第一章 歴史改定調査委員会_002
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マーキュリー教会本部。街の北区にあるその場所までは駅から車で十分ほど掛かる。ルークとソフィアを後部座席に乗せて、ナタリーは教会本部に向けて車を走らせた。
「車がほとんど見当たらないね。この街じゃ車はあまり普及してないのかな?」
「え? ああ……車は教団で司祭以上の人間しか運転してはいけない決まりなんです。道幅がそれほど広くありませんから、車の数が増えると渋滞が発生しやすいので」
「それじゃあ街の人は基本徒歩で移動しているの?」
「そうですね。荷物などの運搬には馬車も使われますが基本徒歩になります」
外の景色をぼんやりと眺めているルークからの質問に、安全運転を心掛けつつそう答える。移動中の会話はこのようなたいして意味のない雑談ばかりであった。因みにソフィアはというと、新たに購入したクレープを黙々と口に頬張っていたりする。
ナタリーとしてはこのような雑談ではなく、駅で体験した不思議な出来事について話をしたかった。だがあまりにルークたちが平然としているため話を切り出せずにいる。
(あの列車は幻覚だったのでしょうか?)
そんなことをつらつらと考えているうちに教会本部に到着してしまう。結局駅の出来事については聞けずじまいだ。ナタリーはやや落胆しながらも車を降りた。
教会本部の受付で貴賓室へと通される。高価な調度品に囲まれた貴賓室で緊張しながら待つこと五分、部屋に一人の中年男性が姿を現した。慌ててソファから立ち上がるナタリー。ソファに腰掛けたままのルークたちに向けて中年男性が頭を下げる。
「お待たせしました。私がマーキュリー教団の司教ニコラス・ホーリーです」
穏やかに自己紹介する中年男性――ニコラス司教に、ルークがニコリと微笑む。
「どうも初めまして。歴史改定調査委員会のルーク・ケインズです。そして彼女が僕のパートナーでソフィアと言います」
「ふもっふ」
ソフィアが片手を上げて挨拶をする。だが少女の口にはクッキーが目一杯に詰め込まれていたため――貴賓室に用意されていた――声がくぐもってまるで聞こえなかった。
教団において伝道師に次ぐ権力者。ニコラス司教を前にしてソファから立ち上がろうともしないルークとソフィア。二人の無作法にドギマギするナタリーだが、ニコラス司教は特にそれを気にする素振りもなく、こちらの向かいにあるソファに腰掛けた。
「ナタリー司祭。ルーク様とソフィア様の案内ご苦労様。貴女も楽にしなさい」
ニコラス司教にそう促されてソファに座り直す。ナタリーが腰を下ろしたとほぼ同時、ソフィアがクッキーの乗せられていた皿を頭上高くかかげる。
「おかわり」
客人とはいえあまりに厚かましい。何やら頭痛を覚えるナタリーだが、ニコラス司教はやはり笑顔を崩すことなく、廊下に向けて菓子の追加を注文した。
「すぐお持ちします。もし宜しければお土産に同じ物をお包みしましょうか?」
「その場でご馳走になるのは構わないけど、金品の受け取りは原則禁止されていてね」
やんわりとルークが言う。恐らく賄賂扱いになるということだろう。「それは失礼しました」と頭を下げるニコラス司教に、ルークが淀みなく言葉を続ける。
「だから後でこっそりちょうだい」
「もらうんですか!?」
思わず声を荒げてしまう。ナタリーの驚きにルークがきょとんと首を傾げる。
「くれるなら当然もらうよ? ソフィアもこのクッキーが気に入っているようだしね」
「星ひとつ」
「評価低いじゃないですか!?」
「ソフィアはグルメだから。因みにこれまでの最高得点は星五つの――角砂糖だね」
「それのどこかグルメなんです!?」
大切な客人を相手につい全力でツッコミを入れてしまう。ルークがハラハラと手を振り「そう堅苦しく考えないでよ」と笑う。
「金品の受け取りが禁止されているのは、調査に便宜を図る可能性があるからだ。僕はそんなつもり欠片もないからね。だから何を受け取ってもきっと大丈夫だよ。それにもう駅でナタリーからお金を貰っているし今更さ」
「あのお金は立て替えただけで、あげたわけではないんですけど」
じとりと半眼になる。するとニコラス司教が「その件ですが」と会話に参加してきた。
「財布を無くしてしまわれたようですね。何でも昨日にはすでに街に入られており、約束の時間まで駅前で買い物をしていたと。ナタリー司祭、そうですね?」
「は、はい。ここまでの道中、ルークさんからそうお伺いしています」
「どうして予定を早めたのか。そして街に入られていたのなら、どうして教団にご連絡いただけなかったのか。何か特別な理由でもあるのでしょうか?」
その司教の問いに、ルークが「大した理由じゃないよ」とひどく軽い調子で答える。
「この街を観光しようと思っただけさ。上司には昨日から現場入りしていることにして、観光する時間を捻出したってわけ」
「……それだけの理由ですか?」
「それだけだよ。仕事中は観光する時間が取れないからね。ああだけど、これは内緒にしておいてね。昨日から仕事をしていることにしないと観光費を経費で落とせないから」
何とも身勝手なお願いだ。ニコラス司教が小さく微笑み「分かりました」と頷く。得心した様子の司教にルークがニコリと微笑む。
「別に教団に隠れて調査を進めていたわけじゃないから安心していいよ」
「ああいえ……別にそういう心配をしていたわけではありません。この街は私たち教団が管理しております。事前に話して頂ければお力になれることもあったと考えた次第です」
困ったように眉をひそめた後、ニコラス司教がコホンとひとつ咳払いをする。
「財布については届け出があり次第ご連絡いたします。しかし残念ながら期待はできないでしょう。財布は落としたのではなく盗まれた可能性が高いと思われますので」
「盗まれた?」
「街を管理する教団としてまことに恥ずべきことですが、この街では観光客を狙ったスリが横行しているのです。彼らの手に一度渡ってしまえば取り返すのは至難でしょう」
「犯人に目星があるような口ぶりだね」
「特定の誰かというわけではありませんが……犯人は恐らくスラムの人間でしょう」
ニコラス司教が表情を沈めて頭を振る。
「この街の西区にあたる未開発地域の住民です。彼らの多くは教団に反発しており、その反発心からか軽犯罪を繰り返しております。近年では革命団という過激な組織までできる始末。そもそも教団とスラムの住民との遺恨は遡ること――」
ニコラス司教がそう重い口調で話していると――
唐突に司教の顔面にパカンと空の皿がぶつけられた。
「ニニニニニ、ニコラス様ぁあああ!?」
ぽかんと目を丸くするニコラス司教。鼻頭が赤くなっている司教に狼狽しながらも、ナタリーはぐるりと視線を真横に向けた。そこにはクッキーの皿を投擲したポーズで停止しているソフィアの姿がある。
「ソ、ソフィアちゃん! いきなり何をするんですか!? ニコラス様にこんなこと!」
「ソフィアは話を止めただけだよ。司教が街の歴史について話そうとしていたからね」
ルークがソフィアに代わりそう説明した。彼の言葉が理解できず「ど、どういうことです?」と困惑するナタリー。ソフィアの頭を優しく撫でながらルークが朗らかに笑う。
「歴史改定調査委員会の仕事内容については教団も理解していると思うけど、一応簡単に説明しておくね。委員会の仕事は現行歴史の再調査兼改定になる。現在認識されている歴史が真に正しいものなのか。それとも歪められたものなのか。それを調査して必要であれば是正する。それが委員会の仕事なんだ」
「……はい。無論存じ上げています」
ニコラス司教が躊躇いながら首肯する。どこか不満げなのは皿をぶつけられた理由がまだ不明確だからだろう。赤くなった鼻頭をさする司教にルークが話を続ける。
「僕は調査前には極力情報を仕入れないようにしている。これから歴史を調査していくうえで変な先入観を持たないようにね。だから真偽不明の話を勝手にされると困るんだ」
「真偽不明って……ニコラス様は正しく歴史を認識していますよ! それを――」
「止めなさい。ナタリー司祭」
反論しようとしたナタリーを穏やかに制して、ニコラス司教が頭を下げる。
「そのような事情がありましたか。軽率な発言をどうかお許しください」
「気にするな」
なぜかふんぞり返るソフィア。謝罪するニコラス司教にルークがハラハラと手を振る。
「貴方の語る歴史に価値がないと言っているわけじゃないんだ。ただまずは下地を作ることから始めるのが僕たちのやり方でね。司教にはこの街の歴史を客観的に知ることができる資料の提供をお願いしたいんだけど」
「そういうことでしたら、東区にある資料館を訪ねるのが良いでしょう。あそこには数多くの文献や歴史書が納められています。この街の歴史を知るには最適と思います」
「それは良いね。できれば今から向かいたいんだけど大丈夫かな?」
「資料館は本日休館日なのですが私から連絡して特別に開けさせましょう。また一般公開されていない貴重な資料の保管室も入室できるよう話を通しておきます。ナタリー司祭。ルーク様とソフィア様を資料館まで案内して差し上げなさい。良いですね」
「……はい。承知しました」
やや仏頂面で了承する。ニコラス司教に対するルークたちの無礼な態度がまだ心に引っかかっているのだ。だがこちらの不満など気付く素振りなく、ルークが満足げに頷く。
「協力的で助かるよ。人によってはあからさまに僕たちを邪険にするからね」
「邪険などとんでもございません。教団も歴史の重要性はよく存じ上げております。ゆえに歴史を正そうとする歴史改定調査委員会の方々には畏敬の念が絶えません。他に入用があれば何なりとお申し付けください。できる限り協力させていただきます」
「そうさせてもらうよ」
「ただひとつだけ愚考を申し上げますと、今回の歴史調査は無駄骨となるでしょう」
申し訳なさそうに眉尻を落としてニコラス司教が苦笑する。
「私たちはこの街が生まれてよりこれまで、歴史を正しく伝えてきました。恐らくこの街の歴史を再調査したところで、目ぼしい発見など何も見つからないと思いますよ」
ニコラス司教のこの言葉に――
ルークが爽やかな笑顔で応える。
「みんな初めはそう言うよ」