86、伝承
世界にドラゴンが産まれたことは、偶然が必然か、はたまた神のきまぐれか。
異なる世界で人類が炎を手にしたことを象徴するように、秩序を狂わせるほどの力を持った四人のドラゴン。
彼らは魂に授けられた名前と強大な魔法だけを持ち、この世に産まれ落ちた。
黒の鱗を持った、『クオン』。
橙色の鱗を持った、『エレヴィオーラ』。
青の鱗を持った、『ライナード』。
金の鱗を持った、『アルストロメリア』。
世界にたった三人しか居ない仲間と寄り添い、彼らは東の果てに位置する島に身を寄せた。
やがて、世界には様々な種族が誕生する。
人間、エルフ、ドワーフ、獣人……数え切れない程の種族が独自の文化を築き上げ、時に他種族と交流を図り、時に種族を問わず争いが勃発した。
世界の行く末を見守っていたドラゴン達は行き過ぎた争いには仲裁に入り、それでも治まらなかった場合は力を振るって絶対的な強者であることを示した。そうして、争いを治めようとしたのである。
次第にドラゴンは畏怖の象徴となり、孤立していった。
それでも彼らは構わなかった。弱者が強者を恐れることは当たり前のことだと思っていたし、彼らには恐れられるだけの力があることを理解していたからだ。
さて、クオンというドラゴンは四人の中では力こそ最弱であったものの、彼には他の三人にはない『目』を持っていた。
それは、幾つもの世界、過去、更には少し先の未来ですら見通す『目』。
彼はその目を使い、様々な種族、様々な世界を垣間見ては他の三人に話して聞かせた。
そんな彼が特に気に入っていた世界は、自分と同じ黒髪黒眼の人々が暮らす異国味が強い世界。
見たこともない食べ物、見たこともない服、見たことない文化、四季折々に移ろう景色はそれはそれは興味深く、彼の熱弁に三人は瞳を輝かせて聞き入っていたものである。
あまりにもクオンが事細かに話すものだから、手先の器用なエレヴィオーラが着物を仕立て上げてしまったほどだ。
そんなある日のことだった。
いつも通りお気に入りの世界を眺めていたクオンは、とある小さな村の集落に生えていた桜の樹に目が留まった。
それ自体は何の変哲もないただの桜だ。しかし、その隣にある納屋の前に人々が集っている。
やがて、納屋の中から一人の少女が引きずり出された。
その少女を見た瞬間、クオンは息を呑んだ。
生まれてから一度もハサミを入れたことのないような、長い黒髪。
日差しを浴びたことがないと物語る、雪のように白い肌。
そして、血のように赤い瞳。
その時の彼の心情を一言で表すのならば、それは『一目惚れ』という言葉以上に相応しいものはないだろう。
少女は縄で縛られ、桜の根元に押さえつけられた。
そして、人々は手に持っていた農具を一斉に振り上げたのだ。
「―――――ッ!」
咄嗟にクオンは魔力を迸らせ、少女の世界に干渉した。
彼の魔力は一本の雷となり、桜の樹へと吸い込まれる。
刹那、彼の目の前で空間が歪み、少女の世界とクオンの世界とが繋がった。
彼は迷わず空間の歪みに飛び込んだ。
真っ二つに裂けた桜の樹の境目に降り立ったクオンは、己の核が捻じれかかっていることを察し、一刻の猶予もないと感じた。
クオンは魔力を膨らませて人々を威圧させると、彼らの身動きを封じて少女に駆け寄る。
呆然と自分を見つめる彼女の縄を力任せに引き千切り、少女の手を取ると彼は空間の歪みに身を躍らせた。
その時、雷の衝撃で千切れかかっていた桜の枝が一振りクオンの上に落ち、思わず彼はそれを掴んでしまう。
瞬間歪みが閉ざされ、クオンは少女の手を取ったまま、ドラゴン達の住まう東の果てに降り立った。