とある令嬢の意地 ~王子の婚約者候補は私だったはずなのに~
「どうして……こんなことになってしまったのかしら……」
私は高く昇った月を見上げながら、窓際に腰かける。
私の愛している彼が、突然学園を通し、貴族たちへ招集をかけた。
明日重要な報告があると……。
何の話をするのかはわからない。
だけどそこに私とあの異世界の女性、ユウリも呼ばれている。
この意味が示すところは考えるに、ユウリと婚約を宣言しようとしているのかしら。
彼を失ってしまうかもしれない、そう思うと頬に涙が伝っていった。
幼いころお城で出会った王子様。
両親が城で仕事をしている間、よく彼と一緒に遊んだわ。
手を繋いで庭を散歩したり、城壁の中を散策したり、図書館で勉強したり、彼と並んで見る世界は輝いていた。
新しい気持ちを新しい想いを教えてくれた彼は、私のヒーローだった。
恰好よくて、優しくて、物知りで何でもできる、そんな彼のお嫁さんになりたいそう思ったの。
だから私は彼の隣に並んでも恥ずかしくない、そんな令嬢をずっと目指してきたわ。
優し気な笑みで私の頭をなでてくれるその手が大好きだった。
だけど彼はこの国の第二王子、令嬢のあこがれの存在。
だからこそ必死だった。
彼の伴侶となるには、彼が18歳になるとき玉座の間で選んでもらわなければならない。
16歳で王都一の学園へ首席で入学し、たくさんいる令嬢の中で自分の地位を確立していった。
もちろん休みの日はお城へ足繁く通って、王子と仲を深め、私は第二王子に一番近いそんな存在になったわ。
婚約者第一候補だと噂されるほどに。
それだけじゃない、好きだとはっきりした言葉を聞いたわけではないけれど、大事にされているそう自負していたわ。
だから全ては順調だったはずなのに……。
でもあの日、異世界からある女の子やってきて全てが変わってしまった。
可愛らしい顔立ちに、天真爛漫な女の子。
名はユウリ、階級社会ではないそんな国からやってきた彼女。
今までに前例がなく、城の関係者はどうするべきかと騒々しくなった。
最終的に、行き場のない彼女をお城に住まわせ、第二王子の彼が彼女の見張り役となった。
彼女はこの国のことを何も知らない。
常識も知識もなく、礼儀の一つもしらなかった。
不思議なことに言葉は流暢に話せるのだけれどもね。
私が王子へ会いに行く度に、王子と楽し気に笑う彼女を目にしていた。
だけど私が声を掛ければ王子はすぐに私の傍に来てくれたの。
可愛い女の子が彼の傍にいるのは正直不安だったけれど、笑みを向けてくれる彼を見ると安心できたの。
ユウリがやってきて一年たったある日、王子は彼女を学園へと連れてきた。
今日から一年ここに通わせるのだと――――。
ユウリが学園へ通うようになると、王子は彼女に付きっ切りになってしまった。
どこへ行くにも彼女と一緒で、私を気にかけてくれなくなってしまった。
寂しい、悔しい、そんな思いが胸にこみ上げるが、何もいう事は出来ない。
だって彼女は何も知らない異世界の女の子で、彼が彼女の世話をまかされているのだから。
けれどどうしても二人の姿が目に入ってしまう。
楽しそうに並んで歩く姿。
ユウリは私達とは違い、男性へ対する距離が近くスキンシップが激しい。
王子の腕にまとわりついたり、髪をさわったりやりたい放題。
私達からすればあまりに常識外れで、はしたないそう思われる行為を彼女は平然とするの。
だけど王子は苦言を呈すわけではなく、ニコニコと彼女へ微笑みかける。
どうして……どうしてそんな笑顔をみせるの?
彼女はあなたの隣にふさわしくないわ。
この国のことを何もしらない、礼儀だってマナーだって、貴族というものだって。
二人の姿を見ていると、醜くどす黒い感情が溢れ出てくる。
王子に触らないで、そこは私の場所よ。
なんで、なんでなの?
笑いかけないで、一緒にいないで、あんな女に優しくする価値なんてない。
そうだわ、彼女に自分の立場をわからせてやろうかしら……。
そんな憎悪が心を埋め尽くしていく。
彼女の姿を見るたびに、この学園から追い出してやろうと、権力でひれ伏させてやろうと、そんな強い感情が芽生えるの。
だけど私は必死に耐えたわ。
だってこの行為は、彼の隣へ立つ令嬢としてふさわしくない。
邪魔だと、立場の弱い人間を陥れ消そうとするなんて行いは間違っているわ。
私が今すべきことは彼女を虐める事ではなく、自分を磨くことだと。
規律を守り令嬢として恥ずかしない、認められる存在になろうと思った。
時折学園内で彼女の行動を観察し、あまりに無礼な行いをした場合、王子がいないときを狙って彼女に苦言を呈したわ。
だってそうしないと学園の質が下がってしまうとそう思ったの。
その行動で他の生徒たちの規律も悪くなってしまう、だからこそ王子に一番近い私の役目だとそう思っていた。
だけど実際、そうではなかった。
ある日学園で令嬢たちがコソコソと話をする声が聞こえたの。
「キャロライン様はお堅いし考えが古風過ぎて、一緒にいると疲れてしまうわ」
「私もそう思っておりましたの。それに気が強いですわよね。その点ユウリ様は親しみやすいですわ」
「ですわね、気取っていなくて何だか可愛いと思ってしまいますわ」
「言ってはなんですけれど……キャロライン様よりも王子様にはユウリ様のような方がお似合いではなくて」
令嬢たちの噂話を聞き、私はその場から動けなくなった。
貴族社会で生きていくため、規律や礼儀を重んじ、舐められないように弱さを見せないように立ち振る舞ってきた。
それがそもそもの間違いだったの?
周りからは認められていなかったというの?
壁に隠れるように令嬢たちの姿を眺めていると、またどす黒い感情が込み上げてくる。
私の頑張りは無駄だったの?
独りよがりで間違っていたの?
王子も同じことを考えていらっしゃるのかしら……。
そう結論に達すると、あの女さえいなければ……とそんな感情が胸いっぱいに広がっていった。
私の力があれば、あの異世界の女を痛い目にあわせるのは簡単だわ。
私が主犯だとバレぬよう、裏から手を回して、王子がいない間にあの女に鉄槌を加える。
そこで思い知らせてやればいい。
私の苦しみと同じ苦しみをあの女に味わわせたい。
だけど暗い感情に呑み込まれそうになるたびに、王子の笑顔が脳裏をかすめる。
私の頭をなでてくれる彼の笑み。
名を呼べば振り返り、こちらへ走ってきてくれる彼。
選ぶのは彼なのだと、自分の努力が足りなかった、間違っていたのだと、私は何度も何度も言い聞かせた。
そんなある日、久方ぶりに王子から私へ声をかけてきた。
「キャロライン、明日玉座の間に来てほしい」
こうやって王子と面と向かって会話をしたのはいつぶりのだろうか。
彼の声に仕草に、なんだか目頭が熱くなってくる。
涙が出そうになるのを必死に耐えると、私はコクリと頷いた。
王子と別れ学園の廊下を進んでいると、前からユウリの姿が現れる。
珍しく隣に王子はいない。
私は深く息を吸い込みながら姿勢を正すと、顎を引き真っすぐに前を見つめた。
彼女はそんな私の様子に可愛い顔に似柄しくない、悪女のような笑み。
そうしてすれ違うその刹那、パチッと視線が絡むと、彼女がおもむろに口を開いた。
「ふふっ、こんばんは~。あぁ~違いますね。えーと、ごきげんよう キャロライン様。明日のこと聞いた?王子は私を選んでくれる。あなたが今まで王子に一番近いと言われていたみたいだけど~それも今日まで。あははっ、ごめんね」
「……ッッ、何のこと」
「あれ~知らないんですか?明日玉座の間で王子から大事なお話があるんですって。その場に私も呼ばれているの。ここまで言ったらわかりますよね?」
「王子から招集がかかっているのは知っているわ。それと私とどう関係があるというの」
「あはは、とぼけているんですか?それとも気づかないふりをしているのかな?まぁどっちもいいや。王子様はもう18歳ですよ。確かこの国では18歳になると王族自らが公の場で伴侶を選ぶんでしょう。だから~王子様は私を選んでくれるそう決意したってことじゃない?ははっ、そうなれば~地位は私の方が高くなっちゃいますね」
ユウリは私の肩に馴れ馴れしく触れると、楽しそうに笑った。
その姿に怒りがこみ上げ、拳が小刻みに震えだす。
王子は私のものよ、私を選んでくれるはずだわ。
そう言い返したいが、そんな言葉を口にするのは惨めなだけだとわかっていた。
王子を愛しているなら、彼の幸せを願うのがいいのかもしれない。
でもそんなことできない、嫉妬でどうにかなりそうだった。
私が私でなくなっていくこの感情。
私は……私は……彼を本気で愛しているわ、誰にも奪われたくない。
今すぐこの女を……陥れてやる。
華やかな世界へ戻れぬように、心も体も痛めつけて……殺してやりたい。
私はおもむろに振り返ると、長い黒髪を揺らす彼女の去って行く姿をじっと睨みつけていた。
けれど結局私は何もしなかった。
嫉妬で狂う己の姿はひどく醜く、愚かだとわかっていたから。
ここで私が彼女を虐めても、想いを叶える事なんて出来ない。
だって王子が選ぶのだから、それだけの話。
私は無意識に王子へと会いに行った。
彼がよく入学当初に連れてきてくれた学園の庭園。
静かな場所で落ち着けるんだと私に教えてくれたその場所に。
庭園へやってくると、そこに愛しい王子の姿。
私は求めるように近づいていくと、彼の隣にユウリの姿が目に映った。
楽しそうに談笑する彼、その姿を見て涙が溢れだしてくる。
「キャロライン、どうしたんだ?」
彼と視線が絡んだ刹那、私は慌てて踵を返すと、その場から逃げだしたのだった。
翌日、私は憂鬱な気分で目を覚ました。
このまま玉座の間へ行きたくない。
彼の口からはっきりとした言葉を聞きたくない。
けれど貴族の令嬢としてそれは許されない。
私は昔王子に選んでもらった赤いドレスを身に着けると屋敷を出て馬車へと乗り込んだ。
このドレスを着られるのも今日が最後かもしれない、そう思うと胸が激しく痛んだ。
城へやってくると、そこには名のある重鎮たちの姿。
中央には彼の両親である、王と王妃の姿。
近衛騎士がズラッと並び、厳重な警戒態勢がとられていた。
「皆、集まって頂き感謝する。今日は息子の話を聞いて頂きたい」
王の挨拶が終わると、壇上に愛しい彼の姿。
もう彼の隣へ並べないと思うと、今にも涙が零れ落ちそうになった。
「ユウリ」
そう名が呼ばれると、彼女は王子に見繕ってもらったのだろう、可愛らしいドレス姿で壇上へとやってくる。
そして王子の前へ佇むと、淑女の礼を見せることも頭を下げることもせず、ニッコリと笑みを浮かべた。
普通ならありえない光景、だけど彼女なら許されるのだろうか。
「ユウリ、君はここへ来て2年たつ、新しい世界で新しい生活で大変だっただろう。僕も君と2年間共に過ごし十分に理解している」
王子は彼女と過ごした日々を振り返るように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
その言葉は優しい声色で、思わず耳を塞ぎたくなった。
「2年間過ごした結果を踏まえて、君の今後を決定した。君は貴族社会を離れ平民としてこれから生活するんだ」
その言葉に会場が一気にざわつき始めた。
ユウリは何を言われたのか理解していない様子でポカンと口を開け固まっている。
「聞こえていたかな?君は今すぐ荷物をまとめて城から出るんだ。理解した?」
「ちょっ、ちょっと待って!王子様どういうことなの?なんで私が出て行かなければいけないの?」
ユウリは立場を弁えず勝手に発言すると、理解できないと首を傾げた。
「そういうところだよ。君はこの2年間この世界に、いや貴族社会に一度もなじもうとしなかったよね?マナーも教育もそうだ、教育係にさんざん迷惑をかけて、婚約者のいる令息にちょっかいをだし揉め事も多い。そんな君をこれ以上城へ置くことは出来ないんだ。わかるだろう?」
「はぁ!?何なのそれ?私はこの世界の住人じゃないわ。勝手に連れて来られてどうしてこの国に従わなければいけないのよ?」
彼女は顔を真っ赤にそう叫ぶと、王子を強く睨みつける。
「君の言い分もわからなくもない。だけど貴族社会はそれでは許されない。和を乱す異物はいらないんだ。さぁ彼女を街まで送ってやってくれ」
王子はそう命令すると、ユウリの周りに騎士達が集まり彼女を拘束する。
「ちょっと、ちょっと、嫌!離しなさいよ!私は異世界から来たのよ、こんな古臭い独裁国家をしている低能な民族とは違うのよ」
「君の世界の話は十分に聞いたよ。だけど君は自分の世界の事を知っているだけで理解していないだろう。そんな中途半端な知識は必要ないんだよ」
王子は追い払うように手で合図すると、騎士達は叫び暴れる彼女を無理矢理外へと引きずっていった。
予想だにしていない出来事に唖然とする中、会場内は何とも言えない空気に包まれた。
「キャロライン、前へ」
突然呼ばれた私の名に、私は慌てて王子の元へ向かうと、淑女の礼をし頭を下げる。
「キャロライン、楽にしてくれ。僕は君を愛している。伴侶となり一緒に国を支えてくれるかい?」
突然のその言葉に、情報処理が追い付かない。
驚きと嬉しさと、わけがわかない。
「キャロライン?」
彼の声に私はようやく我に返ると、慌てて顔を上げる。
「もっ、もちろんですわ。私はずっと望んでおりました。あなたの傍に並ぶことを」
そう精一杯言葉にすると、彼は嬉しそうに笑って見せた。
そしてその夜。
私は王子の部屋へと招かれていた。
「キャロライン、こっちへおいで」
彼は腕を伸ばすと、私を胸の中へ閉じ込める。
「泣かせてしまってごめんね。でもこうするしかなかったんだ。あのユウリという女の子は危ない子だったからね。君を巻き込みたくなかった」
「どういう意味でしょうか?私は……私はあなたがユウリ様を選ぶのだとそう思っておりました。もうこうやってあなたに触れられなくなるのだと覚悟して……うぅぅ……ッッ」
「よしよし、泣かないで。僕があの女を選ぶなんてありえない。僕はずっと君を好きだと伝えてきたつもりだったんだけどね」
「だって、学園に彼女がやってきてから……ずっとべったりだったではありませんか」
「あれはしょうがないことなんだ。彼女の本質を見極めるためにね」
「本質でございますか?」
「あぁ、彼女は学園内では、人当たりが良いと言われているみたいだけど、城では全然で、関わった人たちから評判がとても悪かったんだ。彼女の教育係についていた人は、あまりひどい彼女の態度に呆れ外してくれと懇願してきたし。彼女つきのメイドからはわがまますぎて手が付けられないと報告があがってきていたしね。挙句の果てに、第一王子に勝手に会いに行って、婚約者に喧嘩をうったりしてさ、そこで僕が彼女を見張る事になったんだ」
予想を遥かに超えた彼女の行いに、目が点になる。
「彼女のお目付け役を任されたのはいいんだけど、彼女本当にこの国に全くなじもうとしないし、そこら辺の令息に近づいては、令嬢と揉めてるんだよね。だから僕の方へ振り向かせる必要があった」
「そんな……でしたら言ってくださればよかったのに……」
「あーごめんね。本当は言うつもりだったんだ。僕はいつでも君を見ていたよ。僕とユウリが話している姿をよく遠くからじっと見ていただろう。君には悪いけれど、嫉妬する姿が可愛くて、まぁやりすぎたとは反省しているよ」
王子は私の額へ軽くキスを落とすと、いつものように優しく髪をなでた。
「……ッッ、私、本当に、本当に悲しかったですわ」
「ごめんね、キャロライン。君はいつも凛としていてさ、僕の隣に並ぼうと必死な姿も好きだけど、あぁやって僕を好きなんだと実感できる顔も大好きだ」
「王子ッッ、もう、ひどいですわ!でももし私が嫉妬に狂っていたら……どうするおつもりだったのですか?」
「嫉妬に狂うか、いい言葉だね。君を狂わせたい。それはそれで受け入れていたよ。まぁでも理性的で理知的な君がそこまでしないだろうとわかっていた。だからユウリを僕に向かせたんだ。他の令息だと、令嬢たちが暴走して取り返しのつかないことになったら大変だろう」
王子はそっと私の腰へ手を回すと、ベッドへと誘っていく。
彼に抱きかかえられるようにシーツの上へ座ると、彼の唇が首筋へ触れた。
「キャロライン、愛しているよ」
耳元で囁かれる言葉に私はおもむろに振り返ると、彼の顔が間近に迫る。
「私もですわ。ずっと……ずっと愛しております」
近づいてくる唇に身を委ねると、長い夜が始まっていった。