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凪色の薬  作者: 小津 岬
3/9

ー 3 ー

「さあ、お礼の仕度が整ったわ。思う存分召し上がれ!」

 その言葉どおり、メイリーは六人分を優に超す量の食事を作った。空腹きわまっていた身にはちょうどよく、私たちは次々と料理を口に運ぶ。

 匂いが漂ってきた時から分かっていたが彼女の腕前は相当なもので、熱々のチキンパイをほおばったヘレナが「まあ!」と感嘆した。

「メイリー、レシピを頂けます? 下の子の誕生パーティーが近くて悩んでいたんだけど、これなら間違いないわ」

「こっちのミートボールもつけてやれ、絶品だ。家庭料理っていいよなあ」

 しみじみ感じ入るアレックに、エールのグラスを傾けたロードが苦笑する。

「なあにそれ、あなただって毎日手料理を食べてるんじゃないの」

「まさか、出張ばかりさ! 来月だって国境越えだ、あっちが祝祭期に入る前に商談まとめろってさ。おかげで娘がパパの顔を忘れるって悲劇が起こる」

 嘆き節をあげた彼を見て、メイリーが「祝祭というと、セルリゴへ? 気をつけてちょうだいね」と心配そうに言った。


 東に隣接する小国は、半世紀ほど前に革命の嵐が吹き荒れた。

 私たちにとっては生まれる前の歴史の一つなのだが、長く続いた内戦で数多(あまた)の犠牲を出したことは知っている。

 それをつぶさに見てきた世代が暗い印象しか持てないのは当然だろう。老婦人は恐ろしげに首をふった。

「あれはね、ちょうど兄さんが留学している間に起こったのよ。セルリゴを通って帰るはずが一年半も足止めされて…… 連絡も取れなくなるし、こっちも生きた心地がしなかったわ」

 その話は高校時代に聞いたことがある。

 授業は満了してしまって学校にはいられない。迂回して帰る資金もなく援助も届かず、危うく干からびるところだったと。本当に大変だった証拠として、先生はそれをたった一度、呟くようにしか口にしなかった。

 アレックはメイリーへ明るく笑いかけた。

「今はもう大丈夫、外国人が大っぴらに商売できるくらい平和ですよ。独裁が終わって本当によかった」

 ようやく思い当たった私は、

「ああ、政権交代の記念週間だったか。じゃあその間の景気は……」

と彼に向き直ったが、ラディッシュをほおばっていたロードがうるさそうに手を払った。

「政治経済よりも、新婚生活はどうなのよユアン!」


 みんなの――― 少年の視線までもが一身に注がれ、私はオニオンブレッドを喉に詰まらせかけた。

「どうって言われても、大きな変わりは…… その質問はまた今度にしないか?」

「だめ。次いつ会えるか分からないじゃない、こんなに面白い話題を逃す手はないわ」

 無情な尋問を止めてくれたのは向かいに座っていたマービンだった。意外そうに私たちを見回す。

「四人で集まったりしないの? こんなに仲がいいのに」

「なかなかね。仕事に家庭に、場所も離れて。でも会えば昔のとおりさ、ありがたいことだ」

とアレック。これにはロードも微笑んだ。

「そうそう、みんな化学が苦手なままだし。今さら隠れて復習してる人はいないでしょ、ねえ?」

 半ば本気の問いかけに私はうなずいてみせる。

「それだけはこの先も変わらないだろうな」

「あらまあ。兄さんが聞いたら喜ぶかしら、悲しむかしら」

と笑ったメイリーが、旧式のオーブンからベリーのパウンドケーキを取り出す。バターと果実の幸せな香りがダイニングに満ちると、私たちの目は子供顔負けに輝いた。



 たった一つの客室はヘレナとロードに譲り、男どもは居間にしつらえた寝床で休むことになった。エールを飲みすぎたアレックは早々に寝入ってしまい、話し相手を失った私はそっと裏庭へ下りた。

 月明かりを受けるがらくたの山は、絵本に出てくる魔王の城のようだ。そんなことを考えていると、背後で戸の開く音がした。

「ソファーだと眠れない?」

と顔をのぞかせたマービンに、私は笑って首を横に振る。

「もともと宵っ張りでね。長距離輸送だと夜通し走ることもあるよ。君は?」

「少し森を見ようと……」

 その言葉にはためらいがあった。

 問いかけとして片方の眉を上げてみせると、少年は一歩踏み出し、テラスの縁で青白く浮かび上がった。

「お祖母ちゃんが、あなたに書斎を見てもらうって言ってました。みんなには秘密だって」

 私は内心ギクリとしたが、平静を装って答える。

「ああ、車で来たから昼すぎまでいられる。残った手伝いをしてから帰るんだ」

 明日の朝、メイリーの息子のチェイスが巨大なワゴンを転がしやってくる。

 集積所までがらくたを運ぶ道々、時間に余裕のないアレックたちを駅へ送ってくれるのだった。メイリーは、マービンも積み下ろしを手伝いに行かせると言っていた。

 だから私はまったくの一人きりで先生の書斎に赴ける。

 本当の最後に残った、古い戸棚を開きに。


 先生の遺言状が思わぬ所から出てきて、そこに私の名前が記されていた、という電話を受けたのは春も終わる頃だった。

「かなり以前に書かれたものだけれど、効力はあるそうなの。それが兄さんの望みで…… 気が重いかしら?」

と、彼女はしきりに私の負担を心配したが、私は「大丈夫ですよ」とうけあった。どうして自分にと驚きこそすれ、不愉快なことは何もない。

 そしてメイリーと話すうちに物置にも手をつけようということになり、アレックたちに応援を頼んだ、という流れだ。遺言のことを隠さなければいけないのは後ろめたかったが、気がかりといえばそれだけのはずだった。

 しかし、こうして少年と向き合うと改めて胸騒ぎを覚えた。私に逃げられないためか、彼はまばたきを止めた目を注いでこう告げた。

「探してほしい物があるんです」


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