38話 宰相の依頼
ここ魔王城に来て、一か月が経過した頃、わたしは宰相に呼ばれた。
勉強も割と順調に進んでいる、と思う。
剣術は……どうだろう? 劇的に強くなったということはもちろんない。まだ、わたしのレベルではイネスに勝てるとも思えない。
ドレイトン先生の足元にも及ばない。ライナスやメルヴァイナに手合わせをお願いしたことがあったが、挫折したメルヴァイナにすら全く歯が立たない。元々の身体能力はどうしようもないが、技術も全然だと痛感した。まだ、ちょっとやっただけだ。それで強くなれるほど、魔王でも甘くない。
魔法は、相変わらずの治癒魔法だけだ。他の魔法は一切、使えない。こればかりは本当にどうしようもない。努力してもどうにもならない。
宰相に会う前にそんなことを考えていた。
宰相に聞かれる可能性もあったからだ。
宰相はわたしを試しているかもしれない。
ただ、嫌がらせなどはないし、無理難題を押し付けられることもない。剣術は……わたしが頼んだのだ。
部屋には、宰相が一人でいた。執務室と思われる部屋だ。机があり、書類などが置かれたままになっている。
ここには来たことがない。
わたしの他、ライナス達四人も一緒にいる。
宰相が何の用でわたし達を呼んだのかわからない。
非常に緊張する。何を言われるのか、気が気でない。手がすっかり汗ばんでいた。
宰相は机の前に立ち、わたし達を迎えた。
「魔王様、ご無沙汰しており、誠に申し訳ございません。本日はお願いがございます」
わたしは身構えた。一体何をお願いされるのだろうか。
「魔王様にはオリファルト王国にお出でになってください」
わたしは何を言われたか、一瞬わからなかった。
だって、それはーー
ここを出ていいってこと?
「ほ、本当に、王国へ、ですか?」
「はい、魔王様」
「行っていいんですか? わたしが魔王国を出ても?」
思わず、二度確認してしまった。
「もちろんでございます」
宰相はそう言うが、お願いというのが引っかかる。
「それで、わたしは何をすればいいんですか?」
「お願いというのは、魔王様と共にいた勇者達をもう一度、連れてきていただきたいのです。それに、こちらは魔王様の勉学の一環でもございます」
「彼らをどうするつもりなんでしょうか?」
わたしとしても、彼らにもう一度、会いたい。でも、彼らに危害が加えられるなら……
「殺したりするつもりはございません。ただ、少し、手違いがございまして。彼らに謝罪しなくてはなりません。その上で、王国に戻るか、魔王国に留まるか決めていただくつもりなのです」
宰相はわたしの思っていることなどわかっているかのように言う。
「それは本当なんですね?」
「はい、魔王様に誓って嘘は申しません」
「……わかりました。王国へ行きます」
わたしの答えはこれしかなかった。
コーディに、イネスに、ミアに、グレンに、会いたかったのは事実だ。
機会があれば、デリアにも、ちゃんとお礼を言いたい。
「宜しくお願い致します、魔王様。ライナス、メルヴァイナ、リーナ、ティム、同行を命じる」
ライナス達は即座に返答した。
魔王四天王(わたしが勝手に言っている)もついてきてくれるらしい。
正直、今は心強い。彼らは強い。何かあっても、何とかなるだろう。例えば、魔獣に襲われたり、人攫いに攫われそうになったりしたときに。
宰相は頷くと、
「王国には魔王国の民もおります。彼らは頼りになります。まずは、門の前にあります王国の監視施設の長官をお訪ねくださいませ。詳しくはライナスに申し伝えます」
あの施設の長官がまさかの魔王国のスパイ。
わたしはその長官に間違いなく会っている。ただ、どんな人物かまでは思い出せない。
この調子だと、王国の中枢にもスパイがいるのではないかと思える。
「出発は早い方がよろしいでしょう。明後日には、出発できるよう、準備を整えましょう」
そうして、わたしは王国へ戻れることになった。
二度と王国には戻れないと思っていたが、案外、早くに戻ることとなった。
というわけで、わたしは軽く浮かれていた。
色々な疑問を棚上げして。
翌日、明日出発だが、しっかりと剣術の稽古はある。
ドレイトン先生は既に、わたしが王国に向かうことを知っていた。
「私との稽古がないとはいえ、怠けることは許しませんから」
ドレイトン先生はいい笑顔で稽古の最後に付け加える。
ゴホールの授業は、午前中で終わりだ。
ゴホールにも既に明日の出発が伝えられていた。
だからか、今日は王国の話ばかりだった。
「お気を付けて、いってらっしゃいませ、魔王様」
最後に、優しい口調でそう言ってくれた。
午後は、特にすることがない。
荷物など、準備は既に整えてくれている。
「メイさま、お暇なのですか?」
メルヴァイナが明らかに退屈そうにしているわたしに話しかけてくる。
「特にすることもないので」
「ふふ。こちらを見てください、メイさま」
メルヴァイナはその手に、黒い服を持っていた。
黒い騎士の服だ。
「作ってみたのですよ。どうでしょうか? 暗黒騎士団の団服です」
メルヴァイナが得意気に言う。
確かにカッコいいデザインだ。わたしは好みだ。
「いいですね、メル姉。イメージにピッタリです」
「そうですか?」
メルヴァイナはうれしそうだ。
団服は2着ある。
その内の1着は少し小さめだ。
どう考えても、ライナスとティムに合うように作られている気がする。
メルヴァイナはじとっとライナスとティムを見ていた。
「断っておくが、私はそれを着る気はない」
ライナスは察して、メルヴァイナに釘を刺す。
「俺もだ!」
ティムもライナスに追随する。
「いいじゃない。二人とも意地悪なんだから」
メルヴァイナは頬を膨らませている。
といっても、彼らは魔王四天王であって、暗黒騎士は別だと思う。
「それより、考えなくていいのか? どうやって勇者を連れてくる? 縛って連行してくるか?」
ライナスがもっともな指摘をしてくる。
全く考えていなかった……
確かにそうだ。
魔王国に一緒に来てくださいとでも言うのだろうか?
それでついてきてくれるか……こないなぁ。
絶対に納得しない。特にグレンは。
じゃあ、ライナスが言うように、縛って連行?
それは、ちょっと、いくら何でも、ないと思う。
「納得できる理由がいる」
わたしは声に出して呟いていた。
「それでしたら、こういうのはどうでしょう? 私達は魔王国から逃げ出してきたけれど、仲間がまだ捕らえられているのです。ですから、仲間を逃がすことに協力してほしいと」
メルヴァイナがそう提案してくる。
悪い案ではないが……
「嘘がお嫌ですか? それでしたら、私が魔王だから、ついてこなければ、王国に魔獣を放つとでも言いますか? 殺さない程度に、多少、痛めつけて」
できれば、わたしが魔王だということは知られたくない。
「魔王と言うのは、ちょっと……彼らを傷付けるのもやめてほしいです」
「そうですねぇ……」
「わかりました。メル姉の最初の案でいきます。それと、わたし達が人間じゃないのもばれないようにしてください」
「はい、メイさま。では、勇者達を連れて来ましょう。ああ、楽しそうですね。私、魔王国から出るのは初めてなのですよ」
はしゃいでいるメルヴァイナには悪いが、わたしは気は進まない。これでは、勇者を罠に嵌めようとしている悪役のようだと思う。
それに、親切にしてくれた彼らに嘘を吐かなければならない。
彼らと会えることはうれしい。ただ、わたしはどうするのが正解なのかわからない。
そもそも、宰相のお願いを突っぱねればよかったのだろうか。
もやもやしたものを抱えながらも、明日、出発するのだ。




