プロローグ_001
肌が焼ける感覚に目を覚ます。うつ伏せに倒れていた上体を引き起こし、少年は周囲を見回した。視界全体に赤い光がチロチロと躍っている。少年はぼんやりと理解した。
自分は今、炎に囲まれているのだと。
火事だ。どこか他人事のように少年はそう胸中で呟く。燃えているのは見慣れた部屋。少年が生まれてより十年と過ごしてきた両親と自分の家だ。
「……お母さん……お父さん……?」
自然と声が漏れる。炎に焼かれている部屋には両親の姿はない。少年は視線を巡らせながら立ち上がった。そこでふと気付く。炎を写した視界に違和感がある。
ズキンと左目が痛んだ。少年は咄嗟に左手で顔の左半分に触れた。ぬるりとした感触。顔に触れていた左手を離す。左の手のひらが赤い液体でべったりと濡れている。
血――しかも相当な量だ。
再び左手を顔の左半分に触れる。頬の皮膚がズタズタに破れている。ひどい怪我だ。ここで視界にあった違和感の正体に気付く。左目が機能していない。
どうやら左眼球が破壊されているらしい。
「……お母さん……お父さん……?」
炎に焼けた空気を肺へと慎重に送り、ゆっくりと吐き出す。混濁していた意識が徐々に形を成していき、まるで炙り絵のように記憶が滲み出てくる。
普段と変わらぬ日常であった。少年は居間で一人本を読んでいた。本の内容は子供向けの冒険記。紙がくしゃくしゃになるほど読み込んだお気に入りの本だ。
ここで外が騒がしくなる。大人の悲鳴や罵声が響いてきたのだ。読んでいた本を閉じて玄関に視線を向ける。すると農作業に出ていた両親が家に飛び込んできた。
「お前は家の中に隠れていなさい! 絶対に外に出ては駄目だ! いいな!」
そう口早に告げて、両親が棒切れやら斧を持ってまた家を出て行く。少年は訳が分からず唖然とした。だが子供ながらに何か良くないことが起こっていることは理解した。
隠れていろと言われたため、とりあえずテーブルの下に身を隠す。そして息を殺したまま時間が過ぎるのを待った。一分。五分。十分と時間が経過していく。
外の騒ぎは静まることなく、むしろ激しさを増していった。少年の中で不安が大きく膨れていく。少年は膨れた不安に押されるように、テーブルの下から這い出した。
「何が……起こっているんだろう?」
窓から外の様子を確認して、すぐにまたテーブルの下に隠れよう。少年はそう考えて、玄関付近にある窓へと近づいた。だが歩き出してすぐ玄関扉が乱暴に開かれる。
玄関扉を開いたのは見知らぬ男だった。
「この魔女が! 家族の仇だ!」
男はそう言うと両手を高く振り上げた。男の手には鉄パイプが握られている。呆然とする少年。男の鉄パイプが振り下ろされて、少年の意識はここで途絶えた。
記憶を探り終えて、少年は炎に焼かれている部屋の中をまた注意深く見回した。鉄パイプの男はどこにもいない。こちらを殴りつけた後、部屋を出て行ったのだろう。
「魔女……仇?」
思い当たる節などない。そもそも鉄パイプの男はこの村の人間ではなかった。村を出たことすらない自分に、男とどのような接点があるというのだろうか。
外の騒ぎは収まっている。否。ゴウゴウと鳴っている炎の声が、外の騒音を掻き消しているのかも知れない。少年はそう考えて、玄関のドアノブに手を触れた。
炎に炙られたドアノブが少年の手を焼く。だが少年は表情を変えることなくドアノブを捻った。先程から痛みを感じない。炎に満たされた部屋にいながら熱さを感じず、破壊された左眼球もまた感覚そのものがない。
(まるで夢の中にいるようだ)
事実これは夢なのかも知れない。少年は扉を開いて玄関から外に出た。
少年が暮らしている村は小さい。人口が百人にも満たず、森深くにあるため他村との交流も少ない。冒険記を繰り返し読む好奇心旺盛な少年にとってこの村は退屈な世界でしかなった。
その村が今、赤い炎に焼かれていた。
「……みんな」
地面の至るところに、血を流した村人の姿があった。仰向けに倒れている者。うつ伏せに倒れている者。眼球を見開いている者。眼球を閉じている者。子供を抱きかかえている者。大人に抱きかかえられている者。様々といる。だが恐らくその全員が――
絶命しているのだろう。
「……お母さん……お父さん……」
玄関の前に折り重なるようにして父親と母親が倒れていた。他の村人たちと同様にその体は赤い血に濡れており、表情を苦悶に歪めて息絶えている。
「……お母さん……お父さん……」
やはりこれは夢なのだろう。両親の死体を目の前にして心が動かない。大好きだった両親が死んでしまったのに涙すら流れない。だからこれは夢に違いない。
「――まだ生き残りがいやがったのか」
すぐ横から声が聞こえた。視線を上げて声に振り返る。そこには見覚えのない男が立っていた。家に入ってきた鉄パイプの男とは別人だ。声を掛けてきた男は鉄パイプの代わりに猟銃を構えていた。
猟銃。猪や狼など人でないモノを狩るための武器だ。突きつけられた猟銃の銃口をぼんやりと眺める。表情を憎悪に染めた男が吐き捨てるように言う。
「よくも俺たちの村を……貴様ら魔女は皆殺しだ!」
猟銃の引き金をしぼっていく男を――
少年は――
ルーク・ケインズは――
身動きせずに見つめていた。