21話 境界を越えて
いやだ! いやだ! いやだ!
わたしは闇に向かって、駆け出していた。
「おい! 行くな!」
聖騎士の誰かの声が聞こえる。
聞こえない振りをして、全力で走った。
わたしは闇に飛び込んだ。
その直後、何かに軽く追突された。
何とか、転ばず、態勢を立て直し、追突してきたものを見た。
「ご、ごめんなさい、メイ」
それはミアだった。
「ミア! どうして!?」
「ボクだけ、置いていかないで。ボクも一緒に行くから」
「ミア……」
わたしは何をやっているんだろう。
今いる場所は、建物の中だ。
円形となっている場所で、直径は3メートルほどの小さめの部屋だ。
部屋には何もない。白い壁に囲まれ、床は大理石によく似ている。
そこから、一箇所だけ通路が延びている。
入ってきた巨大な扉を見ることはできない。
転送されたのだろうか。
もう、戻ることができない。
しかも、ミアまで巻き込んでしまった。
ここが、魔王城ということだろうか。
どうなってしまうのか、全くわからない。
先に入った三人の姿も見えない。
わたしは、コーディとの約束を破った。
生きては戻れないかもしれない。一緒に、ミアを死なせてしまうかもしれない。
わたしは馬鹿な事をしたと思う。
このまま、三人にも会えず、魔獣にでも襲われれば、犬死もいいところだ。
「メイ、大丈夫だよ」
ミアが手を繋いでくる。
ミアは僅かに震えていた。
怖いに決まっている。
生贄ということは、魔王に食べられるのだろうか。
それとも、人体実験に利用されるとか、快楽の為に痛めつけられるとか。
どのみち、戻ってきた勇者はいない。
歴代勇者がどうなったのか、誰も知らない。
ただ、なんにしても、待っているのは、恐ろしい未来だ。
わたしが考えるのは、ミアを辛い目に遭わせないことだ。
わたしが飛び込まなければ、ミアも来ることはなかっただろう。
わたしがミアを死なせてしまうようなものだ。
そうは思うが、実際には、一人より、心強かった。
ミアの手の温もりを感じる。
ここで立ち止まっていても意味はない。
「行くわ」
一歩踏み出そうとした足は、ガクガクとして、覚束ない。
いつ魔獣が襲ってきてもおかしくない。
今にも、通路の先から、魔獣の姿が見えるのではないか。
そんな考えが消えない。
それでも、ここでじっとしているわけにはいかない。
わたしは自分の太ももを叩いた。
多少、覚束なくても、歩ける。
わたし達二人は通路を歩き始めた。
進む足取りは重い。
そこは、静かだった。少しの音でも響いてしまいそうで、できるだけ、音を立てないように慎重に進む。
魔王城だから、もっと薄暗く、おどろおどろしい雰囲気かと思ったが、ここは特に、灯りがあるわけではないが、明るい。
雰囲気もどちらかといえば、神殿といった方がしっくりくるような建物だ。
わたしはミアと手を繋ぎながら、通路を進んでいく。
長い通路だった。横道も何もない。要は、逃げ道がまるでない。
今、魔獣が現れたら?
鋭い爪で切り裂かれ、食い千切られる。
そんな嫌な想像をしてしまう。
その通路をかなり歩いた。全く変わらない景色に鬱々とする。
嫌な想像しか浮かばない。
ようやく、通路の終わりが見えた。
少しだけ、速足になる。
通路の終わりは、大きな広間だった。その広間にはまだ足を踏み入れず、様子を伺う。
円形の広間で、天井も高く、造りは最初と同じで白い壁に大理石のような床。
そして、何もない。
ただ、わたしは、こういうところは何かが出てきそうで、怖い。
入った瞬間に入口が閉じられて、強制戦闘にでもなるのではないか。
魔王城だから、魔王の四天王とか出てきそうな雰囲気だ。
それでも、後ろは行き止まり、もう、前しか進む道がない。
「メイ」
ミアがわたしの名を呼んだ。
わたしは完全に怯んでしまっていた。
心臓の鼓動が速い。
落ち着かないと。
わたしは何度か大きく息を吸い込んで、吐き出す。
それでも、速い鼓動は収まらない。
「メイ、大丈夫?」
「ごめん、ミア。大丈夫よ」
行くしかない。
わたしはミアと手を繋いだまま、広間へと踏み入った。
少し進むが、何も起こらない。
入口が閉じられるとか、魔獣が現れるとかそういったことはない。
わたしは、気持ち的に中央は避け、端を通る。
広間の反対側に、出口がある。
わたし達はすんなり、その出口へと辿り着いた。
見掛け倒しで結局何もなかった。
もちろん、それに越したことはない。
ここは、直接的に襲ってくるのではなく、精神的に追い詰める気なのだろうか。
そもそも、ここの造りはどうなっているのだろうか。
意味もなく、延々と歩かされた通路に、何もない広間。
そして、また、通路。
魔獣はいないが、他にも、勇者達三人の姿も見えない。
異空間にでも入ったように、わたし達二人しかいないかのように、わたし達が音を出さなければ、一切無音だった。
それが不気味だ。
「ミア」
わたしはミアの存在を確かめるように声を掛けた。
ミアがわたしを見上げてくる。
「ミア、巻き込んで、ごめん。帰れないかもしれないのに」
「違うよ。ボクの意志で来たんだから。元々、来るつもりだったの。昨日、いきなり、来るなって言われて、びっくりしたぐらい」
ミアがそう言って、笑顔をみせる。
うまく笑えていなかった。コーディやイネスと同じだ。
皆、わたしを不安にさせない為に――
わたしは何も考えずにここへ飛び込んでしまった。
本当にどうしてこんなことをしてしまったのか。
わたしが生きるために色々と面倒をみてくれたコーディを裏切ってまで。
前に反省したことを繰り返してしまった。
でも、”なぜか”はわかっている。
わたしはコーディとイネスとグレンに死んでほしくなかったからだ。
わたしはまた、何の根拠もなく、できると思ってしまった。
これは、勇気じゃなくて、無謀だ。
ミアは自分の意志だというけれど、やっぱり、巻き込んだのはわたしだ。
わたしの無謀な行動で、ミアを危険に晒している。
後悔しても遅すぎるけれど。
再び通路を抜けると、また、同じような広間がある。
警戒はするが、案の定、何もない。
もううんざりだった。
これはわたし達を苦しめるためなのか。
もしかしたら、本当に異空間にでも閉じ込められているのかもしれない。
相手は魔王なのだから、そんなこともできそうな気がする。
さらに続く通路を歩く。
その先にはまた、広間。
本気で閉じ込められたと考えていいかもしれない。
今度は、広間の中央に立ってみた。
何も起こらない。
「どうなってるのよ!」
わたしは叫んでいた。
声がよく響く。ここで歌を歌ったら、気持ちいいだろう。
また、静寂が訪れる。
何かが来る気配も、何かが起こる気配もしない。
「ここから出しなさい!」
わたしがそう言った直後、何かがひび割れるような音が聞こえた。
その音が広がっていく。周りから、ひび割れるような音が響く。
な、なに?!
わたしが上を向くと、天井が崩れてきた。
思わず、目を閉じる。
だが、特に破片が落ちてくる感じはしない。
目を開けると、崩れていく天井の破片は消失していく。
わたしとミアを残し、建物全てが崩壊していく。
床もなくなっていくが、転落したりはしなかった。
建物全てが消失すると、一瞬にして、周りの景色が変わった。
目に映るのは、豪華な部屋だった。
一間だけで、窓もない部屋だが、十分な広さがある。
緋色の絨毯が敷かれ、精緻な装飾の施された天蓋付きの大きなベッド。
何より、気になるのは、テーブルに置かれている豪華な食事。
こんな時なのに、無性にお腹が空いてくる。
椅子が二脚あり、テーブルのセッティングは、二人分。
わたしとミアの為に用意されたものだろうか。
ここが魔王城だということを一瞬、忘れかけた。
状況を考えれば、閉じ込められたということだろう。
「メイ、食べていいのかな?」
今まで黙っていたミアがおずおずと聞いてくる。
「うーん、どうだろう」
食べろと言わんばかりの食事。普通に考えれば、懸念しかない。毒が入っていても不思議ではない。
でも――
先ほどの魔法にしても、魔王の力はかなりの物だ。
そんな魔王がそんなことをするのか。
「そうね。せっかく用意してくれたんだから、食べちゃおう」
ミアはきらきらの笑顔を見せた。
わたし達は席に着き、食事を始めた。
食事は上品にセンス良く盛り付けられていて、非常においしい。
「おいしい」
わたしとミアの声がハモる。
もしかしたら、これは最期の晩餐的な?
と思わなくもない。
それにしても、待遇がいい。
捕らえておくなら、何もない牢とかでもいいはず。
それなのに、豪華な部屋に食事付き。
魔王が一体何を考えているのか、見当がつかない。
勇者パーティがどうなったのかもわからない。
案外、わたし達と同じように歓待?されているのかもしれない。
どのみち、この部屋からは出してもらえないのだろう。
食事の後、ベッドに腰かけ、そのまま、ベッドに倒れこんだ。
「あっ! メイ」
ミアがわたしを呼ぶ。
「ドア開いたよ」
起き上がり、視線を向けると、開かないと思っていた部屋のドアが開いていた。
「えー、どうして?」
「普通に開いたよ。鍵も掛かってなかった」
「えー」
本当に魔王の考えがわからない。強者の余裕なのかもしれない。
部屋から外を覗いたが、誰もいない。
部屋の外は左右に通路が延びている。
「行くしかないか」
わたしの呟きに、
「ボクも行く」
とのミアの声を聞き、通路へと出た。
左右どちらも対称となっており、何も変わらない。
わたし達は、適当に思うまま進んだ。
元の部屋への帰り方を完全に喪失した頃、今までと違い、大きな両開きの豪華なドアが見えた。
大きすぎて、開けるのに、かなりの力が要りそうだ。
もしかしたら、ここが玉座の間なのかもしれない。
この向こうに魔王がいるかもしれないのだ。
そう思うと、行かないわけにはいかない。
ドアの前に立ち、開けようと、ドアに触れると、ドアは独りでにゆっくりと開いた。




