10話 襲撃
その夜は、剣術の訓練の疲れで、早くにベッドに入った。
その後をほとんど覚えてないので、すぐに寝てしまったのだろう。
わたしはわずかな息苦しさを感じて、目を覚ました。
暗闇の中、すぐ傍に、人の影がうっすらと浮かぶ。
その影は、わたしを見下ろしているようだった。
恐怖に身が竦む。金縛りにでもあったかのように、逃げなければと思っても、体が動かない。
その人影は、私の上に手を翳す。
その手が微かに淡く光ったのと同時に、激痛が体を走った。
まるで全身を釘で穿たれたような、そんな鋭い痛みだ。
ただ、その痛みはすぐに治まった。一体、何が起きたかわからない。
人影はバルコニーへと続くガラス戸の方へ消えていく。
わたしは傍にあった花の活けてある花瓶をその方へと投げつけた。
ガラス戸の割れる盛大な音が響いた。
わたしは呆然とベッドの上で座り込んでいた。
何が何だかわからない。ひどく不安だ。
その時、ドンドンとドアが強くノックされているのに気が付いた。
「どうかされましたか?!」
聞き覚えのある女性の声がする。お世話になっているメイドの人の声だ。
「メイ様!」
返事をしなければならない。
そうは思うが、声が出ない。
あの人影はもういないのだろうか。
暗くてよく見えない。
「メイ様!」
わたしは一体、どうなったのか。何をされたのか。
何もわからない。
「メイ! ご無事ですか!?」
コーディの声が聞こえた。
「メイィィ!!」
ミアの声もする。
「メイ様! お部屋に入らせていただきます!」
メイドの人の声が響く。
ドアが開き、複数の足音が聞こえてくる。
寝室のドアも開けられ、部屋に人が入ってくる。
部屋には灯りがともされた。
わたしはベッドの上でそれを見ていた。
「メイ! 何があったのですか!?」
コーディが血相を変えて、わたしの傍に来る。
「コーディ……」
「どうされたのですか?!」
「誰かがいて……わたしに魔法を……」
あれは、きっと、魔法だ。
「お怪我はありませんか」
そう言うと、コーディはふいに視線を反らせた。
「その……」
コーディは言い難そうに口ごもった。
わたしは自分の体を確認した。
特に血は出ていないし、怪我もしていないように思う。
痛みも全く感じない。
ただ、パジャマ代わりにしていたゆったりしたワンピースはずたずたになっていた。
とても人に見せられる姿ではなかった。
わたしが座っているベッドも穴が無数に開き、ひどい状態だった。
コーディは自分が羽織っていたガウンをわたしに掛けてくれた。
ひどい姿を見られたことは忘れることにした。
「メイ、大丈夫?」
髪に寝ぐせをつけたままのミアが心配そうに見つめてくる。
「もう、大丈夫」
ミアはゆったりした薄いピンク色のフリルの付いた可愛いワンピース姿だ。
まだ深夜だと思われる。皆、寝ていたところ、音を聞いて、駆けつけてくれたのだろう。
コーディもいつもと違い、ラフな格好だが、しっかり剣は持って来ている。メイドの人もゆったりした白いワンピースにナイトキャップをつけたままだ。
だんだんと落ち着いてきて、周りの様子も見られるようになった。
ひどかったのは、わたしの服とベッドと割れたガラス戸だけだ。
バルコニーにはガラスが散乱しているだろう。
「コーディ! こんなところにいたのか!」
そこへ、グレンが飛び込んできた。
その後ろには、イネスもいる。
グレンの左腕の服が割けて、血が出ているのが見えた。
「襲撃だ! お前は大丈夫だったか?!」
「僕は問題ないが、メイが襲われた」
「え?! メイは無事なの?!」
イネスがわたしに視線を向ける。この時のイネスの口調はいつもの淡々としたものではなかった。
「特に怪我はなさそぅ……」
微妙に歯切れの悪いコーディの返答に微かに首を傾げたイネス。
まあ、その辺りは気にしないでおこう。
グレンはある意味で人に見せられる姿ではない。怪我がひどいのではなく、グレンの服のチョイスの問題だ。
こんなときなのに、思わず笑ってしまいそうになった。
訂正。わたしは吹き出していた。
そして、ばっちりとグレンと目が合ってしまった。
「お前、俺を笑っただろう! 平民のくせに! 自分は無傷だったのに、俺は怪我をしたと馬鹿にしているんだろう! 貴族を侮辱してただで済むと思うなよ!」
と、見当違いのことを言い出した。
「ち、違います。笑ったのは申し訳ありませんでした。けど、あまりにもその服が――」
また、笑い出しそうなのを堪え、言葉が続かない。
「ええ、グレン、確かに、それはどうかと思うわ」
イネスが同意してくれた。
イネスが着ているのはおそらくミアとお揃いのワンピースだ。羨ましい。
「イネス、お前はわかっていない。平民のセンスは、可哀そうになってくるな」
グレンは、わたしを見ながら、小ばかにしたように鼻を鳴らす。
「グレン、それで、襲撃というのは」
コーディが本題に戻す。
「相手はわからない。取り逃がした。だが、確実に俺を殺そうとしていた。もしかしたら、お前の元にも、と思ったがな」
「……この部屋は元々、僕が使うつもりだった」
「そうか、お前が無事でよかった。あの平民はお前と間違えられたわけだ。少しは役に立つ」
「グレン、黙って。また、襲撃の可能性があるわ。部屋を変えてもらいましょう」
イネスはいつもの口調に戻っている。
「メイ、申し訳ありません。あなたをここまで関わらせてしまって。恐ろしい思いをさせてしまいました」
コーディは非常に申し訳なさそうにしている。
「もう、平気です。わたしに怪我はありませんし」
「メイ、今日は一緒に寝ましょう。不安なら、コーディやミアにもついていてもらうわ」
平気とは言ったが、一人では不安は不安なので、このイネスの申し出はうれしかった。
「はい。お願いします。でも、さすがにあのベッドに四人で寝るのは狭すぎませんか」
「……四人で同じベッドには寝ないわ、メイ。二人だけよ。コーディとミアにはソファで寝てもらうから。希望ならコーディとベッドで寝てもいいわ」
「さすがに僕とは。イネスと」
コーディには冷静に拒否された。
それはそうだろう。それはイネスのコーディへの当てつけのように感じた。
「おい! 俺だけ、無視するなんて、許せないからな!」
と、グレンが怒りの声を上げている。
「わたしは、イネスとミアがいてくれれば、大丈夫です。コーディはグレンといてあげてください」
コーディとは距離を取ると決めたばかりだ。それにわたしに不満しかないグレンはコーディに対処してもらった方がいい。
「ええ。そうと決まれば、行くわよ。メイ、ミア」
イネスはそそくさと部屋を出ていく。
わたしとミアは急いでその後を追った。残っても、面倒にしかならないと感じた。
「どうして勇者を狙うんでしょうか? 個人的にグレンに恨みがあるんでしょうか?」
やっと、部屋に落ち着けて、わたしはイネスに尋ねた。
「グレンが恨まれている可能性はない話ではないわ。ただ、どちらかといえば、勇者だから、というように思えるわ。理由まではわからない。魔王信仰というものはあるらしいけれど、そこまでするとは思えない」
「この先、大丈夫なんですか?」
「騎士になる為に努力してきたわ。負けたりしない」
「そうですね。むしろ、この先、わたしの方が大丈夫かって思います。もうじき、仕事の面接ですし」
わたしの肩にミアがコトンと倒れてきた。
静かだと思っていたら、ミアはすっかり眠ってしまっていた。
「もう寝るわ」
イネスがミアをベッドに寝かせる。
「あの、実は、着ていた服がボロボロになってしまって」
わたしはガウンの前を開け、少しだけ、その服を見せた。
「ひどいわね。待ってて」
イネスが部屋を出ていった。
しばらくして、持って来てくれたのは、イネスやミアとお揃いのワンピースだった。
「それはあげるわ」
「ありがとうございます」
わたしは早速、着替えようと、ガウンを脱いだ。
改めて見ると、本当に酷すぎる。裸と変わらない気がする。
脱ぐというよりは、剥ぎ取って、もらったワンピースを着た。
わたしには少し長いが、それは仕様がない。
「イネス、これをコーディに借りていたんですけど、返しておいてもらえませんか」
わたしはイネスに畳んだガウンを渡した。
「わかったわ」
「イネスは、コーディのこと、どう思って?」
「コーディは本当に煮え切らないわ。気遣いすぎて疲れないのかしら。本当に馬鹿なのだから」
それは、コーディからの愛の告白を待っているということだろうか。
わたしはお似合いな二人を応援したい。
この先の旅でうまくいくことを祈る。
というより、コーディも早くイネスに伝えればいいのに。イネスの言う通りだ。




