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魔王の裁定  作者: 有野 仁
第1章
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2話 檻の中……

覚醒とともに目を開ける。

すっかり眠ってしまっていたと気付く。

それともう一つ気付いたことがある。

今いる場所はあの森の中の道ではなく、建物の中だった。

体の下は土ではない。硬く冷たいことに変わりはなく、床に転がされていた。

上半身を起こす。

室内は薄暗いが、室内全体の様子はわかる。

家具などは何もない殺風景な部屋だった。

窓は木で打ち付けられているようではあるが、わずかに光が差し込む。

光は灯りではなく、太陽光だった。

日没が近かったことを思うと、その光は明らかに日没前のそれではない。

すでに夜が明けている。

翌朝まで寝てしまっていたのだと思い当たる。

立ち上がって、もう一度周りを見た。

特に蹌踉めいたりしないのは、一晩寝て、すっかり熱が引いたからだろう。

その時、ドアの前に食器が1つ置いてあることに気付いた。

食器を持ち上げる。中には、液体とわずかな具が入っている。

スープだろうかと、その匂いを嗅いでみた。

変な匂いはしない。というより、ほとんど匂いがしない。

野菜のような具といい、間違いなくスープではあるのだろう。

すっかり冷めてしまっているが。

1人しかいない部屋の中に置いてあるということは飲んでいいってことよね。

恐る恐る口を付けた。

おいしいとは言えないが、スープに違いなかった。

かなり薄く、ちゃんと味付けができていない。

毎日、お弁当を作っている身としてはちょっと許せない出来のスープだった。

もらっておいて、文句を言いながら、結局、飲み干した。

あー、助かったー。

心の中で呟く。

そこでふと自分の恰好に考えが至る。

ブラウスは着ておらず、下着の上にブレザーを着ている。

あらためて見ると、あんまりな恰好だった。

運んでくれた人に見られただろうことを思うと、どこかの穴に入ってしまいたい。

幸いなことにバッグも部屋に運び込まれていた。

バッグに結びつけられたままのブラウスを解き、すぐにブラウスを着た。

皺が付いている上に、生乾きの匂いがするが仕方ない。

次に行動を起こす。

すでに目にしていたドアだ。

1回躊躇して、ドアノブを回そうとするが、回らない。

というより、回すタイプのドアノブではなかった。

ドアは押しても、引いても、開かなかった。

鍵が掛けられているのだろう。

しかも、外から。

「誰かいませんか」

意を決して、声を上げるが、何の応答もない。

耳をすましても、何の音もしない。

そもそも、近くに人の気配がない。

えっ、放置? えっ?

ドアをドンドンと叩き、先ほどより大きな声を出す。

「誰かいませんか!」

反応はない。

まさか、助けるだけ助けておいて、わたしのことを忘れて、どこかへ行ってしまった?

そんなまさか!

ただ、近くに人がいないのでは、このまま声を出していても意味はない。

とりあえず、座って壁に凭れた。

きっと誰か気付いてくれる。

楽観的に考えることにした。

それよりも喫緊の課題がある。

考えないようにしていたが、どうしても考えてしまう。

トイレに行きたい。

「お願い! ここから出してー!」

叫んでも、やはり反応がない。

結局、しばらくの間、我慢するしかなくなった。

ようやく、人の足音が聞こえてきたのは、どれくらい経ってからか。

信じられないほど長く感じたが、実際には1時間経っていない。

もう限界だった。

「誰か!」

切羽詰まり、ドアに飛びついた。

ドアを勢いよく叩く。

「起きたのか」

忌々しげに呟く男の声がした。

ドアが開かれ、男と目が合った。

「やけに生きがいいな。もしかしたら、死んでるかと思ったが」

ふいに男が手を伸ばし、わたしの左腕を乱暴に掴む。

男が間近に迫った。

ドアの外からの光を背に受け、影ができているが、見上げると顔は何とか見えた。

20代ぐらいの年齢の目つきの悪い男だった。

体つきは筋肉質でがっしりとして、おまけに長身で、威圧感がある。

服装も野卑な印象を拭えない。

親切で助けてくれたとはどうしても見えない。

見かけで判断するのはよくないと思うが、思わず、後ずさりしたくなる。

声を発しようとしたところ、男はわたしの腕を勢いよく、床に投げるようにして離した。

床に叩きつけられて倒れ、小さく呻いた。

「汚ねぇガキだ」

吐き捨てるように男が言う。

情けなくて、悔しくて、起き上がれない。

生暖かく濡れた下半身の感覚がより一層、惨めにさせた。

「いい値は期待できねぇな」

「……」

何も声が出なかった。

男の顔を見ることもできない。

「大人しくしてろよ。そうすりゃ、少しはましなとこに買われんじゃないか」

男はそれだけ言うと、ドアを閉めた。

鍵を掛ける音がする。

さすがに理解していた。

人身売買の再現ドラマを思い出した。

それよりはわずかにましな気はした。

ずっと打ちひしがれて床に寝ているわけにはいかない。

這って壁に寄り、壁に背を預ける。

濡れた下着とスカートが気持ち悪い。

どうしよう……

男の顔は明らかにアジア人の顔ではなかった。

それでも言葉はわかる。

外国に売られるのだろうか。

考えれば考えるほど、不安になる。

どうしよう……

無為に時間を重ねた。

夕方近くになって、再び、足音が聞こえる。

身を硬くして、息を潜める。

足音は一人分ではない。

数人の足音が聞こえている。

この部屋の前で足音が止まる。

鍵を開ける音がして、ドアが開いた。

次の瞬間、誰かが部屋に投げ込まれた。

「ぅ……」

その人物が呻いた。

長い髪の女性だった。

すぐにばたんとドアが閉められ、鍵の掛かる音を聞く。

わたしはその様子を無言で見ていた。

倒れた女性が身じろぎして、上半身を起こす。

女性と目が合った。

女性は驚いたような顔をしたのも束の間、再び、表情を失くす。

沈黙が部屋を支配していた。

しばらくすると、また、誰かの近づく気配がする。

同じようにドアが開かれた。

「食事だ」

と一言。

部屋の中には、グラスが2つとパンが2つ置かれた。

置くとすぐに男は立ち去った。

男の気配がなくなっても、女性は動かない。

わたしは四つん這いで食事の元に向かい、木製のグラスに入った水を一口飲んだ。

座り込んだままの女性を伺うが、見向きもしていない。

「食べないんですか?」

潜めた声で女性に話しかける。

女性は一瞬、わたしに顔を向けたが、俯き、首を横に振った。

拒否の意思を示していたが、わたしは口を付けていないグラスとパン1つを持って、女性の傍に置いた。

自分のグラスとパン1つを持って、女性と反対側の壁沿いに座った。

こんな状態でもお腹は減る。

わたしはパンに齧り付いた。

馬車から投げられたパンと同じように硬くておいしくないパンだった。

「食べたほうがいいと思いますよ」

おずおずと女性に言った。

女性はわたしより、2、3歳年上ではないかと思う。

大人しい印象の女性だった。

女性の境遇はわたしと同じ。

女性はわたしの言葉に首を横に振るだけだった。

彼女の気持ちはわかる。

わたしには女性が運命を受け入れ、全てを諦めたように感じた。

逆に、わたしには諦めたくないという思いが湧いた。

もしかしたら、逃げるチャンスがあるかもしれない。

逃げるときは、彼女も一緒に。

「わたしは、逃げてみせるわ。諦めない」

俯く女性に言った。

女性は顔を上げて、わたしを見た。

何か言いたげにしながら、彼女は何も言わない。

「諦めないでよ。わたしとここから逃げ出そうよ」

「……」

女性がわたしから視線を外した。

「何か言ってよ」

わたしは呼びかける。彼女が答えてくれるまで。

「――むりよ」

消え入りそうな微かな声が聞こえた。

「そんなことない。諦めなければ」

確かに、具体的なことは何も言えない。

どうすればいいかなんて、何もわからない。

それでも、諦めたくない。抗うことなく、こんなことを受け入れたくない。

ふつふつとそんな思いが湧いてくる。

「だめ……やめて……」

女性が訴えかけるような眼差しを向けてくる。

女性の声は掠れて、聞き取りづらい。

「どうして、逃げ出そうとしないの? こんなの間違ってるのに」

「だめよ……」

「どうして?」

「私は……別の女性と一緒にいて……」

女性は言いあぐねるように、言葉を切る。

「逃げようと、抵抗したその人は……」

女性はそれ以上のことは言わなかった。

わたしは無神経なことを言ってしまっていたのだと後悔した。

わたしと同じではなかった。

でも、それでも、諦める理由にはならない。

「ありがとうございます。でも、やっぱり、諦められないです」

女性は押し黙ったままだった。

やがて、部屋は、日が沈み、真っ暗になる。

森の中と同様、何も見えない。

もう一人、この部屋にいるはずであるが、それは窺えない。

しんと静まり返る室内はまるでわたし一人しかいないかのようだった。

室内で食事も用意されることを思えば、森の中よりましかもしれない。

そんな、自分でも馬鹿だと思うようなことを考える。

この部屋にいる以上は、大人しく朝を待つしかない。

逃げるチャンスは移動するときじゃないかと思う。

どう動けばいいかなんて、全くわからない。

何かいいアイデアとか、全く浮かばない。

ただ、チャンスだけは絶対に逃してはならない。

やっぱり、決断。決断が重要なのよ。

後は、度胸とか。

冷たく硬い床に横たわった。

沈黙の室内に、衣擦れの音がやけに大きく聞こえた。

寝心地は最悪だった。

それでも、寝ないといけない。いざという時の為に。

汚れた服も、とりあえず、今は気にしない。

横になったからといって、すぐに眠れるわけではなかった。

目を閉じて、楽しいことを考える。

1週間後には、読んでいた小説の最新巻が発売される。

楽しみで、もう一度、最初から読み直したほどだ。

続きはどうなるのだろうと、想像を膨らませる。

そうしているのが、わたしの部屋のわたしのベッドの上のように。

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