31話 リーナと 三
翌朝のリーナを見ると、昨日のことが嘘だったのではないかと思えた。
わたしは夢でも見ていたか、寝ぼけていたのかもしれないーー
そうに違いない……
そう思いたい……
ライナス相手には何もしていない。それどころではなかった。
剣術の稽古終了後の庭園で、
「メル姉、お願いします! 二人だけで話をさせてほしいです!」
メルヴァイナの手を掴み、庭園を少し進んだ。
ライナス、ティム、リーナの姿は見えているが、小さめの声で話せば聞こえないだろう。
三人が追って来ず、ほっとした。
「? どうしたのですか? メイさま」
メルヴァイナが訝しげに尋ねてくる。
「あ、あの、昨日の夜……その……リーナに会ったんです」
「リーナに、ですか?」
メルヴァイナは困ったような表情をしていた。
「その、いつもと雰囲気が違っていて……」
「あのリーナに会ったのですね。ですが、心配いりませんよ。ええ、少し、雰囲気が違うだけですから」
全然、”少し”ではない。
あれは確かにリーナらしい。双子の妹とか姉とかがいるわけじゃなく。夢でも幻でもなく。
それに、メルヴァイナはそんなリーナのことに気付いている。
「昼食の後、私の部屋にいらっしゃってください。それでは戻りましょうか」
わたしはメルヴァイナの言葉に頷いた。
ここではさすがに話しにくいのだろう。
「あのリーナは少しだけ変わっていますが、非のない者に手を出したりは致しません。あのリーナも私の可愛い妹ですから」
メルヴァイナはそんな風に言う。
昼食の後のメルヴァイナの部屋でのことだ。
彼女の部屋は特別区内にないが、近い位置にはある。
リーナは隣の自分の部屋にいる。後の二人は知らない。
彼女の部屋はわたしの部屋に比べると小さいが、それでも十分な広さがある。
派手な色の部屋を想像したが、落ち着いた感じのいい部屋だった。
「あれが本当のリーナなんですか?」
「それはわかりませんが、リーナは二重人格なのです。偶に、あのリーナが出てくるのです」
二重人格と言われて、どうしたらいいかわからない。
そんな人に会うのは初めてだ。
まあ、襲われないのであれば、問題ないように思う。
「襲ってはこないんですよね?」
「ええ。ですが、リーナを傷つけるようなことはなさらないでください。あのリーナはリーナを守るためにいるのかと思いますから」
「それはもちろんです」
怖くはあるが、昨日のリーナはわたしを攻撃したりはしなかった。
今のリーナと同じように接することができるかはわからないが、頑張ってみようと思う。
「リーナはどうして……何か辛いことがあったんですか?」
リーナは苛められたりしていたのだろうか。
リーナは決して弱くはないはずだ。魔力もメルヴァイナを上回るらしい。
「きっと、ヴァンパイアの洗礼の儀のせいです。古くからの悪習です。あのようなことは止めるべきだと思います」
メルヴァイナはそこで言葉を切り、少し考えるような仕草をする。
「誇るべき慣習だと考えている者も多いのですが、私にとってはヴァンパイアの恥だと思っております。残念ながら、私達の父は前者でした」
メルヴァイナは躊躇しているようだ。
恥だと考えるなら、言いたくないのだろう。
「メル姉、無理に言う必要はありません。もう、わかりましたから」
わたしはメルヴァイナを制止しようとしたが、メルヴァイナは首を左右に振る。
「いいえ、メイさま。無礼を承知で、メイさまにお願いしたいのです。ヴァンパイアに、洗礼の儀を金輪際、行わないよう命じてください」
「わかりました。わたしで役に立てるならやります。ですが、わたしはまだ、魔王としてちゃんと認められているわけではないので……聞いてもらえるかは……」
わたしは自信がない。今のわたしが言ったところで、ライナスと同様の反応をされそうだ。
「もちろん、すぐにとは申しません。洗礼の儀は10歳になると行われます。ヴァンパイアは子供が少ないので、すぐに10歳になるという子供はおりません。5年は猶予があります」
メルヴァイナは気にしなくていいと言わんばかりに、にこっと笑った。
「洗礼の儀の内容もお話しなくてはなりません。不快に思われるかもしれませんが、ご了承ください」
そう宣言し、メルヴァイナが話し始めた。
ヴァンパイアは10歳になったその日に洗礼の儀を受けるのだそうだ。
「メイさま、ヴァンパイアには高い再生能力があります。なので、怪我で死ぬことはほぼありません。これは、ドラゴニュートやダークフェアリーも同様ですし、魔王であるメイさまもそうでしょう」
「え? わたしにも!?」
ヴァンパイアなどに再生能力があることは知っていた。そして、その対処方法もゴホールから教えられている。
ただ、まさか、その再生能力がわたしにもあるというのは知らなかった。
「ええ、歴代の魔王さまがそうでしたので。心当たりはありませんか?」
わたしは考えた。
そう言えば、いつの間にか、できたはずの傷がなくなっていた気がする。
しかも、魔王だと思っていたものに腹を貫かれていた。それは痕跡すらない。
「あっ、心当たりがありました。でも、痛みはあるんですね」
「ええ、痛いですよ。いくら元通りになるといっても。元通りになっても、気の狂った者もいるくらいですから。再生能力は精神には作用しません」
治るとわかっていても、痛いものは痛いだろう。痛みはしっかりと感じるのだ。
「洗礼の儀というのは、意識を保ったまま、体を切り刻まれるという悍ましいものです。それに耐えきった者こそが、真のヴァンパイアなのだと」
「……そんなことが……だって、魔王国はこんなに近代的なのに……」
そんなのは、虐待だ。いくら伝統とか言っても、許されるわけがない。そんな古臭い悪習なら、無くすべきだ。
「ヴァンパイアは長命で、誇り高く、それを過ちだと認めません。その上、上位種ということで誰も意見ができないのです。10歳以上のヴァンパイアは皆、この洗礼の儀を受けております。リーナも、そして私も、私の両親も。あんなに辛い経験をしたはずなのに、いつしかそれは当然のことだと思えてしまうのです」
メルヴァイナの口調からはどこか後悔しているように感じる。
「私も、リーナの洗礼の儀に立ち会っていたのです。私自身がおかしいことだと思っていなかったのです。リーナもようやく認められると、むしろ、姉として誇らしくもありました。洗礼の儀の後には、両親も含めて一族全員が祝福してくれましたから」
「メル姉……」
わたしは何といえばいいかわからなかった。
「私達のことはもう終わったことです。メイさまが気になさる必要はありません」
起こってしまったことはなかったことにはできない。
「……わかりました。洗礼の儀はわたしが止めさせます」
「ありがとうございます、メイさま。リーナとは、変わらず接していただけると幸いです」
「はい、メル姉」
リーナとは年も近いので、できれば、もっと仲良くしたいと思っている。
「では、この話は終わりです。さあ、後は、気兼ねなく、ライナスに一撃をお見舞いしてくださいね」
いつもの明るいメルヴァイナの口調だ。
メルヴァイナは部屋を出ようとする。
「え? ちょっと待ってください! メル姉! どうすればいいか、壁にぶち当たっているんですけど」
わたしの言葉に、メルヴァイナがドアの前で立ち止まり、振り返る。
「気軽にすればいいのですよ。ほんのお遊びなのですから。ああ、それでしたら、ティムに手伝わせてはどうですか? ティムは闇魔法が得意で、それに関しては、ライナスより上手ですよ。偶に失敗するのは愛嬌です。後は、そうですねぇ。ライナスは、リーナには弱いのですよ」
ティムとリーナに協力させるように、ということだ。
なんだか、うまくメルヴァイナに乗せられている気がする。おそらく、ライナスも。実質、あの四人のトップはライナスではなく、メルヴァイナだ。ひそかに牛耳っていると思う。
闇魔法とはどういうものか?
裏リーナにも協力してもらった方がいいのだろうか?
昨日の夜に会ったあのリーナをわかりやすいよう、裏リーナと呼ぶことにした。
メルヴァイナにそれ以上聞けず、わたしは彼女の部屋から連れ出された。




