ー 8 ー
気持ちが落ち着いたのは、目に入ったダイナーに駆け込んで熱いコーヒーをすすってからのことだった。すでに宵闇が迫り、窓の外は青く沈み始めている。
衝撃は消えなかったが、私は考えを止めなかった。
あの薬との関わりは偶発でも強制でもなく、生き延びるために――― あるいは他の理由から、先生が自分で選んだのかもしれない。
だから最後の幕も自分の手で引いた。おそらくはもっと早くにと思い続け、しかしどうしてもできなかったのではないか。
残る謎は一点だった。
先生は私にどんな魔法を望んだのだろう?
ただ知って欲しかったのか。それとも代わりに罪を暴いてくれというのか。
長い時を越えてこれほど難しい問題を出されるとは思ってもみなかった。しかも、答えに点をつけてくれる人はもうどこにもいないのだ。
二杯目のコーヒーを頼むと、あたりはすっかり暗くなっていた。
予定ではそろそろ家に着いている時間だ。私は妻に連絡するため立ち上がり、カウンター脇の電話へ向かった。
長いコールの後で彼女が出た。あと一時間かかると伝えると、「よかった!」との答えが返ってきた。
「ああごめんなさい、夕飯なんにもできてないの。ゲストの教授がコメディアンみたいな口達者でね、受講者も大受けで延長に次ぐ延長……」
ビビは町の施設で市民講座の運営を担当している。そこが私たちの出会いの場でもあるが、いたって事務的な初対面だったので、後々こうなるとは思いもしなかった。
「こっちは安全運転だ、焦らないでくれ。それとも何か買っていこうか」
「それじゃあ、甘い物がいいわ。気をつけてね」
席に戻ると、さっきまで重く漂っていた過去の気配が薄れていた。ふたたびコーヒーに口をつけガラスに映る自分を眺める。
若さはとっくに去って、老人まではまだ遠い。
私も妻もそんな年齢だ。遅い結婚になったが二人で過ごす日々は思ったより慌しく、満ち足りていた。
「ユアン、何だか変わった。やわらかくなったわ」
ヘレナにそう言われたのは、昨日の夕食の後で皿を片づけている時だった。
そうかな、と首をかしげた私に、彼女は「そうよ?」とからかうように微笑んだ。実感はないが、きっとその通りなのだろう。私は変わった……
ひらめきに衝き動かされて顔を上げた。
卒業以来、ラッセン先生とは数度の同窓会で短い話をしたにすぎない。
彼にとっての私は、“高校生のユアン・リゲル”が大部分を占めていた。それは遺言状を書いた時も同じだったろう。
秘密を託されたのは、答えを選ぶべき者は過去の私なのだ。
まだ呼び覚ませるだろうか。
あの頃の自分がどんな感覚をもって、どう生きていたかを。