26話 魔王国での日々
メルヴァイナの転移魔法で城に戻り、作戦会議はまた明日ということになり、二人と別れた翌朝。
わたしは別の予定があった。
今日から、剣術の稽古を始めるのだ。
指導してもらえる人を頼んでいて、今日から指導してもらえるとのことだった。
上達して、イネスを驚かそうと思ってのことだ。
場所は城の庭園の一角。てっきり演武場とか訓練施設のようなところで行うのかと思っていた。
そこには一人の壮年の男がいた。金髪碧眼の整った容姿をしている。白髪も混じっているようだが、あまり目立たない。わたしのお父さんより年上だと思うが、渋くてカッコいい。勿論、お腹も出ていない。
「初めまして、魔王様。私があなた様の剣術指導をさせていただく、フィンレー・テレンス・ドレイトンと申します」
彼が恭しく臣下の礼をとる。
「ドレイトン?」
グレンと同じ家名だ。それに、どことなく見かけだけはグレンに似ている気がする。
彼の顔をまじまじと見てしまっていた。
「ドレイトンの名をご存じなのでしょうか」
「今回の勇者のグレンと同じ家名でしたので。グレン・ヴィンス・ドレイトンといって、ドレイトン公爵の次男だそうです」
「そうですか」
彼はそう言うと、笑った。
「まさか、ドレイトン家は二代に渡り、勇者を輩出するとは。私は30年前の勇者です。現公爵は私の弟でしょうから、そのグレンは、私の甥に当たるのでしょう」
彼は自己紹介の時とは打って変わって、軽い口調だ。最初の渋い雰囲気がどこかへ飛んでいる。
特に悲壮感はない。彼がどうして、勇者にされたのかはわからない。彼は嫡男だろうから、勇者になっていなければ、公爵になっていたはずだ。さすがに理由は聞けない。そこまで無神経ではない。
勿論、この国で強制労働させられているとかそんな風には見えない。痩せ細ってもいない。むしろ、剣術をしている為か、その体は鍛え上げられているように思う。
確かに宰相の言うように、前の勇者は健在で、生活も保障されているのだろう。
「やっぱり、そうなんですね。似ている気がしていて。性格は全然似ていませんが。グレンは本当に傲慢で」
「ははは。ドレイトン家は世代毎に一人は変わった者を出す。そのグレンとは親しかったのですね」
「まさか。あんなのと親しくは……ごめんなさい、身内の悪口を言ってしまって」
「いやいや、構いませんよ」
彼はにこやかに笑う。
「あの、王国に会いたい人はいないんですか?」
「全くいないと言えば、嘘になります。付き合っていた女性達とは名残惜しかったものです」
彼は遠い目をする。
でも、付き合っていた女性達って? 達って? 何人いるの!?
彼がわたしにいい笑顔を向けた。
なんだか、揶揄われている気がする。
わたしは宰相に聞けなかった。もう一度、王国に行けるのかと。
絶対に行かせないと言われるのが怖かった。それに、逃げ出すことを警戒されるかもしれないと思った。
わたしはもう一度、彼らに会いたい。会って、無事をこの目で確かめたい。
「それも過去のことです。そのグレンには会ってみたい気はしますが。王国にあのままいるより、こちらの方が私には合っています」
彼の本心はよくわからない。
ただ、もう、ここで生きていくことを選んだのだろう。
「では、お話はこれくらいにして、始めましょうか」
彼が宣言すると、わたしに木剣を渡してきた。
「あの、これは使わないんですか? これまで、この短剣を使っていたんですけど」
わたしはコーディからもらった短剣を見せた。
それを見ると、彼の目の色が変わる。
「どうしてあなた様がこのような物を!?」
「必要ないからと、剣術の訓練用にもらったんです」
「訓練用にするような物ではないはずなのですが……どのような人物からもらったのですか?」
「えーと、わたしを助けてくれて、面倒を見てくれていた人です。優しくて、わたしを妹みたいに思っていたんじゃないかと思います。今回の勇者パーティの一人で、勇者の友人です。ああ、今から思うと、彼は生贄だと思っていたから、もう生きては戻れないと、だから、わたしにくれたのかもしれません。高価な物なら、やっぱり、返した方がいいですか?」
「腕のいい者の仕事です。高価な物でしょう。おそらく、国王から下賜された物かと思われます」
「……確かに、それは、訓練用にしていい物ではないですね……機会があれば、返しておきます」
その機会が訪れるのかはわからない。二度と会うことはないのかもしれない。
わたしは魔王国にいる。それも魔王として。
目の前の彼は、二度と王国に戻らないことを誓約させられている。
状況的に見れば、わたしも王国には戻れないだろう。
「さあ、次こそ、始めましょうか」
思案に耽りかけていたわたしを引き戻すように、彼の腹の底に響くような声が届いた。
彼はイネスと違って、終始にこやかだった。
ずっと笑顔で。笑顔で厳しい。結局、厳しいのだ。
笑顔で無茶言ってくる、この人!
漸く、稽古の時間が終わり、わたしが疲れて座り込んでいると、
「フィンレーさまぁ」
と甘ったるい女性の声が聞こえてきた。それも二人分。二人とも人間なら20代くらいの若い女性だった。
「もう、終わりました?」
「今、終わったところですよ、レディ。魔王様、それでは私はこれにて、失礼致します」
彼は女性二人を両側に侍らせ、いい笑顔で去っていった。
彼が勇者に選ばれた理由ーー
女性関係のトラブルじゃあ……
そう思わないでもなかった。
フィンレーと入れ違いにやってきたのは、メルヴァイナとリーナだった。
「ドレイトン先生に好んで剣術を習うなんて、どうかしておりますよ、メイさま」
信じられないといった顔でメルヴァイナがわたしを覗き込んできた。
「メル姉、彼を知っているんですか?」
「私も少し、剣術を習っていたのです。私は投げ出しましたが。ライナスも一緒に習っていたのですよ。ライナスは、ドレイトン先生を尊敬していますし」
「えっ! そうなんですか? でも、彼は人間ですよね」
「ええ、そうですよ。ですが、ドレイトン先生は剣術も魔法との組み合わせも卓越しております。魔法の威力では私達高位種族に及びませんが、そこは人間なので仕方ないでしょう」
「人間で、ドラゴニュートにまで尊敬されるなんてすごいですね。わたしなんて、治癒魔法しか使えないのに」
「気にされる必要はありませんよ。それより、そのライナスのことです。そうそう、ライナスは揶揄い甲斐があるので、楽しいのですよ。ちっちゃな頃はもっと可愛かったのですけど」
メルヴァイナは厳しい剣術の稽古の腹いせにライナスを揶揄って鬱憤を晴らしていたのではないだろうか。
ライナスの今の態度は、メルヴァイナのせいもあるのではないかと思ってしまう。
メルヴァイナは屈服させるというより、揶揄う気満載だ。
余計にライナスが頑なにならないか心配になる。
「ライナスを挑発して、こちらの舞台に乗ってもらいましょう!」
得意満面にメルヴァイナが言う。
「でも、メル姉、ライナスに勝てることがあるんですか?」
「力では厳しいし、頭では……ちょっと不安ね。隙をついて、昏倒させましょうか」
「……そんな、卑怯なこと……それで、行きましょう」
「といっても、その隙を作るのも大変なのだけれど」
「こちらには、魔力の高いリーナもいますしね。なんとか頑張りましょう。リーナ、協力して!」
「えっ……はい、私で役に立つのでしたら……」
急にわたしに振られたリーナは多少、戸惑っていた。
小さな声だが、十分に届いた。
「ありがとう、リーナ」
そう言うと、リーナは恥ずかし気に俯いた。
彼女は、可愛くていい子だ。
「じゃあ、罠をいっぱい考えないと」
わたしは浮き浮きした気持ちだった。これはどちらかと言えば、ゲームのようなものだ。
「本当ですね。ああ、楽しくなってきましたぁ」
メルヴァイナがうっとりと呟く。
端から本気でライナスとぶつかる気はない。
ちなみにわたしが魔王だということを見せつけることは最初から放棄していた。治癒魔法でどうしろというのかという理由でだ。
わたしの思う魔王像のように、圧倒的な力でねじ伏せられたら、ライナスも納得はするのだろう。そんなことは何の道無理だ。
「まずはライナスをこちらの舞台に乗せないといけないですね」
「ええ、それは私に任せてくださいね」
メルヴァイナは胸を張る。
メルヴァイナの案は、非力で治癒魔法しか使えないわたしが一撃でも攻撃を入れられたら、一つ言うことを聞いてもらうというものだ。
後、ライナスには防御のみとしてもらわないといけない。そうしないと、本気で死にかねないんじゃないかと思う。彼らの実力がどんなものかは見たことがないから知らないが、人間よりは強いだろう。
メルヴァイナやリーナは間接的な協力をする。この間接的な協力に関しては、できれば、ライナスには内密にする。
期限は一週間だという。メルヴァイナ曰く、ダラダラ長引かせると飽きてくるとのことだ。




