122話 フォレストレイ侯爵
やがて、馬車が停車する。ただ、馬車のドアは開かないし、一緒に乗っているメルヴァイナ、ライナス、リーナ、ティムは動こうとしない。
「今は、侯爵邸の門前でしょう。しばらく、お待ちください」
メルヴァイナがわたしの疑問に答えてくれる。
そう言えば、訪問の約束なんてしていないだろう。入れてもらえるんだろうか。
なんて思っていると、馬車は動き出した。
次に停車したときには、ドアが開いた。先に4人が馬車を降り、わたしが降りるときには、ルカが手を差し出してくる。
独りで降りられるのに、と思いながらも、わたしは手を預けた。
ここで転ぶと、かっこ悪すぎる。魔王としての威厳とかがまずいと思う。
失敗してはいけないと思うのがいけなかったか、ちょっと躓いた。
全力で誤魔化したし、ルカは何事もないように振舞ってくれた。
目の前には、豪華なお屋敷、わたしは怯みそうになる。
屋敷自体はゼールス卿の屋敷の方が大きいように思うが、それでも、これから、わたしが主体で侯爵と話をしなければならないと思うと、だめだ。
ちょっとトイレに行きたくなってきた。でも、まさか、そんなことを言えるわけがない。
「すぐにフォレストレイ侯爵にお目通りをお願い致します。我が国の王族のお方にございます。ウォストデール公爵からの紹介状を預かっております」
ルカが出迎えてくれた(歓迎してくれているとは思えない)執事だと思われる男性に宣言する。
多分、他人の家でかなり礼儀知らずの振る舞いじゃないかと思う。しかも、ここはコーディの実家だ。
あぁぁぁぁぁぁぁぁ――
わたしの頭の中でわたしの絶望の声が響いている。
わたしにルカのようなそんな度胸はない。
「私の主を待たせるのですか?」
ルカは、柔らかい物腰で言っている。わたしからルカの表情は見えない。ただ、何だか不穏だ。
「お待ち下さいませ」
男性が屋敷の中へ消えていく。
門は通してもらえたものの、完全に不審がられているだろう。
しばらく、ここで待っているのかと思っていたが、ルカはとんでもないことを言い出した。
「では、参りましょうか」
「えっ……」
ルカは当惑するわたしに素晴らしい笑顔を向け、ごく自然にわたしの手を取る。
さっきの人を待ってなくていいの? というか、待ってないとだめだと思う。
すると、変な感覚が襲ってきた。
ちょっと気分が悪くなるような、少し体が浮き上がるようなそんな感覚だ。
目の前には、先ほどの男性の姿が見え、その男性は扉に向かって呼びかけていた。
明らかに、場所が変わっている。転移魔法とは違うように思う。
どちらかと言えば、高速で移動したような感じだ。
「こんな時間に約束もなく、申し訳ございません。至急、面会したいと私の主が申しております」
急に、メルヴァイナが声を上げた。
メルヴァイナは、すかさず、わたしの手を引き、扉の前の男性を押しのけ、扉を開け放つ。
えぇぇぇぇ……
わたしの当惑にはお構いなしで、
「さあ、メイさま。あちらがフォレストレイ侯爵だそうですよ」
とメルヴァイナがわたしに耳打ちし、背中を押す。
もう、どうとでもなれと、わたしは前だけを見て、フォレストレイ侯爵を目指して進む。
「私は、魔王国女王、メイ・コームラ」
侯爵の前で、できるだけ大きな声を出した。
そこに誰がいるのか、全然確認していない。確認するのが怖かったからだ。
無になるのよ。わたしは何も考えない。見えてない。
それでいいのよ、今は。
「あなた方が恐れる黒門の向こうの主、魔王様ですわ」
直ぐ後ろから、メルヴァイナの声が聞こえてきた。
先ほどとは違い、かなり尊大に聞こえる。
もう、穴があれば、すぐに潜り込みたい。
もう、今すぐ、暗い隅で蹲っていたい。
まあ、逃げ道がないことぐらいはすごくよくわかっている。
そして、わたしの目はしっかりと見えている。
目の前には、貴族にしては、体格のしっかりした強そうな男がいる。
負けてはだめだ。わたしは平静を装う。
そこでようやく、周りの様子を窺う。
誰かよくわからない二人の若い男、それと、コーディがわたしを見ていた。




