44話 グレン 二
「治癒術師のメイは必ず、生きている。だから、もう一度、僕達と共に――」
「行かない」
呟くような小さな低い声がした。雨音にかき消されてしまいそうな声だった。
「わかった。僕達に協力しなくていい。だが、街までは行ってもらう」
「放せ。お前達と行く気はない」
「僕を振り切る力もないのに? 勇者の役目も果たせず、こんなところで死ぬ気か?」
僕の頭に助けられなかった女性の姿が浮かんだ。名前も知らない女性だった。墓には何も刻まれなかった。
そして、僕が手に掛けた男。僕は貴族で、あの男は犯罪者だった。僕には何のお咎めもなかった。むしろ、感謝された。
それでも、人殺しには違いない。
必死に考えないようにした。忘れようとした。
それはできなかった。今でも覚えている。こうして、甦ってくる。
魔王の生贄となる使命も勿論あった。そこに、メイの存在も、共に生贄となるグレン、イネス、ミアの存在も。
死ぬわけにはいかないと思えた。
グレンにも、そう思えるものがあればいい。
傲慢かもしれない。
僕もイネスがいなければ、今頃は死んでいたかもしれない。
それでも、引くわけにはいかない。
「グレン、君はどこに向かっている? 誰かに慰めてほしいのか? ゼールス卿やアリシア嬢に?」
「……」
「言い返すこともできないのか?」
グレンに少しでも感情を出してほしいと煽ってみるが、何の効果もない。
こんなグレンを見るのは、初めてだった。いつも自信に満ち溢れていた。
グレンがこうなったのは、グレン自身がメイを殺したと思っているのではないかと推測する。
グレンがメイを突き飛ばし、グレンの目の前で、メイは魔王に体を貫かれたのだ。
グレンは人を殺したことなどない。
僕と同じなのではないかと思った。
こんな友を見ているのは辛い。
悲しんでいるかのように、雨は降り続いている。
グレンはおそらく、何も食べていない。ちゃんと眠れてもいない。それにこの雨だ。
衰弱して当然だ。何より、貴族であるグレンにはこんな環境は初めてのはずだ。
今のぼろぼろの汚れた布を纏って、ずぶ濡れの様は貴族には到底見えない。
「その様子ではこのまま行っても、誰にも知られず、朽ち果てるだけだ」
「……」
「わかった。僕がグレン、君をここで終わらせてやろう」
僕はゆっくりとした動作で剣を抜いた。
剣先をグレンに向ける。
グレンが一瞬、怯んだように見えた。
「僕は既に人を殺したことがある」
淡々と告げた。
あの時のことをグレンやイネスやミアには話していない。
「死にたくないなら、剣を抜け」
グレンと共にいるときは、よくグレンと手合わせしていた。
僕達の剣の腕は拮抗していた。
今のグレンでは、勝負にならないのは明白だった。
こんな方法は間違っていると思う。
だが、他に見つからないのだ。
少しでも、生きる意志を見せてほしい。
僕は過去の自分を見るような情けない男を睨みつけた。
「僕は騎士を志していた。武器を持たない者を斬れない。やはり、命が惜しいか?」
僕は剣をグレンの鼻先に合わせた。
グレンが剣に手を掛ける。
グレンが今、何を考えているのか、僕にはわからない。ずっと友として傍にいたにもかかわらず。
「コーディ様! だめです! 生き恥を晒すぐらいなら、殺すなんて! ボクの父はよく言っていましたけど」
勢い込んだミアが僕とグレンの間に割り込んできた。
あまりに突然で、予想しておらず、呆気にとられた。
打って変わって、間抜けな顔をしていたかもしれない。
「ミア、いや、そんなつもりは……」
思わず、ミアに言い訳しようとしていた。
その時、グレンの体がぐらりと揺れ、そのまま、倒れた。
「! グレン!」
グレンを抱き起すと、すぐに呼吸を確かめた。
幸い、呼吸はある。まだ、生きている。
それでも、意識がなく、いい状態とは言えない。
「コーディ! グレンは大丈夫なの?」
イネスが駆け寄ってきた。
「生きてはいるが、早くこの先の村に運ばないといけない」
「そうね」
「イネス、ミアはここで待っていてほしい。僕が村に行って馬車を借りてくる。一度、訪れているから、何とかなると思う」
「わかったわ。その方が速いものね。後は任せて」
「頼む」
僕はグレンを木の下まで移動させてから、村へと駆け出した。




