89、すき
「クオンは女の子にモモという名前を授けたでありんす。モモは最初は話すことも、歩くこともできなかったのでありんすが、あいつは根気強くあの子を支えたでござりんす」
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クオンがモモを連れてくるときに、一緒に持ってきてしまった桜の枝は彼の魔力である雷が落ちたことで、クオンの魔力に染まっていた。
彼はその枝を家の裏に植え、桜の枝は東の果ての地に根付き、不思議なことに一年中花を咲かせていた。
クオンの魔力は桜を通してモモの世界に流れ込み、彼が望めばいつでも世界を繋げるようになっていた。
時折、エレヴィオーラとライナードがモモの世界に出掛け、異世界の文化に触れては小物や食料を買い込んで戻ってきた。
その時、二人はエレヴィオーラの幻影で姿を変え、金銭は東の果てにあった鉱物で物々交換という形で賄っていたそうだ。
日本家屋を囲む庭園も、二人が仕入れてきた植物で段々と賑やかになっていた。モモを名付けた時の桃の木も、ライナードが植えたものだ。
そうして豊かになっていく庭園を、クオンとモモは毎日のように散歩した。
「モモ。これは何かな?」
「はし!」
クオンの腰にしがみ付き、よろよろとした足取りながらもゆっくりと歩けるようになってきたモモに足取りを合わせながら、彼女の背中を支えてクオンが空いている方の指で池に架かる橋を指差すと、モモは拙い声で元気よく答える。
「そうだね。それじゃあ、これは何かな?」
「こい!」
彼女の大きな声に驚いた錦鯉が、身をくねらせて橋の下に戻り、パチャンッと水音が跳ねる。
クオンが教え込んだことで、モモは単語だけなら話せるようになってきていた。
「じゃあ、これは?」
「もも!」
池のほとりに佇む、花の終わった木を指すと彼女は自信満々に答える。
「正解。それじゃあ、君のお名前は?」
「ももー!」
クオンを見上げながら、モモはにぱっと邪気の欠片もない笑顔を浮かべる。
彼女の頭を撫でながら、彼は「正解だ」と穏やかな笑みを浮かべた。
「くお、くお」
「ん? どうした?」
自分の袂を引っ張ってくるモモに呼ばれ、彼は彼女と目線を合わせるために少し屈む。
「もも、くお、すき」
「うん。おれも好きだよ」
懸命に好意を伝えてくる彼女に微笑み返すと、彼女は「違う」とじれったそうに首を振る。
そしてクオンの首に腕を絡ませると、突然顔を寄せ彼の唇に自分の唇を重ねた。
「――ッ⁉」
勢い余って額がぶつかってしまい、すぐに離されてしまったがクオンは驚愕に目を見開いた。
「もも、くらい。さみしい」
混乱する彼に、モモは舌足らずの声で一生懸命言葉を紡ぐ。
「そと、ひと、こわい。かお、こえ、こわい」
「モモ」
納屋から引きずり出された時のことを思い出したのか、しゃくり上げる彼女にもう止めさせようとクオンが手を伸ばす。
「くお、きた」
その瞬間、モモの口から出た言葉にクオンの動きが止まった。
「くお、もも、たすける。くお、やさしい、もも、うれしい」
彼女が抱き着き、彼の耳元で囁く。
「くお、すき、すき。くお、もも、すき?」
その時、クオンはモモの鼓動が早鐘を打っていることに気が付いた。彼女の耳が赤くなっていることも、伸ばされた腕が震えていることにも。
「……ああ。おれはモモのことが好きだ」
「わあっ!」
ひょいっと彼はモモを抱き上げると、腕の中で見上げてくる彼女の赤い瞳と目を合わせてくしゃりと笑った。
「ところで、接吻なんて誰から教えてもらったんだい?」
「えれ! ひと、すき、くちびる、くっつける!」
「エレヴィオーラめ……」
クオンは苦笑を浮かべると、モモを抱えたまま来た道を戻っていった。