4話 優しい村
道中、暗い表情をしていたが、それでも、村に着くと、全員の表情が和らいだように思う。
2人の女性達が親しい人達との再会を喜んでいた。
後の女性達はこの村の人ではないようだった。
あの死んでしまった女性もこの村の人ではないのだろう。
その様子を見ていたわたしに、村の女性が声を掛けてきた。
「今日は私のとこに泊まりなよ。今日はもうしっかり寝ることよ」
「あ、あの、でも……」
「後のことは任せとけばいいのよ。することがあっても、明日にする」
「でも、あの人が……」
わたしは、横たわったまま、動かない女性に視線を向けた。
「彼女は明日、村で埋葬するよ。立ち合いたいならそうするといいよ」
「あの人を知っているんですか?」
女性は首を振った。
「彼女とは親しかった?」
「いえ。一緒に捕まっていただけ。名前も知らないんです」
「そう。この村の人間じゃないし、この近くで見かけたこともないわ。時々、こういうことがあるしね。野垂れ死にとか」
「……」
「あなたは生きてるんだから。生きることを考えなさいよ。なんとしても、生き残るって」
わたしはただ、頷いた。
女性は満足したように微笑んで、
「ああ、あたしは、あいつの叔母のデリアよ」
最初に姿を見せた鍬を振り回した男を指さしていた。
「わたしは、メイです」
「メイ、ついてきて。あたしの家に案内するわ」
わたしは大人しくデリアについていった。
着いたデリアの家で、小さくはあったが、個室を使わせてもらえた。
部屋には簡素なベッドと机があった。
おそらく、元々は誰かの部屋だったのだろう。
お風呂はなかったので、体を拭き、デリアから借りた服を着た。
デリアは食事まで用意して、部屋に持って来てくれた。
言われた通り、早くにベッドに入った。
考えないといけないことは色々あった。
でも、今は何も考えたくなかった。
わたしは早い時間に目を覚ました。
昨日はすぐに寝入ってしまったらしい。
外はまだ薄暗い。
昨日はあれからどうなったのだろう。
あの場所に残った男達は戻ってきているのか。
亡くなった彼女は今、どこに?
わたしはそっと、部屋を出た。
まだ、誰も起きてはいないようだった。
わたしはそのまま外に出た。
家々の影が見えている。
ここは確かに村の中なのだとわかる。
昨日、馬車を下りた村の中央だと思われる場所に足を向けた。
足元は暗く、道は判然としない。
それでも、その場所に辿り着いた。
まだ、誰もいないのではないかと思われた場所に、1つの人影が見えた。
わたしの足音を聞きつけたのか、その人影が振り向く。
空は白んできており、その人影の顔は確認できた。
戻ってきていたんだ。
わたしは声を掛けるのを躊躇った。
「あなたは」
そこへ男の声が届く。
彼がわたしに近づいてくる。
「あ、あの」
わたしは彼が近づくのを阻止するように、手を前に出した。
「そ、その……彼女は、どこでしょうか」
「あ、ああ。そちらの中に」
彼は先導するように、指示した建物へと歩き出す。
彼が建物のドアを開ける。特に施錠はされていないらしい。
中は、教会に近い。宗教施設だと思われる。
そこに設えられている長椅子に彼女は寝かされていた。
大きな窓があるものの、まだ日の昇っていない状態では、室内は暗い。
彼女の輪郭が判別できる程度だった。
何の音もしない静けさの中、ただ、彼女を見ていた。
彼女の頬に触れると、その冷たさに恐ろしくなる。
夢でもなんでもなくて、逃れられない現実を目の当たりにして。
「助けられなくて、申し訳ない」
今まで沈黙していた男が声を詰まらせながら言った。
「いえ、あなたは悪くありません。それに、わたしは彼女と親しいわけではありません」
「……」
「ただ、わたしを助けなければ、この人は死なずに済んだ……」
「……」
「わたし、あんなふうに、人が殺されるところ、初めて見て、あんなに血が出て、赤くて、怖くて、何もできなくて」
妙に饒舌にわたしは話していた。
「僕もだ」
その言葉にわたしは彼を見た。
「僕は初めて人を殺した。必死で、気付いたら、僕はあの男に斬りかかっていた。情けない話だ。もっと冷静に努めなければならなかった」
窓を背に立つ彼のその表情はよくわからない。
わたしはどこか、剣を持つ彼にとって、あんなことは何でもないことなのかと思っていた。
もう慣れていることだと。
重苦しい沈黙があった。
それを破ったのは彼だった。
「もう忘れるといい」
彼はつぶやくように言った。
「――そう、ですね」
「家族の元へ送らせるようにします」
「――帰るところはありません」
さすがにもう、自分を誤魔化せない。
ここは、わたしの世界じゃない。
ここには、頼れるものが何もない。
先ほどより明るくなった室内で、彼の困ったような顔が見えた。
「あなたと一緒に、わたしを連れて行ってくれませんか」
わたしは彼にそう訴え掛けた。
卑怯だと思う。
彼の優しさに付け込んでいるようで、罪悪感はある。
それでも、わたしには、行くところがない。
「お願いします。わたしには、どこにも、頼る人がいません。もう、あなたしか」
畳みかけるように言った。
「……わかりました。僕は、この先の街へ向かいます。そこまで一緒に行きましょう」
「ありがとうございます」
自分でも、図々しいと思う。
わたしは頭を下げた。
彼がどんな表情をしているのか見たくなかった。
「僕がなんとかしましょう。安心してください」
そんなわたしに、彼の優しい言葉が響いた。
目から涙が零れてくる。
止めようと思っても、止められない。
口を手で覆っても、嗚咽が漏れる。
他人の前で泣いてしまうなんて信じられなかった。
こんな弱い自分を見せるなんて信じられなかった。
彼の困惑した表情が目に浮かぶようだった。
彼はこんなわたしに引いているかもしれない。
「僕がいます。大丈夫です」
彼はそう言うと、わたしを優しく労わる様に抱きしめた。
わたしは彼の胸に顔を埋めて、これまでため込んできたものを吐き出すように、盛大に泣いたのだった。
わたしが泣き止むまで、彼は非難したり、拒絶することはなかった。
出立は明日の朝だと告げて、彼は出ていった。
わたし、最低な女だ。
彼に甘えてしまった。しかも、彼の高そうな服に涙や鼻水を付けてしまったかもしれない。
……謝っておこう。
でも、わたしは、なんだか吹っ切れたような気がする。
もう、これ以上、恥は掻かないだろう。
そういえば、彼の名前も知らない。そのうち、聞いておかないと。
今日はデリアを手伝って、精一杯恩返しをしないといけない。
死んでしまった彼女にお別れをしないといけない。
わたしはこの建物を飛び出した。
眩しい光が赤く腫れた目に突き刺さる。まぶしくて、ひりひりする。
もうすっかり日が出てしまっている。
急いで、デリアの家に戻った。
「どこ、行ってたのよ。出ていったのかと思ったわ。心配したじゃない」
家に入ると、デリアがすぐに出迎えてくれた。
「ごめんなさい。もう、大丈夫です」
デリアはわたしの顔を繁々とみると、
「そうみたいね」
納得したように言った。
昼前に、死んだ彼女の埋葬が行われた。
村の墓所の端、参列者もまばらな中、簡単な弔いの言葉の後、彼女は埋められていった。
彼女の名前が刻まれることはない。誰も彼女の名前を知らないから。
彼女がいなければ、埋められるのはわたしだったかもしれない。
名前さえ知られず、ひっそりと。
悲しみや寂しさはある。それでも、薄情な気はするが、涙は出なかった。
わたしの隣にはデリアがいる。
デリアが付き添ってくれていた。
わたしは独りじゃないんだと思う。
遅れて、彼も姿を見せた。
その時、初めて、彼の姿をはっきりと見た気がした。
整った顔立ちに、肩までは届かないが長めの茶色の髪はわずかに波打っている。
今朝のこともあって、彼に声を掛けることはできなかったが。
あれだけ泣き喚いておいて、正直、声を掛けづらい。少し、時間がほしい。
それが通じたのか、彼からも声を掛けられなかった。
「行くわよ、メイ。あたし達はこれからも生きていかなきゃいけないんだから」
「――うん」
わたしは歩き出すデリアの後に続いた。
デリアは、大切な人を亡くしているのだと思う。
この墓所でその人も埋められていったのだろう。
わたしが使わせてもらった部屋はきっと、その人が使っていた。
でも、デリアはわたしをその人の代わりだとは思っていない。
デリアは強くて、素敵な女性だ。
翌朝、ベッドから中々出られなかった。
今日は、出発の日。
ベッドから出てしまうと、すぐに出発の時間になってしまう気がした。
「メイ! そろそろ、起きなさいよ! 置いていかれるわよ!」
デリアの溌溂とした声が響く。
出発してしまうともうこの声を聞くことはできない。
ほんのわずかな時間だけれど、わたしにとって、もうデリアは大切な人だ。
ずっと、ここに居たい。
ううん、それはできない。
これ以上、迷惑を掛けられないし、元の世界に戻れるのなら、その方法を探したい。
わたしは行かないといけない。
わたしはベッドから出ると、
「はい! 起きます!」
と返事を返し、すぐに着替えた。
昨日、洗濯しておいた制服だ。
「よし!」
気合を入れて、部屋を出た。
「ごめんなさい。寝坊しました」
デリアの笑顔が飛び込んでくる。
「もう、仕方ないわね。でも、今日は出発なんだから、しっかりしなさいよ」
「はーい」
二人で簡素な朝食を取った。
デリアと一緒にいるのは、これが最後かもしれない。
元の世界に戻ったとしたら、二度と会うことはできない。
そう考えると、何かがこみ上げるように感じた。
それから出発時間までは本当にあっという間だった。
広場で彼が待っていた。傍らには一頭の馬がいる。
「あ、あの、よろしくお願いします」
わたしはぺこっと彼に頭を下げた。
「メイをどうかよろしくお願いします」
デリアもまるでわたしの保護者のように言う。
「承知いたしました。お任せください」
彼が朗らかな笑みを浮かべて言う。
彼の笑顔を見るのは、初めてだった。
エメラルドのような緑の瞳がきらきらと光り、見惚れるほど美しかった。
「行きましょうか。名残惜しいとは思いますが」
「は、はい」
わたしは彼に答え、もう一度、デリアを見つめた。
「デリア、ありがとうございます」
「メイ、元気で。いつでも戻ってきていいから」
「はい!」
わたしは思わず、顔を綻ばせた。
デリアはわたしをぎゅっと抱き寄せてくれた。
「デリア」
「もう、出発しないと、明るいうちに着けないわね」
デリアはそう言うと、わたしをそっと離し、彼の方へとわたしの背中を押す。
彼は馬に跨り、わたしに手を伸ばす。
彼の手を取ると、彼がわたしを馬へと引き上げてくれた。
「気を付けて! メイ! しっかり生きるのよ!」
デリアの太陽のように明るい笑顔を焼き付けるように名残惜し気にわたしはデリアを見つめた。
「ありがとうございました。フォレストレイ様」
デリアの弟やリーシアさん、あの時助けに来てくれた人達や多くの村人が彼の見送りに集まっていた。
口々に感謝の言葉を述べる。
村人達からは見えていないが、彼は照れ臭そうにしていた。
彼は、馬を走らせた。
振り返ると、デリアが両手で大きく手を振っている。
そのデリアからどんどんと離れていく。
デリアも村人達も村も小さくなっていく。
やがて見えなくなる。
また、泣いてしまいそうだった。
わたしはぐっと我慢した。
きっと、これからも大変なことや辛いことがあるだろう。
せめて、旅立ちは笑顔でいたい。
わたしは、にっと笑顔を作った。
「どうかしましたか?」
ふいに後ろから声が掛かった。
そういえば、彼と二人きりだということに今になって思い至った。
「い、いいえ。何でもありません」
と、咄嗟に言ってしまった。ぴしゃりと拒絶するような物言いになっていたように思う。
本当は話すことはある。
昨日のことを誤っていないし、そもそもちゃんと助けてもらったお礼も言っていない。
名前も聞いていない。名乗ってすらいない。
被害者ぶって、これじゃあ、本当に最低な人間だ。
彼には、わたしを放り出す十分過ぎる権利がある。それに、わたしは何の文句も言えない。
自分自身に失望した。こんなにも醜い人間だと。
それに比べて、彼はまだ若そうなのに、おそらくわたしより少し年上ぐらいなのに、全く関係のない村の為に力を貸した。
あの人身売買の男達の引き渡し捕まっていた女性達の帰宅の手配や諸々の後始末までしていたそうだ。埋葬のときに、遅れたのもそのせいだと、デリアが言っていた。
とても立派だと思う。
わたしは話しかけるきっかけを逃したまま、ただ、馬の蹄の音を無心に聞いていた。