269話 宰相の弟 三
転移先で見たのは、衝撃的な光景だった。
血で赤く染まった神官長の白い服。
それに……生きているのかわからないくらい、酷い状態のルカだった。
見ただけで、普通の人間なら、生きていないとわかる。
ほとんど肩から上しかない。
わたし自身似たような状態にはなったけど、自分では見てない。
話し合いのつもりだった。
神官長がこんなことをするとは思えなかった。
罠の可能性もあるって、聞いていたのに。
何も考えられない。どうすればいいかわからない。
立ち尽くすわたしを護るように皆がわたしを取り囲む。
「アーノルド、どういうつもりだ」
宰相の低い声が地鳴りのように響く。
「魔王様の臣下であるルカ・メレディスに危害を加えた。申し開きがあるか」
神官長がわたし達の方を向く。
神官長は険しい顔で黙ったままだ。
肯定ってことだろうか。
やっぱり、これまでのことは神官長が……
「魔王様に言うことはないのか」
宰相が言葉を重ねる。たぶん、否定してほしいんだろう。宰相にとっては弟だから。
神官長は無防備にも、目を閉じる。
戦う意思はないと言っているようだ。
そのまま、神官長は膝をつくと、目を開く。
わたしと目が合う。わたしを射抜くような視線だ。
神官長は頭を下げる。
「魔王様、私はあなた様に決して偽りを申してはおりません」
いやにはっきりした口調で神官長は言う。
わたしに言ったことは嘘じゃないって訴えている?
何が本当かなんて、わからないじゃない……
「アーノルド、弁明はないのか」
そう言う宰相に神官長は一度も視線を向けない。
わたしは神官長を問い詰めようと思っていた。
でも、できない。
宰相に遠慮して。
神官長がこれ以上答えるとは思えないから。
わたしの言葉で攻撃が始まるかもしれないから。
「覚悟はできているか」
頷くように微かに神官長の頭が動いた。
神官長の周りの空中にいくつかの黒く太い杭のようなものが出現する。
「アーノルド」
宰相が神官長に呼び掛ける。
たぶん、神官長は何も答えない。
わたしが思った通り、神官長は黙っている。
神官長は全く抵抗することなく、刺し貫かれた。
ドラゴニュートなら、それくらいでは死なないだろう。
動きを封じて、捕らえるつもりだろうか。
神官長は身動ぎ一つしない。同じ態勢のまま。
気を失っているのかもしれない。
神官長を貫いた杭は霧散した。
神官長が床に倒れる。
「警戒を解かないように。魔王様の警護を」
そう言うと、宰相は神官長に近寄る。
床に倒れた神官長は全く動かない。
宰相は実の弟を断罪しないといけない。
わたしが口を出せるはずもない。
そういうこともあるかもしれないって、わかってたのに。
ううん。実際にはわかってなかった。
もっと簡単に考えていた。考えていたのかもあやしいほど。
どこか話し合いで終わると思っていた。
神官長の様子を確認した宰相は主にわたしに向き直った。
「アーノルド・セシル・デル・フィーレスは確かに処分致しました」
宰相は淡々とした口調でそう言った。
処分って……?
「魔王様、お手間を取らせてしまい申し訳ございません。こちらの調査はこの後、行わせます。どうぞお先にお戻り下さいませ」
ほとんど、強制であるかのような宰相の言葉の後、転移魔法の淡い光が見えた。




