8、男同士の話
じっと静かに見つめてくるミュンツェさんに射竦められ、俺は居心地の悪さを感じながら彼の視線から逃げるようにティーカップに手を伸ばした。
「生憎、私は前置きや建前といったまどろっこしいものは苦手な性分でね」
ミュンツェさんの言いたいことがわからない。俺は、警戒の色を滲ませながら一口、二口とお茶を飲み込む。
「単刀直入に聞くよ。君は、クライン王国という国を知っているかい?」
「くらいん、おうこく……?」
突然聞き覚えのない国名を上げられ、俺は戸惑いを隠せなかった。なんだクライン王国とは。ゲームにでも出てきそうな名前だな。
「そうか……やっぱり君は……」
ミュンツェさんは一人納得したように頷いていると、カップに口付けていた俺に向かって突然問いかけた。
「イツキ。君は、この世界の人間じゃないね?」
「ゴボッ!?」
危うく口の中のお茶を噴き出すところだった。無理やり飲み込んだ液体が気管に入りかけ、激しくむせる。慌ててカップをソーサーの上に戻し、俺は呼吸を整えようと必死になって咳き込んだ。
「おっと、大丈夫かい?」
ミュンツェさんはわざわざ立ち上がってローテーブルを回り込むと、俺の背中を優しくさすってくれた。そのお陰か、ひくひくと跳ねていた背中が徐々に落ち着きを取り戻し、何度か咳払いをするとようやく咳も治まってくれた。
「もう、大丈夫です。ありがとうございます」
「いや、悪かったね。私も声をかける時を考えるべきだった」
俺がお礼を言うとミュンツェさんは手を止め、ソファーへと戻りながら謝罪の言葉を口にする。
ところで、この人はさっき『君は、この世界の人間じゃないね?』と言っていたよな?
どうする。なんて言えばいい。誤魔化すか? 正直に打ち明けるか?
いや、そもそも『この世界』ってなんだ?
ミュンツェさんの言った言葉が頭の中でぐるぐる回り、かつてないほど脳が猛スピードで回転する。
「イツキ、落ち着いて聞いてほしい」
俺の思考を止めたのは、ミュンツェさんだった。
「ここは、クラウン王国ラルシャンリ領。君の住む世界とは違う世界だ」
「……え?」
急に、頭に冷や水をぶっかけられたような気分になった。
クラウンオウコク、ラルシャンリリョウ? なんだそれ?
「イツキ、君の持ち物を幾つか見させてくれないか?」
「あ、はい」
彼が指さした方向に、メイドさんが運んできたワゴンがある。その上に、俺の鞄が乗っていたので、俺は鞄をソファーまで運ぶと慌ててチャックを下げる。
「うわっ! なんだこれ!?」
その瞬間、鞄の中から凄まじい量の桜の花や花びらが溢れてきた。どうやら、鞄の中にはち切れんばかりに詰め込まれていたらしい。たちまち、ソファーの上や床にピンク色の花びらが広がっていった。
「す、すみません。なんで、こんな……」
「ああ、気にしなくていい。後で使用人に片付けさせる。それより、地図や通貨のようなものはあるかい?」
心なしか驚いたように一瞬目を見開いたミュンツェさんだったが、すぐに柔和な笑みを取り戻す。
ミュンツェさんの言葉に、ふと思い当たり俺は鞄の中を探った。
いつの間にか、ミュンツェさんが皿を寄せて作っていてくれたスペースに、俺は地図帳と財布の中身をひっくり返して小銭やお札を取り出した。
「これが地図で、これがお金です」
地図帳の世界地図のページを開いてみせると、興味深そうに地図やお金を眺めていたミュンツェさんがワゴンの上に乗っていた丸まった紙と袋をテーブルの上に置いた。
「なるほど。随分と面白そうな代物だ。後でゆっくりと見させてくれるかい?」
俺が頷くと、ミュンツェさんは丸められた古そうなセピア色の紙を広げ、その上に袋の中身を出して置いた。
「これが、クラウン王国。そして、この辺りがラルシャンリ領だね」
ミュンツェさんは、紙の中心に描かれた大陸の上に長い人差し指を添えると、さらにその指を東側に移動させて領地を示す。
「それで、これがクラウン王国で使われている通貨だ。それぞれ銅貨、銀貨、金貨の三枚に分かれていて、銅貨一枚で果実一個、銀貨一枚で馬一頭、金貨一枚で屋敷が一つ買えるくらいの価値だね」
銅貨には王冠を被った若い青年の右横顔が。銀貨には、青年の左横顔。金貨には、青年の真正面からの顔が彫り込まれている。どうやら、どれも同一人物のようだ。
大体日本円に換算すると、銅貨が百円、銀貨が五十万円(馬の値段なんて知らないが、中古車くらいか?)、金貨が一千万円くらいか。というか、何気にこの人さらっと金貨出してるんですけど、やっぱ領主って金持ちなんだな。
目の前の現実を受け入れたくないのに、脳が勝手に情報を咀嚼していく。
今まで凍り付いた時計塔や少女やミュンツェさんの異色の髪色や瞳から必死に目を背けていたが、唐突に理解した。
あぁ、ここは違う世界なんだ。と。
「イツキ、もう一つ大事な話があるんだ」
ぼんやりと虚空を見つめていた俺は、ハッと顔を上げた。
ミュンツェさんは、ワゴンの上からもう一つ袋を取ると、その固く巻きつけられた紐を解いていく。
「実は、私は君の世界に行ったことがある。確か、ニホンといったはずだ」
解かれた紐の中から出てきたのは、ラベルの色褪せたサイダーのペットボトルだった。
「私はそこで、パチパチと弾ける不思議な飲み物を飲んだんだ」
突然見慣れた物が出てきたことで、郷愁に駆られたような気持ちになりながら、俺は鞄の中からジュースの入っていたペットボトルを取り出してミュンツェさんに見せた。
「そのニホンって国、俺が暮らしてた国です。ミュンツェさん、俺、どうすれば日本に帰れますか?」
まくし立てるように俺が尋ねると、ミュンツェさんは懐かしそうに目を細めながらそっと口を開く。
「……私が君の世界に行ったとき、気付けば私は薄紅色の花が咲く木の下にいた。そこからどう歩いたのかは分からないが、見覚えのない街の中で迷子になっていた私を一人の少女が花の木の元へ連れて行ってくれた。少女が帰り、一人になった私は気付けば屋敷の門の前で眠っていたらしい」
一旦口を閉ざしたミュンツェさんは困ったように眉を下げる。
「すまないが、この通りどうも記憶が曖昧なんだ。イツキが元の世界に戻る方法は、残念ながら分からない」
その言葉を聞いた瞬間、俺は軽くショックを受けた。
「ただ、君の鞄から出てきた花は私が君の世界に行ったときに見たものと同じものだ。もしかしたら、この花の咲く木を探せば君は帰れるのかもしれない」
しかし、その後に続いたミュンツェさんの言葉に、俺は絶望の中で一筋の希望が見えた気がした。
「……混乱させてしまったかな。疲れたろう。今夜は是非泊っていってくれ」
ミュンツェさんが指を鳴らすと、ドアがノックされメイドさんが数人入ってきた。
「イツキを客間に連れて行ってくれ。ああ、ここの片づけはしなくていい。それから、お嬢さんを呼んできてくれるかい?」
「かしこまりました」
ミュンツェさんの指示に、すぐさまメイドさん達が反応する。「お荷物お預かりします」と、一人のメイドさんの声を掛けられたので、慌ててテーブルの上の荷物を仕舞い、メイドさんに荷物を預ける。
「イツキ」
メイドさんの案内で風の間を出ようとした瞬間、ミュンツェさんに声をかけられ俺は振り返る。
「私は君の味方だ。それをどうか忘れないでほしい」
朝焼け色の瞳が、俺を案じるような色を宿していて、一瞬目元が熱くなったような気がして俺は慌てて頭を下げる。
「ありがとう、ございます」
幸いなことに、涙は出てこなかった。
前回の更新をお休みしてしまい、申し訳ありません。
今後更新が途切れるとこがあるかもしれませんが、まだまだ続きますのでご容赦ください。