第二章 教団と革命団_002
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「朝から姿が見えないと思ったら、ナタリーの部屋に行ってたの?」
そう目を瞬かせるルークに、ナタリーは心臓を跳ねさせながら嘆息する。
「もう……生首が転がっているのかと思い、心臓が止まりそうになりました」
「どんまい」
生首こと銀髪の少女、ソフィアになぞの慰めを掛けてもらいナタリーはまた嘆息した。
ルークとソフィアが寝泊まりしている部屋にナタリーは移動していた。部屋の構造はナタリーのものと同じだが、ルークたちの部屋には保管室から運んできた大量の資料がベッド脇に山積みにされて置かれている。
ベッドに並んで腰掛けているルークとソフィアの前に立ち、ナタリーはふと尋ねる。
「ところでソフィアちゃん。どうしてわたしのベッド下に潜り込んでいたんです?」
ソフィアが銀色の瞳を二度瞬かせ、何の落ち度もないとばかりに平然と答える。
「食べ物……探してた」
「ベッド下に食べ物なんかありませんよ」
頓珍漢な回答に頭痛を覚える。無表情のままグゥウと豪快に腹を鳴らすソフィアに、ルークがカラカラと笑う。
「あと少し我慢すれば昨夜みたいに食事が運ばれてくるよ、ソフィア」
「ジューシーな角砂糖がいい」
「ジューシーな角砂糖って何ですか?」
「とりあえず食事が運ばれてくるまで、この街の歴史について少し話そうか」
ルークがそう肩をすくめて、ベッド脇に山積みにされた資料をちらりと見やる。
「昨日保管室から運んできた資料は読み終えたから、この街の歴史は一通り把握したよ」
「え? これだけの資料をたった一晩で読み終えてしまったんですか?」
驚くナタリーに「別に大したことじゃないよ」とルークがハラハラと手を払う。
「それにしても、この街の歴史は何とも平凡だね。資料を読んでいる時あまりに退屈で眠気を我慢するのが大変だったよ。ははは」
「爽やかに笑っていますけど、とてつもなく失礼なこと話していますよね?」
「まあその詰まらない歴史の中で重要な出来事を強いてあげるなら、やっぱり一〇〇年前の教団と先住民との内乱になるのかな?」
こちらの苦言もどこ吹く風と淡々と話しを進めるルーク。彼のその無神経な態度にナタリーは露骨に表情を渋くさせた。
「一〇〇年前の内乱はこの街の歴史において最重要ともいえる出来事です。強いてあげずとも、街の歴史に触れるなら避けることができない出来事と思いますが?」
「でも内乱だろ? こんな規模の小さい戦争なんて面白みに欠けるよ」
さすがに聞き捨てならず、ナタリーは「不謹慎です!」と思わず声を上げた。
「内乱で大勢の人が亡くなりました! 面白い面白くないで語らないでください!」
「個人的感想にケチつけないでよ。君は僕がハラハラと涙を流さないと納得しないの?」
「そうではありません! 歴史を軽視する発言が許されないと言っているんです!」
「君は歴史を重視しているとでも? 僕にはただ妄信的にしか見えないけど?」
言葉が詰まる。ルークの指摘が図星だからではない。単に言葉の意味が分からなかったからだ。仏頂面をするナタリーに、ルークがニコリと笑顔を浮かべる。
「そう腹を立てないでよ。別に喧嘩したいわけじゃないんだ。僕の言い方が気に入らないなら謝るからさ。僕はただ資料から得た知識がどれだけ正確か確認したいだけなんだ」
「……つまりどういうことですか?」
「歴史の下地はできた。次はその下地に飾りつけをするのさ。簡単に言うなら知識の添削だね。多角的に細やかな情報を収集してその下地と照らし合わせ、必要であれば肉付けして不要であれば削り取る。そうして歴史という情報の確度を高めていくってわけ」
「わざと分かりにくく説明していません?」
「バレた? とどのつまり僕が認識している歴史をここで話してみるから、ナタリーは自分が認識している歴史と食い違う点があればそれを指摘して欲しいんだ」
ならば初めからそう言って欲しい。ナタリーは若干の疲労を感じながらもルークの言葉にこくりと頷く。ルークが「ありがとう」と礼を述べて咳払いをひとつした。
「さっきも言ったけど、この街は面白みのない歴史――もとい安定した歴史が続いてきたようだから、街の成り立ちにも関連する一〇〇年前の内乱前後を中心に話をするね。事は当時新興宗教であったマーキュリー教がこの土地に移住してきたことから始まる」
記憶を探るようにこめかみに指を当て、ルークが淀みなく言葉を紡いでいく。
「当時ここには街と呼べるような規模の集落はなく百人程度の先住民が暮らしていた。その先住民の文明レベルは当時にしても低く、この枯れた土地で育つ僅かな作物を収穫することで生活していた。そこに旅をしていたマーキュリー教団が現れる」
「マーキュリー教の伝道師様は代々、神からもたらされた啓示により人々を救済することを責務としてきました。一〇〇年前の初代伝道師様――マーキュリー教の教祖様でもあられるマルコム・マーキュリー様もその責務に従い、世界中を旅していたと聞きます」
「らしいね。ただそこは街の歴史に直接関与しないから興味ないな」
ナタリーの補足をそう受け流して、ルークがまた淡々と言葉を続ける。
「少ない作物で生活する先住民を哀れに感じた教団は、この土地を豊かにして彼らを救済しようと決意した。そこで教団はこの土地で採掘される高品質な鉱石に目を付ける。教団は先住民に鉱石の加工技術を伝授し、さらに加工品の流通網を独自構築することで、大きな収入を得ることに成功した。そして瞬く間にこの街は大きく成長していく」
「鉱業都市リーベタス。この街は教団により作られたと言っても過言ではないのです。先住民の暮らしも豊かになり、本来なら教団に感謝すべきことでしょう。しかし――」
「それを不服とした先住民により、教団への襲撃が勃発――内乱へと発展した」
ルークの言葉に頷く。こちらの反応を確認した後、ルークがまた話を再開させる。
「教団は鉱業関係のみならず、治安維持や物流管理など、社会構造の土台となる全てに関与していた。それを先住民は教団による支配だと考えたわけだ」
「当時、この街にはまともな社会などありませんでした。急速に街が発展する中、誰かが街を管理しなければならなかったのです。それを支配だなんて心外です」
「結果として内乱は教団の勝利に終わる。教団は先住民の一方的な襲撃を遺憾に思うも、彼らを街から追い出すことはしなかった。だがこの内乱で教団と先住民との間には埋められない大きな溝ができる。そしてその溝は一〇〇年経った今もこうして残り続けている」
寂れたアパートの一室をぐるりと見回して、ルークが皮肉げな笑みを浮かべる。
「先住民の子孫はスラムに追いやられ、教団との貧富格差は年々と広がっているわけだ」
「……それは違います。教団はそのような理由でスラムの人間を不当に扱っていません」
ルークの説明を訂正して、ナタリーは自身の認識を口にする。
「教団は望むなら彼らを受け入れる準備をしています。しかしスラムの方々がまだ教団に対して憎しみを抱いているのです。これまで幾度も教団が彼らに手を差し伸べようとするも、その全てを彼らが振り払ってきました」
「確かに……僕が読んだ多くの資料にもそんな旨の記載があったね」
ベッド脇に山積みにされた本を一瞥し、ルークが小さく息を吐く。どうやら話はこれで終わりらしい。長話が退屈だったのかウトウトと舟をこいでいるソフィア。その少女の銀色の髪にポンと手を置いて、ルークが肩をすくめる。
「どうやら僕とナタリーで概ね認識に差異はないようだね。つまりいま僕が話した内容が、鉱業都市リーベタスにおけるごく一般的な歴史認識というわけだ」
「それじゃあルークさんの仕事もこれで終わりということですか?」
口にしながらどこか安堵する。彼らと行動を共にしてからまだ一日も経過していないが、それでもナタリーは疲労感を覚えていた。肉体的にもそうだが主に精神面でだ。思わず頬が綻びかけるナタリー。だがここで――
ルークの特徴的なオッドアイが細められる。
「まさか……ここからが歴史改定調査委員会の本格的な仕事で――面白いところだろ?」
ルークの思いがけない言葉に、ナタリーは狼狽を顕わにした。
「ど、どうしてですか? この街の歴史を調査し終えたはずではないんですか?」
「歴史改定調査委員会の仕事内容を忘れちゃったの? 委員会の仕事は歴史の調査、及び改定だよ。現行の歴史認識を調査して、修正することにこそ意義がある」
ルークがやや前屈みになり、浮かべている笑顔に鋭い気配を混ぜ込んだ。
「いま僕が話した内容はこの街で一般的な歴史……もっと正確に言うなら、マーキュリー教団が認識している歴史だ。だがこの歴史こそが真に正しい物とは限らない」
「それは……わたしや教団が偽りの歴史を吹聴していると言っているんですか?」
「そう言うわけじゃないさ」
再燃しかけたナタリーの怒りを制するように、ルークがさっと手のひらを向ける。
「教団が事実を話していたとしても、見る角度によってはその事実が別物になることもあるんだ。欠けたリンゴが角度によっては無傷に見えてしまうことと同じでね」
「……見る角度ですか?」
「つまり立場の異なる人間の視点も必要だってことさ。資料館にある資料や教団の歴史認識が表側だとするなら、今度は裏側からの歴史を調査する必要がある」
「……結局これから何をするんですか?」
「これからというよりもう動いている。彼らに付いて行ったのはそれが理由だ」
ルークはそう言うと――
部屋の入口に視線を向けた。
「廊下で話を聞いていたんだろ? これまでの話で訂正したいところはあるかな?」
突然誰かに向けてそう尋ねたルークに、ナタリーは慌てて背後に振り返った。扉のない部屋の入口。その奥にある廊下。人の気配など感じない。そう思ったその時――
廊下がキシリと鳴った。
「……性格の悪い小僧だぜ。気付いてたなら早くそう言いやがれってんだ」
そんな愚痴をこぼしながら、部屋の入口に一人の男性が姿を現した。黒の短髪にナイフを彷彿とさせる瞳。引き締まった体格に薄汚れた衣服。右手には大きな布の袋が握られており、それを肩に担いで持っていた。
男性の名前はサム・ジブソン。教団と敵対している革命団のリーダーだ。
「朝飯だ。味の保証はしねえが食いな。そんで話の訂正についてだがよ――」
右手の布袋を床に下ろしつつ――
サムが鋭い眼光を輝かせた。
「一つだけ言わせてもらう。先に内乱を仕掛けたのは先住民じゃねえ。教団のほうだ」