36話 勝利?
庭園にはわたしを含めて四人だけだ。
その中で、ティムだけはいつもと様子が違う。
「……急に制御ができなくなった」
ティムは珍しく気落ちした様子だ。
今回のことは、ティムの闇魔法が暴走したというようなことだと思う。
それだけ自分の闇魔法には自信を持っていたのだろう。
「おそらく、メイさまの魔力に干渉を受けたのでしょう。歴代の魔王様の魔力も際限のないもののようですし。ティムが制御できないほどとなるとそれ以外にはないでしょうね」
メルヴァイナが説明してくれるが、納得はできない。
「わたしの魔力? でも、わたしは治癒魔法しか使えません」
「そうかもしれませんが、魔王様の魔力が高いのは事実です。いえ、私達とは比ぶべくもありませんが」
「そうですか……」
それは、わたしのせいということだろうか。
わたしがティムの闇魔法を暴走させ、自分でそれを打ち消したと、そういうことだろうか。
「大丈夫ですよ。わたしやライナスもいずれは変身能力を使いこなすことができるでしょう。メイさまもいずれ治癒魔法以外もできるようになりますよ」
もちろん、治癒魔法しか使えないというのも困ったものだけれど、いつ他の魔法も暴走させるかもしれないという方がより困ったことのような気がする。
「今、気にしても仕方ありませんよ、メイさま。それに、ティムも、いじけてないで、しっかりしなさいよ」
それはその通りだ。
それに、闇魔法や攻撃魔法はこの先、使うことがあるのかというほどにこの国は平和そうである。
「そうですね。ティムも気にしなくていいじゃない」
「あのなあ……誰のせいで……」
ティムが呆れたように言う。
すると、わたしはティムと共に、メルヴァイナに捕獲された。
「もう、二人とも、かわいいわぁ」
メルヴァイナが抱き締めてくる。
メルヴァイナは力が強い。逃れられるわけがなかった。
かくして、わたしはティムと同じ目にあったのだった。
彼女の愛情表現らしいが、何分、力が強すぎる。
メルヴァイナにかまわれているティムの辛さがわかった。
「ああ、失礼いたしました、メイさま」
ようやく、放してもらえたわたしは本気で骨が折れていないか心配になった。
「ライナスお兄様、お姉様方は仲が良くて羨ましいですね」
わたし達の様子を黙ってみていたリーナがライナスにすり寄る。
わたしはすぐにわかった。あれは裏リーナだ。まだ、裏リーナのままだ。
「……リーナ?」
ライナスは訝しげにリーナの名を呼ぶ。
ライナスは気付いてないのだろうか。あれが裏リーナだと。
そもそも、ライナスは裏リーナの存在に気付いているのだろうか。
「はい、リーナです。ライナスお兄様」
裏リーナはまるでライナスを誘惑するかのように微笑む。
これで誘惑に乗ったら、犯罪だと思う。
そんなことを思っていると、裏リーナはちらっとわたしを見て、にこっと意地の悪そうな笑みを見せた。
わたしは理解した。これは合図だと。
「どうされたのです? ライナスお兄様」
「い、いや、本当にリーナなのか……?」
ライナスからは戸惑った様子が伝わってくる。
ライナスは裏リーナの存在を知らないのだとわかる。
知らないなら、確かに戸惑うだろう。普段とあまりに違うから。
裏リーナはわたしにチャンスをくれたのだ。
裏リーナがライナスの気を引いてくれている。
「疑っているのですか? あんまりです」
裏リーナはライナスに縋り付き、悲しそうに目を伏せる。
なんとなく、メルヴァイナとリーナはやっぱり姉妹だと思ってしまう。
わたしはライナスに一撃を入れなければならない。
とにかく、もっとライナスに近づく必要がある。
「私、ライナスお兄様が好きです。いつも優しくしてくださって。ですが、ライナスお兄様は魔王様の方が好きなのでしょう?」
「いや、違う……」
ライナスは困ったように呟く。
ライナスはリーナに恋愛感情はないだろう。妹のように思っているのだと思う。
わたしとコーディのような関係だ。コーディは困っているわたしにとても親切にしてくれた。
コーディがわたしを妹のように思って、よくしてくれたのはよくわかる。
「ライナスはわたしが好きだから、意地悪するのね」
わたしはライナスの前に立ち、胸を張って言う。
「それはありえない」
そんなにすぐ否定されるとちょっと傷つく。
「本当ですか? ライナスお兄様」
裏リーナが可愛らしく、上目遣いで訴える。
「リーナ……君は本当にリーナなのか?」
「まだ、そのようなことを言うのですか? 私はリーナです」
「ええ、さすがにひどいわよ。どう見たって、リーナじゃない」
わたしは思わず、口を挟んでしまった。
「リーナは、このようなことはしない」
「このようなって?」
「……誘惑するようなことだ」
ライナスは言い淀む。
「そんなことをするリーナは嫌いってこと? リーナはリーナなのに」
「いや、そういうことでは……」
ライナスの態度は煮え切らず、イライラする。
「私がお嫌いですか?」
裏リーナが悲哀を湛えて言う。
「いや……」
ライナスが言葉に詰まる。
「やはり、嫌いなのですね?」
「……君がリーナなのか、はっきりしないだけだ」
「リーナでしょ。何言ってるのよ!」
「いや、どう見ても、私の知っているリーナではない……」
ライナスの口調は揺らいでいる。自信を持って言っているわけではない。
「じゃあ、彼女は誰だと言うの?」
「お前は、姿形が同じだからと、敵でも受け入れるのか!」
ライナスが一歩近づいた瞬間、わたしは彼を蹴り上げていた。
ライナスは避けるかと思った。
わたしは思い切り、彼の股間を蹴り上げてしまった。
ライナスの押し殺した呻き声の後、メルヴァイナの爆笑する声だけが響いた。
メルヴァイナは可笑しくて涙を流しながら、悶えている。
わたしはさすがに申し訳なさ過ぎて、笑えない。
裏リーナはにこやかに微笑んでいる。
ティムは顔を顰めていた。
この雰囲気をどうしたらいいのかと思う。
「というわけで、メイさまの勝利ですね」
唐突に、微妙にまだ笑いを堪えながら、メルヴァイナが言う。
もっとちゃんと勝ちたかった。
わたしではまともにやっても勝てないのは事実だった。
最後の方は、作戦とかじゃなく、単にイライラしていただけだ。
「いや、ちょっと待て」
若干、立ち直ったライナスは不服そうだ。
「あら、ちゃんとメイさまはあなたに一撃を入れたわよ。負けを認めるわよね?」
「……わかった」
「メイさまを魔王だと認めるわね?」
「……そういうことにする」
「まあ、いいわ」
「それよりーー」
ライナスは裏リーナを窺う。
「ふふ、私はもう一人のリーナです。私とは初めましてですね、ライナスお兄様、ティム」
裏リーナはにっこり笑う。
「もう一人ってなんだよ? 何人もいたのか?」
ティムがぶっきらぼうに尋ねる。
「リーナのもう一つの人格よ。この子もいい子なのよ。仲良くしてね」
「そうかよ」
ティムはそれだけで特に気にした様子はない。
「すまなかった、リーナ。ひどいことを言ってしまった」
ライナスはリーナには素直に謝罪した。
「気にしなくてかまいません、ライナスお兄様。私は何とも思っておりませんから」
裏リーナはそう言うが、今回のことで、裏リーナを傷付けてしまったのではないかということが気掛かりだ。
裏リーナはわたしの傍に来て、そっと囁く。
「役に立ちましたでしょう? 私も満足です。魔王様の勝利を祝福致します」
「リーナ、ありがとう」
わたしは感謝を伝えた。リーナとも、裏リーナとも、これからも仲良くしたい。
ライナスにも悪いことをした。
このことはなかったことにしようと決めた。




