23話 魔王
わたしは唐突にグレンに突き飛ばされた。
その直後、鋭い痛みが走る。
その部分、わたしの胸の下辺り。わたしは衝撃的なものを見た。
わたしの体を貫いた魔王の尾。
「あっ」
細く、小さく声が漏れる。自分の声じゃないような声。
体が急激に冷えていく感覚がする。
顔を上げると、目を見開き、驚愕するグレンの顔をあった。
すると、後ろに引っ張られた。
わたしを貫く尾が魔王の元へと戻ろうとしているのだ。
魔王の顔のすぐ傍まで引っ張り上げられ、痛みに顔が引きつる。
わたしの足は床を離れ、わたしの体は尾でのみ支えられている。
眼下には、わたしを見つめる四人の姿が見える。
さらに、後ろへと引っ張られる。
周りが闇に包まれていく。わたしが意識を失ったのではない。別の空間へ入ったような。
四人の姿が遠くなる。
すぐにその姿も見えなくなり、完全に闇に呑まれた。
わたしは結局、意識も失ってしまったらしい。
気が付いたときには、ベッドの上で寝ていた。
天蓋付きの豪華なベッド。見回した部屋の様子。
見覚えがある。
魔王城内で、閉じ込められたと思った部屋。ミアと共に食事をした部屋だ。
体に穴が開いたと思ったが、痛みはない。
ベッドの上で上体を起こし、魔王に貫かれた部分を見てみるが、何の痕もないばかりか、服も破けたりはしていない。
まるで、一度、この部屋に来た時に寝てしまって、その後のことは夢だったかのようだ。
周りを見ても、もちろん、ミアはいない。
すると、ドアの開く音がした。
わたしは思わず、ベッドに潜り込んだ。
誰かが部屋に入ってくる。
魔王城の部屋に一体、何が来るのか。
「目を覚まされていたのですね」
穏やかで優しい美声が聞こえてきた。声音から言って、女性だ。
わたしと目が合うと、彼女は穏やかな笑みを浮かべる。
彼女は人だった。しかも、女神のように美しい。もう、神々しい。
淡い青色の腰まで届く長い髪に、金色の瞳、真っ白の細身のドレスに身を包んでいる。
「あの、あなたは?」
「初めまして。私はドリエス・ラーナ・デル・フィーレスと申します。親しい者は、ドリーと。そう呼んでいただけると嬉しいです。私は、この魔王国宰相副官を務めております。この後、関わることも多いかと存じます。どうぞよろしくお願い致します」
「初めまして。メイ・コームラです。ドリーさん、ここは、魔王城なんですか?」
なんだか、間抜けな質問のように思ったが、豪華な部屋に女神のような女性、魔王城という感じがしない。天国と言っても、おかしくない。
「その通りです。こちらは、魔王様の居城でございます。それと、私のことはドリーと呼び捨てになさってください」
やっぱり、魔王城は魔王城らしい。しかも、宰相副官、結構、中枢の人だ。
魔王のような、異形ばかりかと思ったが、そうではないのかもしれない。
何から尋ねればいいか、頭が追い付かない。聞きたいことは色々ある。私が聞いていいことなのかも疑問だ。
とりあえず、危害は加えられないらしい。
治癒魔法が使えるからだろうか。
本当に疑問は尽きない。
「それでは、食事にでもなさいますか? それとも、湯浴みをなさいますか? しばらく休まれても構いません」
「では、食事を」
考えても仕方ない。とりあえず、食事がもらえるなら、遠慮なく、もらう。
「わかりました。すぐに支度させましょう」
「あの、勇者達はどうなりましたか?」
どうしても、聞いておきたいことだ。
「そちらに関しては、宰相からお聞きになってください。この後か、明日にでも、宰相にお会いしていただきたく思っております」
「はい。食事の後にお願いします」
わたしは素直に頷くことにした。割とこういう人の方が怒らせると、怖い。
宰相と会うなら、聞きたいこともまとめておかないといけない。
待遇の交渉とかも必要なのかもしれない。かなり気が重い。
宰相にまでなっている人物が一筋縄でいくとも思えない。
時間を取って、明日にしてもらってもよかったが、それより、四人のことが気になる。きっと、気になって眠れない。
「食事の後に、私が呼びに参ります。こちらでお待ちください」
ドリーが部屋を出ていく。
わたしはほっとした。ドリーは優しくて美人だが、会ったばかりの人をすぐに信用することはできない。ここが魔王城となれば、なおさらだ。
しばらく部屋で暇を持て余していると、メイドが来て、食事を用意してくれた。
メイドが普通の人達だったことにもほっとする。
わざとゆっくりと食事をする。
えっと、絶対に聞いておきたいことは……
思考しながら、食事をして、一度、舌を噛んだ。
食事が終わり、片づけを済ませたメイドが出ていく。
これから、宰相と会うんだ。
わたしは二度、自分の頬をパンパンと叩いた。
よしっ! いつでも、来い!
わたしは気合を入れる。
30分後には、ドリーが訪ねてきた。
わたしはドリーに連れられて、部屋を出る。
部屋の外のドアの両側には、護衛と思われる甲冑姿の兵の姿がある。
そのような兵の姿は等間隔で見られる。
やがて、一室へと辿り着く。気持ちよさそうなソファが置かれている。
そこももちろん、豪華極まりない。
ただ、誰もいない。宰相はまだ、来ていないのだろう。
そこで待つのかと思いきや、ドリーはその部屋を通り抜け、奥のもう一つのドアを開け、わたしに入るよう促す。
ドアを出ると、短い通路がある。その通路を進んでいくと、広間に出た。
広間というか、正に、玉座の間だ。
魔王と戦った場所よりは小さいが、明らかに雰囲気は違う。
その場は明るく、程よく豪華で、品があり、厳かな雰囲気がある。
一段、高くなった壇上には、立派な椅子がある。今は誰も座っていない。
わたしが出たのは、その壇上の椅子のすぐ左側。
その椅子に傅く男の姿が目に入る。男は、ドリーと同じ、淡い青色の長い髪を品良く束ねている。
ドリーはわたしを壇上の豪華な椅子へと促す。
「どうぞ、こちらへ」
「あ、あの、そこは玉座では?」
わたしは困惑した。どう考えても、わたしが座っていいような椅子ではない。そこには国王が座るべきだ。
ドリーは、うれしそうに微笑み、
「はい。あなた様をこちらにお迎えできること、光栄でございます。どうぞ、お掛けくださいませ」
わたしは椅子へと近づいた。もう一度、ドリーを見る。ドリーは丁寧な仕草で椅子を示す。
仕方なく、その椅子に腰を下ろした。そうして見ると、本当に王にでもなったように思えてくる。
跪く男を見下ろす。
「この時を心待ちにしておりました。王よ」
跪いた男は、わたしを王と呼んだ。
「私は、この魔王国が宰相、アラスター・ノア・デル・フィーレスでございます。以後、お見知りおきくださいませ」
よく通る硬質な声音だった。
この人が宰相か。
ただ、どうして、魔王城で玉座に座らされ、王などと呼ばれなくてはならないのか。
これでは、わたしが魔王みたいだ。
居心地は最悪だ。人に跪かれたくなんかない。
第一、あの戦った魔王はどうしたのか。
「最初は、戸惑われるのも無理ございません。ですが、あなた様が魔王国の王、魔王であることは揺らぐことなき、事実でございます」
宰相はわたしが魔王だと言った。
「なぜ、わたしが魔王なんですか?!」
「なぜと申されましても、それは既に決まっていることでございます。ここ百年、魔王は不在でございました。ですが、我らには、魔王が必要なのです」
これに関しては、答えてもらえないらしい。
こんな怪しいことはない。なにか、企んでいるとしか思えない。
ただ、殺されてもおかしくなかった状況で、生かされているのなら、利用しない手はない。
魔王だというのなら、いっそのこと、それに乗ってみてもいい。
「わたし達が戦ったあの黒い魔王はなんだったのですか?」
わたしは感情を出さないように、単調に宰相に聞いてみた。
「あれはただの魔力によって作り出された傀儡です」
これには普通に答えてくれるらしい。
要は、魔王でも何でもなかった、ということだ。確かに魔王だとは言っていなかった。わたし達が勝手に勘違いしただけ。でも、あれで魔王だと思わない方がどうかしていると思う。
色々思うことはあるが、絶対に聞いておかなければいけないこと、
「勇者達四人はどうなったんですか?」
「四名共、お帰りいただきました。元々、魔王国では生贄など、求めてはおりません。いつの頃からか、勘違いをした王国が生贄を送ってくるようになったのでございます」
「では、これまでの勇者も?」
「いいえ。これまでの勇者は、帰ることを拒否されましたので、魔王国に留めておりました。一度、留めたからには、二度と王国には戻らないという制約付きではありますが、魔王国の民として生活は保障しております。前回の勇者は健在でございますので、お会いしてみてはいかがでしょう」
「魔王国といっても、全員、普通の人間なんですか?」
「人間は、国民の3割でございます。人間以外の7割は、様々な種族がおります。私も人間ではなく、ドラゴニュートでございます。あなた様には、これから、魔王国のことなど、学んでいただきたく存じます」
「人間のわたしが魔王でいいのですか? それに、魔王は強力な魔法が使えたりするんですか?」
「あなた様は既に人間ではありません。あなた様はどの種族にも当てはまらない、唯一の魔王という存在なのでございます。神とも呼ぶべき存在なのでございます。もちろん、強力な魔法の使用も可能でしょう。ただ、まだ、完全に覚醒したわけではないのかと存じます」
「それで、治癒魔法しか使えないんですか?」
「そのように存じます。あなた様には、護衛をご用意致しましょう」
「では、最後に、魔王は何をすればいいんですか?」
「魔王国の統治と結界の維持でございます。後はお好きになさいませ。王国を滅ぼしたいとおっしゃるのでしたら、それも一興でしょう」
王国を滅ぼすなんて、そんな恐ろしいことはしないに決まってる。
ただ、この魔王国は魔力では段違いだ。この魔王国に入ってから見た、おそらく空間魔法など、レベルが違いすぎる。王国を滅ぼすことも本当にできてしまいそうなのだ。
王国が大人しく生贄を送るのは、勝てないと認識しているからなのだろう。
そうでなければ、戦争を仕掛けるなりしてもおかしくない。
「――わかりました。ありがとうございます」
「私に礼は不要でございます。僭越ながら、お許しいただけるのでしたら、しばらくの間は、引き続き、私が王の代理として、国政を行いましょう。あなた様は、その間、多くのことを学んでいただきたく存じます」
宰相との話が終わり、わたしはドリーに案内され、部屋へと戻ってきた。
とりあえず、皆が無事であると確認できたのはよかった。
結局は誰も死なずにすんだ。
ただ、わたしは二度と、王国に戻れない。
コーディやイネスやミアや、ついでにグレンにも、もう会えない。
デリアにも。アリシアにも。
わたしは魔王国でまた、一人になってしまった。




