第二章 教団と革命団_003【挿絵あり】
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サムが用意した朝食は昨晩同様、どこにでも売られている缶詰であった。教団と敵対する過激派の筆頭組織。革命団。そのリーダーがそばにいるのだ。食事も喉を通らない、ということはなく、ナタリーは用意された缶詰を瞬く間に平らげてしまう。
(我ながら図太いですね)
空になった缶詰を床に置いて、ナタリーは自身にそう呆れる。全員が食事を済ませたところで、サムがふと気付いたように懐に手を入れて透明の瓶を取り出した。
「そういや昨夜、角砂糖がどうとか言ってたろ。一応持ってきてや――うおっ!?」
目を光らせたソフィアが飛び掛かりサムから瓶を高速に奪取する。奪い取った瓶の蓋を素早く開けて、少女が瓶の中にある角砂糖を摘まんでパクリと頬張った。
「……ジューシー」
相変わらずの無表情ながら、どこか満足げにソフィアがそう呟く。コロコロと口の中で角砂糖を転がしている少女に、サムが呆気にとられたように目を丸くする。
「……もしかして歴史改定調査委員会の調査員ってのは給料安いのかよ?」
「そんなことはないけど、昨日は角砂糖の買い出しができなかったからね。丸一日ぶりの角砂糖に喜んでいるだけさ。ソフィアにとって角砂糖は栄養剤みたいなものだから」
「ふぉおお……ふぉおお……もふぉおお」
「おい。何か口走り始めたぞ。本当にただの栄養剤の代わりなのか?」
目をギラギラと輝かせて唸り声を上げ始めたソフィアに表情を引きつらせるサム。だが彼のその疑問には何も答えず、ルークが「さてと」とパチンと手を鳴らした。
「ソフィアのエネルギー補給も完了したようだし、今のうちに試しておこうかな」
山積みにされた資料へと近づいて、ルークがその資料の山に腕を突っ込んだ。怪訝に眉をひそめるナタリー。資料の山からルークが腕を抜くと、その手には長方形の何かが握られていた。それはよく見ると――
マーキュリー教の原書であった。
「え……ええええええええええええええええええええええええええええ!?」
眼鏡を拭いて再度確認する。クリアな視界に映しだされたそれは原書に間違いない。ナタリーは頭を困惑させながらも、爽やかに微笑んでいるルークに疑問を投げた。
「なんで!? 保管室にあるはずの原書がどうしてここに!? 瞬間移動ですか!?」
「やだな。普通に盗んできただけだよ」
「普通に盗んできただけって――どんなパワーワードですかぁああああああ!」
手を戦慄かせて絶叫する。だがあくまで悪びれることなくルークがカラカラ笑う。
「この街の歴史には教団が深くかかわっているからね。その原書ぐらいは目を通しておこうかなって。ただナタリーにバレると不味いから、資料の中に隠しておいたんだ」
「何てことするんですか! もし原書が傷付きでもしたら大大大大問題ですよ!」
「心配いらないよ。傷付かないよう丁寧に扱うつもりだから――あ、落とした」
「うおっほおおおおおおおおい!」
消しゴム感覚で原書を落とすルークに悲鳴を上げる。バタバタとルークに駆け寄り、ナタリーは涙を流しながら床に屈みこんだ。
「ああああああああああ! 砕けています! 粉々です! 原書が! マーキュリー教の宝が! しかもこの破片の配置は永劫なる幸福を約束しているものです!」
「占い?」
「どうするんですか!? だから持ち出してはいけないとあれほど言ったんです!」
「もともと半分ぐらい無かったんだから平気だよ。そんなことよりこの石ころをベッドの上に運ぶから手伝って。えいえいえい」
「原書の欠片を蹴らないで! わたしが運びますからルークさんは何もしないで!」
涙ながらにそう訴えて、ナタリーは床に落ちている原書の欠片を急いでかき集めた。早く欠片を回収しないと、またルークにぞんざい扱われかねない。ナタリーは原書の欠片を両腕に抱えると、ベッドまで移動して原書の欠片をベッドの上に丁寧に置いた。
「ナタリー。教団では原書にどんな内容が書かれているって伝わっているの?」
「結局わたしが答えるんですか? なら原書を持ってこなくても良いじゃないですか?」
「原書に書かれていることと比較したいんだ。それともナタリーは内容を知らない?」
ルークがこちらを試すように言う。ナタリーはやや不満を覚えつつ言葉を紡いだ。
「神は観ている――他者を慈しむ貴方の行動を。神は聴いている――他者を憂いむ貴方の言葉を。神は理解している――他者を哀れむ貴方の心を。神の御心に触れること叶うならば無上なる魂の寵愛を授からん」
「回りくどいね。結局何が言いたいの?」
身も蓋もない感想を言うルークに、ナタリーは嘆息しつつ簡単に解説する。
「神は全てを見通しているため常に清く正しく生きること。それができれば神により魂の寵愛――つまり死後の世界において幸福を約束されるということです」
「――けっ。アホくさ」
サムが舌を鳴らす。壁に寄り掛かりそっぽを向いている彼をナタリーは睨みつけた。
「思いやりの大切さを説いた素晴らしい言葉です。何が気に入らないんですか?」
「現状を踏まえろよ。スラムの人間を足蹴にしている教団が良く言えたもんだ」
「足蹴になどしていません! 教団は何度もスラムの方々に手を差し伸べてきました!」
声を荒げるナタリー。その彼女を今度はサムがギロリと睨みつける。
「街の主産業である鉱業の利権は全て教団が手にしている。俺たちスラムの人間は過酷な採掘作業の駒でしかねえ。人を安月給で馬車馬のごとく働かせて、テメエらだけうまい汁を啜っている教団が、よく手を差し伸べたなんて綺麗ごと言えたもんだ」
「教団は十分な補償をしています! 貴方がたこそ行動を顧みてはどうです!? スラムの犯罪発生件数は年々と高まるばかり! これがどれだけ街の悪評となっているか!」
「まともな生活もできねえ社会にしておいて、スラムに責任を押しつけんじゃねえよ」
サムが吐き捨てるようにそう呟いてまたそっぽを向く。もうこちらと話す気がないようだ。苛立たしくサムを睨みつけるナタリー。分かっていたことだが――
(やはり革命団などと……暴力を肯定する人とは話にもなりません)
このような者を相手にムキになるのも馬鹿らしいことだ。ナタリーはそう自身に言い聞かせて、苛立ちを溜息とともに吐き出した。
「死後の世界で幸福に……ね。死んだ後に幸せになっても仕方ないと思うけど」
ぽつりと呟いたルークに、ナタリーはやや仏頂面で反論をする。
「マーキュリー教では死後の世界こそが真なる世界と教えています。生前とはそこに向かうための道筋に過ぎず、そこでどれだけの徳を積めるかで幸福が決定されるのです」
「真の世界ね……僕には理解できそうにないや。まあ情報としてだけ記憶しておくよ」
そう匙を投げるように肩をすくめて、ルークがソフィアを手招きする。ソフィアが角砂糖を摘まみながらこちらに近づいて、ベッドに置かれた原書の破片の前に立つ。
「それじゃソフィア。よろしくね」
ソフィアがこくりと頷く。一体何をするつもりなのかと、ナタリーは怪訝にソフィアを見つめた。ソフィアが角砂糖の瓶を手にしたまま両手を前にかざして――
銀色の瞳を輝かせる。
次の瞬間、信じられない光景が目の前に映し出される。ベッドに置かれた砕けた原書。それが掠れていくように空間に溶け込み、一枚の石板となって空間から現れたのだ。
「……これは?」
呆然と呟く。空間から現れた一枚の石板。その表面には傷ひとつなく、まるで造られたばかりのような質感をしている。眼前で一体何が起こっているのか。体を硬直させるナタリーにルークが軽い調子で説明する。
「常世界記録再生。この石板に記録されていた過去の映像を目の前で再生しているんだ」
「……過去の映像?」
「ソフィアの能力さ。これで原書に書かれている文字が全部読めるようになったね」
原書は資料館に保管されていた時点で、すでに五割ほど損失していた。だがいま目の前にある原書は、その損失していた箇所も含めて完全な形として存在している。これなら確かに原書の全文を読むことができるだろう。
角砂糖を口で転がしている銀髪の少女。ソフィア。彼女にこのような能力があるとは驚きだ。というよりこのような技術が存在すること自体が信じがたい。まるで魔法のようだと、ナタリーは子供のような感想を抱いた。
だがここでふと、ナタリーはこの奇妙な感覚に身に覚えがあることに気付く。
「あ……昨日駅のホームで予定にない列車が突然現れましたが……あれももしかして?」
ナタリーのこの疑問に、ルークが「そうだよ」とニコリを微笑む。
「ソフィアの能力で通過列車の過去記録を再生したんだ。もっともソフィアの能力で再生された過去記録は基本実態を持たないから、単なる脅しなんだけどね」
ルークがそうさらりと答えて、ベッドにある完全な形をした原書に視線を落とす。
「……なるほど。どうやらナタリーが話してくれた内容で大筋間違いなさそうだね。ただひとつだけ、ナタリーの話にはなかった文章があるみたいだ」
「え……本当ですか?」
原書に書かれている文字を確認する。確かにルークの言う通り、原書には教団内で伝えられている内容と僅かな違いがあった。ナタリーは眼鏡の位置を整えつつ口を開く。
「神は許している――他者を愛おしむ貴方の虚偽を……という一文が書かれていますね」
「どういう意味だと思う?」
ルークからの問い。ナタリーはしばし思案した後、やや自信なく答える。
「他人のために吐く嘘ならば神もそれを許すということでしょうか? 恐らくですが」
ナタリーの答えに「なるほどね」とルークが頷く。ここで原書が掠れるように空間に消えて、バラバラになった原書が再び現れた。ソフィアが術を止めたのだろう。
「どうしてさっきの一文が欠落して、原書の内容が伝わっていたんだろうね?」
世間話のような軽い口調で尋ねてくるルークに、ナタリーは渋い顔で首をひねる。
「それは……原書が破損していたので、その一文が意図せずに欠落したのかも」
「確かにここにある原書の破片にはさっきの一文が書かれていない。だけど同じように内容が欠けている文は他にもある。さっきの一文だけが欠落した理由としては弱いかな」
「……申し訳ありません。わたしには分かりかねます」
素直にそう答える。ルークが頭をポリポリと掻いて「まあいいか」と嘆息した。
「でもこれで僕が歴史調査を続ける意味が理解できたんじゃないかな? 意図的にせよそうでないにせよ、歴史は歪められて伝わっていることがある。その歪みを是正するのが歴史改定調査委員会の仕事なんだ」
「……少しですが理解できました」
教団の宝である原書。その内容にさえ一部とはいえ欠落があったのだ。自分が認識している歴史に僅かな歪みもないとはもう断言できない。するとここで――
「……すげえ」
ぽつりとした声が聞こえてくる。声に振り返ると、そこには唖然と目を見開いているサムの姿があった。隠しようのない興奮を瞳に湛えてサムが両拳を握りしめる。
「過去記録とかはよく分かんねえが、その能力があれば本当の歴史を簡単に調べられるんじゃねえか? 歴史改定調査委員会なんて胡散臭いと思っていたが……すげえよ」
「その胡散臭い人をここまで連れてきたのはどこの誰だろうね?」
冗談めかして言うルークに、サムがニヤリと犬歯を剥いて笑う。
「悪く思うな。教団側にいたら連中にとって都合良い歴史を吹き込まれんじゃねえかと思ってな。そうならねえように、テメエを革命団のほうで確保しておきたかったんだ」
「期待を裏切るようで悪いけど、僕は教団と革命団のどちらの味方にもならないよ。僕は正しい歴史を調査するだけ。それが君の都合悪いものだろうと知ったことじゃない」
「構わねえよ。どうせ本当の歴史が判明して都合が悪くなるのは教団の方だからな」
「さっき話していたね。一〇〇年前の教団と先住民の内乱は教団から仕掛けたものだと。随分と自信があるようだけど、もしかして何か物証でもあるのかな?」
「それを今日、テメエに見せようと思ってたんだよ。案内するから付いてきな」
壁から背を離してサムが部屋の出口へと歩いていく。ルークとソフィアもまた当然のように部屋の出口へと歩き出した。部屋を出て行こうとする三人をしばし呆然と見やるナタリー。だが彼女はハッと我に返ると、ルークとソフィアを慌てて通せんぼした。
「ちょ、ちょっと待ってください! まさかルークさん! 革命団の言葉を信じるんですか!? こんなのデタラメですよ! 騙されないでください!」
「おい女……余計なこと言ってんじゃねえぞ」
サムが苛立たしそうに舌を鳴らし、足を止めてこちらを睨みつけてくる。
「そもそも俺たちは歴史改定調査委員会のこいつに用があったんだ。それを勝手について来やがって。テメエは教会にでも帰って大好きな神様でも拝んでいやがれ」
「わたしは司教様からルークさんを任されているんです! 一人では帰れません!」
サムをギロリと一度睨みつけ、すぐにまたルークの説得を開始する。
「革命団こそルークさんを利用して、歴史を自分都合に書き換えようとしているんです! きっと証拠を見せると言って、滅茶苦茶な証拠を出してくるつもりですよ!」
「へえ……滅茶苦茶な証拠ってなんだろ? 面白そうだし興味あるな」
「ワクワクしないで! ソフィアちゃんからもルークさんを止めてくださいよ!」
「角砂糖フィーバー」
「ごめんなさい! 意味わからないです!」
助けを求める相手を間違えたと、ナタリーは改めて説得の言葉を重ねた。
「よく考えてください! 革命団はモンスターでルークさんの命を狙ったんですよ!? 不用意についていけば、またモンスターに襲われるかも知れないじゃないですか!」
「……テメエ何を勘違いしてんだ?」
サムが頭をガリガリと掻いて――
怒気の孕んだ声でこう言った。
「俺たちは資料館に居合わせただけで、あのモンスターは俺たちと関係ねえぞ」