25話 魔王国の街
メルヴァイナは、ある一室の前にわたしを連れてきた。重厚そうな立派な扉が、独りでに開いていく。メルヴァイナは、わたしとリーナの手を引いたまま、部屋へと入る。
てっきりそのまま外へ向かうのかと思ったが、どうして部屋に入ったのか意図がわからない。
この部屋がどこで、どういう部屋なのかも検討がつかない。
この魔王城でわたしが知っているのはごく一部の区画に過ぎないのだ。
ここは、どうも、メルヴァイナの部屋ということもなさそうだ。
部屋は、何もない広い空間だった。特に飾り気もないし、窓もない。
「魔王さま、出掛けますが、忘れ物はありませんか? お金は持っていますので、心配ありませんよ」
メルヴァイナのわたしに対する扱いは、完全に魔王に対するそれではない。どう考えても、子供扱いだ。
ただ、悪意は感じない。デリアやコーディに近いような気がする。
「いえ、特には」
「そうですか。では早速、参りましょう。私にお任せくださいね。おいしいものが私達を待っていますよ」
メルヴァイナはパチッとごく自然にウィンクする。
美女にそんなことをされると、女のわたしでも惚れてしまいそうだ。
そんな風に、メルヴァイナを見ていると、周囲が円形に光りだした。
そう認識して僅かの間に、周りの景色は変わっていた。
物が何もなく、殺風景な部屋なのは変わりないが、先ほどより狭くなっているし、窓があり、外が見えている。賑やかな声も聞こえてくる。
「これって、転送魔法?!」
「そうですよ、魔王さま。人間や下位の種族は使えませんが、上位種ならーー」
と、途中で、メルヴァイナが言い淀む。
リーナがメルヴァイナの袖を引っ張って、何やら、メルヴァイナに小声で話しかけている。
「失礼しました。魔王さま、それでは、すぐに、街に繰り出しましょう」
きっと、治癒魔法しか使えないわたしに気を回してくれたのだろう。
「では、参りましょう」
メルヴァイナがさっさと建物を出ていく。それに付いていくと、確かに街の中だった。大通りに面していて、人通りも多い。普通の人間の姿があり、他にも獣人やよくわからない種族がいる。誰もそれを気にした様子がないから、この国では当たり前のことなのだろう。王国では獣人もほとんど見かけなかったぐらいだ。ミアは獣人だが、それ以外には、魔獣退治の時に数人見かけた程度だった。
通りからは高台に立派な城が見えている。あれが先ほどまでいた魔王城に違いない。
賑やかで平和そうな街だった。しかも、どこか近代的な雰囲気だ。高層ビルがあるわけではなく、街並み自体は、ヨーロッパの街のような造りになっている。それは中世の街並みではなく、現代の街並みだ。
それに街を走っているのは馬車ではない。自動車に近いものだ。動力部と思われるところから光が漏れていることから、魔力で動いているのだろう。この国にも、電気などはなかった。
こんな街にいれば、魔王のまの字も出てこない。王国と同じような普通の国だ。
ただ、規模が明らかに王国と違う。これでは、もし、戦争が起きたとしても、中世の国と近代の国が戦うようなもので王国では相手にならないだろう。国力が違いすぎる。
その点では王国の判断は間違っていない。求められてもいない生贄を差し出すのはどうかと思うが。
「魔王さま、あちらですよ」
メルヴァイナがうれしそうに指をさす。
ただ、このメルヴァイナは、物凄く目立つ。少しは、グレンやコーディやイネスと共にいて慣れている。あの美男美女も目立っていたから。グレンは別の意味でも。
それでも、彼女が魔王なんて呼ぶから、通行人がぎょっとしていた。
「あの、メルヴァイナさん、魔王と呼ぶのは止めてもらえませんか?」
「そうですか? では、メイ様」
「様も付けないで、呼び捨てでいいです」
「それでは威厳が保てませんよ」
「元々ありませんので、お気遣いなく」
「それはだめですよ。今は市中なのでそのようにしますが、城ではメイ様とお呼びします。私のことは、メルとお呼びください」
そう言われても、彼女は24歳だと言っていた。先ほど会ったばかりだし、どうも呼び捨てにはし辛い。
「年上ですし、そういうわけには……」
大人の女性を呼び捨てにするのは、如何なものか。
メルお姉さんとかの方が……でも、魔王らしくした方がいいのかな……
「え、えっと、メル……ねえ……」
「それでいいですよ。じゃあ、そう呼んでください」
”そう”というのは、”メル姉”ということだろうか。それなら、まあ、いいかもしれない。
「あのメル姉……」
わたしは次いで、メルヴァイナの妹の方に視線を向ける。
彼女は姉の陰にさっと隠れた。
それにメルヴァイナがすぐに気付き、
「この子は、妹のリーナ。この子はすごいのですよ。私よりも魔力が高いですし、私の誇りです。少しばかり、人見知りですが」
「リーナ、これから、よろしく」
リーナは少しだけ顔を出し、ぼそぼそと何やら言っていた。はっきりと聞こえはしなかったが、嫌悪されているということはなさそうだ。
リーナは昔のわたしを見ているようだった。小学生の頃のわたしも同じようだった。
友達と呼べる人もいなくて、親切なクラスメイトはわたしを誘ってくれるが、友達のいない哀れなわたしに同情したからだろう。それとも、先生に頼まれていたのかもしれない。
わたしはへこたれずに頑張ったと思う。それに関しては、自分で自分を褒めたいと思う。
メルヴァイナは当初の予定通り、指差していたカフェへと向かった。
その後は色々とメルヴァイナに連れ回された。
絶対にメルヴァイナは自分が来たかっただけだと思う。
ここは最近できた店だとか、最近人気の店だとか、メルヴァイナが得意気に説明してくれる。
これでは、ヨーロッパにでも観光に来たようなものだ。
それに、ここには、電車のようなものまで走っている。架線やパンタグラフはなく、これも魔力が動力だろう。
乗ってみたいと言えば、快く承諾してくれた。
窓から見える景色は日本とは大分違うが、目を閉じると、まるで通学のいつもの電車に乗っているようで懐かしく思えてくる。
実りあったのかなかったのかよくわからないが、街の様子や王国との違いはわかった。
王国ではそれほど、魔力を意識することはなかったが、ここでは至る所で利用されていた。
それともう一つ、気になったもの。街中で時折、目にしていた紋章のようなもの。
メルヴァイナが説明してくれた。魔王の象徴なのだと。
本当に魔王は、悪の象徴などではなく、ただの国王とも違う。
宰相の言ったように、神に近い認識だ。この国での信仰対象が魔王なのだ。
こんな魔王でごめんなさいというぐらい、申し訳なく思えてくる。
ちなみに、リーナとはほぼ会話できていない。専ら、姉妹で会話しているようだった。
魔王四天王(わたしが勝手に言っているだけ)のことで頭を悩ませている。この国のことではなく。
こんな魔王で本当にごめんなさい。
ただ、この二人とは仲良くなって、協力してもらいたい。できるだけ、ここでの味方を増やしたい。
まだ、この二人が信用できるのかはわからない。彼女達は、ヴァンパイアだと言っていた。見た目では判別不能な為、今の今まですっかり忘れていた。
人を襲って、血を吸うイメージが湧いてくる。闇の眷属とか言われ、日光が苦手なはずだが、日中の今も普通に外に出ている。
トレントのゴホール先生にヴァンパイアについて、聞いておかないといけない。
電車のような乗り物から降り、今は、街で一番大きな公園だというところで、菓子パンのようなものを買い食いしていた。
硬めのパンに砂糖を塗してあるお菓子に近い甘いパンだ。
ヴァンパイアであるにも関わらず、メルヴァイナは甘いものばかり食べている。
「あの、ヴァンパイアって、血を吸ったりしないんですか?」
「え? 血を吸う?」
「ヴァンパイアは人間の生き血を啜るって、わたしの故郷ではそう、言われていました」
「そんな気持ちの悪いこと、しませんよぉ。口の中を切って、血の味がするのも嫌なのにぃ」
むくれたような表情で、メルヴァイナが否定する。
「その、ごめんなさい。ヴァンパイアのことはわからなくて。会うのも初めてです」
「ヴァンパイアは、ドラゴニュートと並ぶ高位種族ですよ。魔力、身体能力が高く、変身能力や再生能力もあります」
「そうなんですね」
「ですから、困ったことがあれば、何でも言ってくださいね。お手伝いしますよ。ドラゴンの調教でも」
メルヴァイナはにこぉっと悪そうな笑みを浮かべた。
わたしは軽く笑みを返しておいた。
ドラゴニュートもヴァンパイアもどちらもプライドは高いように思う。互いの種族を牽制してそうだ。
特にメルヴァイナはライナスに意地を張っている。
ライナスとも仲良くなりたいのは事実だ。今後のことを思うと、何とかしなければならない。
ただ、ライナスには悪いが、巨大なドラゴンになれないのはちょっとがっかりだった。存在するなら、わたしもドラゴンが見たかった。さすがに宰相やドリーさんには頼めない。
「ドラゴンの調教か……そんなことできるの」
わたしの呟きに、
「屈服させればいいのですよ」
メルヴァイナが当然のように言う。
「力尽くでってこと? わたしにそんな力はありません」
「私も本気で戦えば、ただでは済まないでしょう。負ける気はありませんよ。ですが、力で屈服させなくてもいいのですよ。どんな手を使っても、というより、使えるものは全て利用すればいいのです」
確かに、その通りだろう。魔王の力を示せば、彼の信頼を得られれば、きっと……
メルヴァイナが協力してくれるなら、よくわからないけれど、何とかなる気がしてきた。
「はい、メル姉! 屈服させましょう」
「ええ、そうこなくては」
「リーナも協力してくれる?」
少しはわたしの存在に慣れてくれたようで、隠れられることはなかった。
「はい、私も姉と一緒なら……」
小さいが、可愛らしい声が聞こえた。
というわけで、女三人の悪巧みが始まったのだった。




