのかしら。ドレイトン家には戻れないでしょう。人のことは言えないのだけれど。贅沢はできないわよ」
言葉とは裏腹に、イネスは珍しく穏やかな表情をしていた。
その日は村に滞在し、明日出発することにした。
着ていた服も乾いていない。今は借りた村人の服を着ている。グレンやイネスもだ。二人を見ると、どうしてもまだ、違和感が拭えない。
僕はその後、村の仕事を手伝った。
荷物運びに、初めて、農作業もした。あまり役に立ったとは言えないかもしれないが。
そのまま何事もなく、その日を終えるのだと思っていた矢先、村には衝撃的な事件の報がもたらされた。




