20話 別れ
日が昇る頃、わたしは目を覚ました。ミアはまだ寝ていたが、イネスはいない。
馬車を出ると、コーディとイネスの姿が見えた。
二人で何かを話している。何を話しているのかは、離れていてわからない。
顔を出した日の光が二人を照らし、長い影ができている。
すごく絵になる。恋人同士のように見える。
あそこに入って行き辛い。
どうしようとその場で佇んでいると、向こうが気付いてくれた。
「メイ! 何しているのよ! こちらに来なさい」
イネスがわたしを呼ぶ。
見つかってしまったものは仕方ないな。
そう思い、二人の元へ駆けた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
コーディが爽やかな笑顔を向けてくる。
眩しくて目を僅かに逸らした。朝の光もだけれど、コーディが格好良すぎる。
いつまでも見惚れてしまいそうだ。
「はい。おはようございます」
「今日の朝の訓練は仕方なく、コーディも一緒よ。まったく……」
爽やかな朝にもかかわらず、相変わらずのイネスの無愛想な口調。
本当に相変わらずだ。
今日でわたしの彼らとの旅が終わってしまうとは思えないほどに。
それでも、明日にはわたしを残し、彼らは王国との境界を越えていく。
悲しくて泣いてしまう。
わたしをまた、一人にしないで!
そう叫んでしまいそうだ。
もちろん、そんなことはしない。泣くつもりもない。
わたしは強くある。弱い姿は見せない。
わたしは笑って彼らを見送る。
わたしは笑顔を作った。
「ぼさっとしないで、あまり時間もないから、早速始めるわよ」
わたしの感傷は無視して、イネスは軽く体を動かす。
わたしも真似をする。
「それじゃあ、まず、素振りね」
「はい!」
三人で並んで、剣の振り下ろしを繰り返す。
この頃はいつも、コーディはグレンと手合わせをしている。
今日は最後だから、コーディはわたしに付き合ってくれるのだろう。
姿の見えないグレンはふて寝でもしているのか。
「メイ、脇が甘くなっています。集中してください」
コーディから指摘が飛ぶ。
他のことを考えていたことはバレバレだった。
剣術に関しては、コーディも全然甘くない。寧ろ、厳しい。
わたしは二人から散々注意されることになった。
しかも最後だからか、イネスの指導はさらに熱が入っている気がする。
いつもより二倍疲れた気がする。
正直、イネスが厳しい分、コーディは甘やかしてくれてもいいと思う。
わたしがぐったりしていると、
「メイ、おはよう」
眠そうに眼を擦りながら、ミアが近寄ってきた。
狼だからか、ミアは朝が苦手だ。
眠そうな様子が可愛い。癒される。
「大丈夫? もう、朝食だよ、メイ」
「ミア、やさしい。わたしのお嫁さんにほしい」
「メイ、馬鹿なことを言ってないで、いつまで座り込んでいるつもりなの?」
目の前に立ったイネスが見下ろして言う。
「はい……今すぐ立ちます」
わたしは言葉通り立ち上がり、おずおずとそのイネスに言う。
「もう、終わりですよね。もう朝食ーー」
「仕方がないわね」
わたしが言い終わらない内に、イネスはそう言うと、馬車のある方へと歩いていく。
イネスはコーディをぎろりと睨んでから、なぜか、思いっきり、ため息を吐いた。
「本当にあなたは、だめね」
コーディに向かって、捨て台詞まで吐く。
コーディは困ったような顔をする。
イネスは女同士での二人の訓練を邪魔されたくなかったのか、わたしには何がだめなのかよくわからない。
「おい! メイ! お前のせいで、俺の朝の修練ができなかっただろうが」
どこにいたのか、イネスと入れ替わりに姿を見せたグレンに急に怒鳴られた。
朝から、びっくりするからやめてほしい。
「わたしにはイネスがいましたので、コーディを連れて行ってくれてよかったのですけど」
正直言って、二人も鬼教官はいらなかった。鬼ーっと叫びたいくらいだった。
きっと、グレンが割って入ってこなかったのは、コーディがそう決めたからなのだろう。
もう何日間か一緒にいて、わかったのは、グレンは悪人ではない。
ちょっと傲慢で、ちょっと偏見が強くて、世間知らずの貴族の御坊っちゃんなだけだ。
わたしに文句を言ったり、怒鳴ったりはするが、暴力は振るわない。
しかも、何気にわたしとの約束は未だにきっちり守っている。
約束を守るのは好感が持てるが、だからといって、友人にしたいかと言えば、かなり迷う。
まあ、グレンもわたしを友人にしたいとは思わないだろう。
「グレン、今日は悪かった。埋め合わせはするよ」
コーディがグレンに声を掛ける。
グレンはそれ以上は何も言わず、馬車に向かっていく。
「僕達も行きましょうか」
「メイ、お腹空いたね、急ごう」
「うん」
わたしは返事をすると、コーディ、ミアと共に、馬車へと歩いた。
そして、その夕刻。
わたし達は境界とは目の前の監視施設へと到着した。
王国との境界、そこには、巨大で真っ黒な両開きの扉があった。
想像とは違った。川とか、洞窟を通っていくのかと思っていた。
圧倒されるような扉。あの扉が明日、開くのだろうか。
わたしは驚愕してその扉を見ていた。案内係の人に声を掛けられるまで。
わたし達はこの施設でも歓待を受けた。この施設の運営は軍が行っているそうだ。その長官自ら、出迎えてくれた。わたしは言葉を交わすことはなかった。
その後、五人で食事を取る。それに、こんな辺鄙なところだが、食事は豪華だ。到着を見こして、用意してくれていたのだろう。
それなのに、食事中は無言だった。これまで、会話が弾むと言わないまでも、多少の会話はあった。
境界を目の前にして、実際にあの扉を見て、緊張しているのだろう。
私以外の四人は、明日、この王国を出て、魔王の元に向かう。この先、どうなっているのかも、魔王がどんなだかもわからないらしい。不安しかない。
食事の後、コーディに呼ばれた。
部屋も豪華とは言えないまでも、瀟洒な造りとなっている。
「約束通り、あなたはここまでです」
コーディにしては、冷たく言い放つ。
「はい」
「ミアも連れて、聖騎士と共に戻ってください」
「ミアも聖騎士も行かないんですか? えっ?! たったの三人で?」
コーディは衝撃的なことを言う。
「三人で十分です。ミアも来る必要はありません」
「ですが、三人だけで、魔王を討伐なんて、無茶です」
「魔王を討伐するわけではありませんので、三人だけで十分なのです」
コーディの言葉は理解できない。
コーディがふざけているとかそんなことはない。至って、真面目だ。
討伐しないなら、平和的に話し合いに行くのだろうか。
「? どういうことですか?!」
「そのままの意味です。魔王を倒すことはできません」
「いえ、意味がわかりません。勇者は魔王を倒すものですよね?」
「――勇者は魔王に捧げられる生贄なのです。境界を越えると、生きては帰れません」
勇者は生贄――
コーディは何を言っているのだろう。
「生贄? 勇者が生贄? 生きては帰れないって、どういうことですか?!」
「30年間隔で、魔王は生贄を要求するのです。生贄は、魔力の高い者を最低三人。それがなされなければ、扉が開かれ、大量の魔獣が解き放たれるという話です。なされれば、その後30年の平穏が保証されます。ずっと、繰り返されてきたことです。戻ってきた勇者はおりません」
「そんな……それは、グレンやイネスも知っていて……」
「当然です。僕達は覚悟の上です」
コーディが冷静に言う。
「でも、コーディは、強制されたわけではないって」
「グレンやイネスが神託によって、選ばれたときに、覚悟は決まりました。それに、僕が行かなくても、別の誰かが行くことになったのです」
「神託って」
「神託は、神が勇者を選びその意を伝える言葉――そんなものは出鱈目です。選ばれるのは、魔力が高く、都合の悪い者。言わば、厄介払いなのです」
「イネスがどうして、選ばれるんですか?」
「女性の聖騎士はおりません。道楽として、剣術を習っているだけならよかったのです。それが、騎士学校で三席となり、聖騎士となる可能性が出てきたのです……」
「そんな……イネスは努力してきたはずなのに」
「仕方のないことなのです。選ばれてしまった以上、覆ることはありません」
「でも……」
「僕達のことは忘れて、あなたは生きてください」
「生贄なんて、そんなの間違ってる」
「……」
「どうにかならないんですか!?」
「仕方ないのです! どうしようもありません!」
コーディが声を荒げる。
「コーディ……」
「申し訳ありません。あなたは部屋に戻ってください」
コーディは俯き、わたしと目を合わさない。
コーディの様子は明らかに今までとは違う。
それは当然だ。明日、生贄になるなんて――
わたしは目を合わせないまま、コーディの手を取った。
アリシアがわたしにしてくれたみたいに、コーディの手を両手で挟む。
わたしの手では大きなコーディの手を包めなかった。
コーディが、イネスが、グレンが無事に戻ってこられるように。
わたしは祈った。
コーディの手を離すと、わたしはすぐに自分の部屋へと戻った。
コーディの顔を見られなかった。
その日、中々、眠ることはできなかった。
朝、別れの日だ。
朝食は五人でテーブルを囲った。
誰も何も話さない。陰鬱な雰囲気が漂う。
わたしも何の話をすればいいかわからない。
ただ黙々と朝食を食べた。
会話もないまま、わたし達はその時を迎えた。
施設を出て、黒い扉の真正面に立つ。
朝日がやけにきれいだった。
目の前には、これから扉の向こうへと旅立つ三人がいる。
わたしとミアは聖騎士達と共に、三人を見送る。
すると、音もなく、黒い巨大な扉がゆっくりと独りでに開いていく。
わたしはその光景をじっと見ていた。
扉は、三人が十分通れるぐらい開くと、止まった。完全に開くわけではないようだ。
扉の向こうには何も見えない。ただ黒かった。
先の見えない、あんな闇の中へと自分の足で向かうなんて……
足が竦む。
不安で不安で仕方ない。
自分の鼓動の速さを感じる。
あれを越えたら、戻れない。
きっと、死が待っている。
これから、あんなものに向かっていく三人の姿を闇を背景に見る。
止めなくてはいけない。
でも、わたしは突っ立ったまま、何もできない。
仕方ない。仕方ない。仕方ない。
わたしは――。
三人を犠牲にして、平穏を得る。
仕方ない。魔王は倒せない。それしか方法がない。そうしないと、魔獣が襲ってくる。大勢が死んでしまう。
全てを知って、わたしは三人を見捨てている。卑怯だ。やっぱり、わたしは最低だ。
胸が詰まる。
これは、罪だ。人を見殺しにする。
扉がわずかに開いた状態で止まった。
中は、ただ、黒い。
聖騎士の一人、一番年長者だと思われる男が一歩、前に出る。
「勇者殿、役目を果たされますよう、ご活躍を祈っております。どうぞ、ご武運を」
白々しく聞こえる言葉だ。
役目は生贄。死んでくるようにということだ。
「行くぞ」
グレンの声が聞こえた。
グレンは向きを変え、闇に向かって歩き始める。
コーディとイネスがわたしとミアの方に顔を向ける。
二人はぎこちなく笑ってみせた。
すぐに、闇に向かい、グレンを追っていく。
三人が遠ざかっていく。
三人の姿が溢れた涙で歪む。
三人とは昨日の夜から一言も口を利いていない。
いやだ、こんなの!
闇の前で一瞬立ち止まり、グレンがその中へと入っていき、姿が見えなくなった。
そのすぐ後、コーディとイネスの姿も消えていく。
三人の姿が完全に見えなくなると、扉がゆっくりと閉まり始めた。




