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明くる朝は、前日よりもよく晴れた。
黒っぽいワゴン車が陽光の舗装路に消えてゆき、私は森の中をぶらぶらと引き返した。はるか頭上で葉が鳴り、虫や小鳥たちの歌が響く。ラッセン先生も耳にしたであろう夏の音だ。
散策を楽しんでから居間に戻ると、朝食の片づけを終えたメイリーがロッキングチェアでうたたねしていた。
さっきまで大張り切りだったがさすがに疲れてしまったのだろう。私は静かに部屋を抜け、木目のすり減った階段に足をかけた。
先生の書斎は二階のすみにあった。
足を踏み入れると、正面の窓のすぐそこに楡の木が迫っていた。風を入れようと錠に手を触れ、森の向こうの朝の湖に目を移す。
穏やかに凪ぐ水色を眺めるうちに昨夜の会話を思い出した。
「探してほしいって?」
ばかみたいに問い返した私に、マービンは「薬です」と静かに答えた。
「水色でした。小さくて透明な壜の、アンプルって言うのかな。ずっと前に物置で見つけたから、今日出てくるかと思ったんですけど……」
「何の薬だい」
「聞けませんでした、他にも色々ひっぱり出して、叱られておしまい。僕も子供だったんで」
私からすればまだまだ子供に見えてしまうのだが、ここでは飲み込むことにした。
「いたずらなんていくつもやるだろう。それを今日まで覚えていたとは、ちょっと驚くな」
「だって本当にいつもと違ってたんです。大叔父さん、怒るっていうより雷に打たれたみたいで」
アンプルは白いハンカチに包まれた上で大きな射光壜に収められていた。そう話しながら、マービンはそこに何かがいるというふうに夜の庭へ目を向けた。
「あの時の大叔父さんは僕の知らない人だった。薬が見つかれば、それが誰なのかわかる気がする……」
ああそうか、昨夜のマービンは湖を見ていたのだ、と棚の前にかがみ込んだ私は思い至った。昨日感じた虫の知らせは少年の頼みごとにつながっていたらしい。
だが、少し大げさではないか。
先生は化学の専門家だった。強い薬剤をしまい込み、うっかり忘れていたのかもしれない。
壜の中身が何であれもう処分されているだろう、という楽観的な推測も手伝い、私は「それじゃあ、見つけたら知らせよう」と軽く約束したのだった。
両の手でそっと戸を開く。
乾いた木と、紙の匂いが広がった。
先生から後始末を任されたものは、古びて変色した書類の束だった。
多くは勤めた学校に関わる報告書、契約書の控え。公的な機関とのやりとりもあったが、ごく一般的な型どおりの文書にすぎなかった。
なぜ、これを私に?
ひたすら首をかしげながら手を動かしたが、一番下の段に取りかかると謎の一端が解けた。
「おっ、これは……」
懐かしの校章が大きく入った書類挟みを引き出し、思わず声を上げた。私も同じものを持っている、ヘレナもロードもアレックも。
中から現れたのは、卒業記念にクラスで作ったカードだった。
名前とそれぞれの一言、それから大事なあだ名が、凝った装飾文字を使って書かれている。カラフルな原本は先生へ贈り、私たちはモノクロのコピーを受け取ったのだ。
ヘレナ・バークス、マリーゴールド。心に希望と平穏を。
ロードニア・シェセリ、パラキート。きっとブティックを開くからみんな絶対来て!
アレキサンダー・ブルクニッツJr、グリフィン。栄光は挑戦の先だけに待つ。
過去の自分に触れるのは歯がゆいものだ。“ユアン・リゲル、ウィザード。世界の中心は常に端”……
思いっきり斜に構えている。
よせよ、とうめきながら、助けを求めて先生の名前をなぞった。私たちがつけた“最良の教師”という冠を頂いて、一番大きく書いてある。
カサード・ラッセン。未来。
「いつも未来を見据えていなさい。望む岸辺に行き着けるように」
と、先生の声が聞こえてきた。