79、依頼人
「待て、死神!」
ミュンツェさんが手を伸ばす。その声にこちらを向いたルイーゼの瞳から一筋の涙が流れ落ち、月光に煌めいた。
その刹那、頭の中で一秒が刻まれる。
『来るべき時が来たら、きっとイツキは魔法が使える。私はそう思ってるよ』
あの時のリックの言葉が脳裏に蘇る。
一秒。ゼスが鎌を振り上げる。
二秒。俺はメリアの背中から飛び出す。
三秒。静かに涙を流す彼女に向けて、右手を伸ばす。
四秒。ゼスが鎌を振り下ろす。
五秒。
「ルイーゼっ‼」
「絶壁‼」
俺とミュンツェさんの声が重なり、鎌を波紋が受け止める。
次の瞬間、ルイーゼとゼスの間の地面が盛り上がり、壁が出現した。
「ハッ!」
瞬間、ゼスが鼻で笑い、魔力が迸って壁が砕かれる。
少女の前に飛び出した俺に向かって、刃を翻した鎌が振り上げられた。
その刃が俺に届く前にピタリと停止する。
ゼスの前に滑り込んだコーが彼の喉元に短剣を突き付け、背後に回り込んだメリアが魔力を高ぶらせていた。
「武器を下ろしなさい。さもなければ、全身が砕けるほど凍らせますわよ」
メリアの警告に、視線を巡らせたゼスは溜息をついて鎌を地面に落とす。
彼は両手を翳して敵意がないことを伝えた。
「分かった。こーさん、こーさん」
ひらひらと手を振って武器を持っていないことをアピールするゼス。彼の足元に落下した鎌をミュンツェさんが回収し、離れた場所に置いた。
「ゼス、お前、何でスカイルを斬ったりしたんだよ」
メリア達に牽制されるゼスに、俺は疑問に思ったことを訊ねる。
「なに、クソガキ達の子守りに、いい加減うんざりしただけだ」
ゼスは肩を竦め、そう言い放つ。その言葉に、ルイーゼがビクッと身体を揺らした。
「ルーは、ルコレは今どこにいるの? 言いなさい」
顔に焦りを滲ませながらコーが問い詰め、彼は溜息をつく。
「知らねぇ。俺が気ぃ失ってるときに、誰かにつれてかれた」
「っ、嘘をつくな!」
「コー!」
ゼスの答えにコーの頭に血が上り、彼の首の皮を薄く切り裂く。ちろりと流れ落ちた赤い血に、リックが声を上げた。
「嘘じゃねぇよ。この状況で嘘を言って何になる。あ、ちなみにルコレを連れてったやつも見てねぇから分かんねぇ」
飄々とのたまうゼスに怒りを露わにしながらも、コーは短剣を引く。
「死神。君達に依頼をしたのは誰だ」
静かに問うミュンツェさんに、「それ聞いちゃう?」と悪戯っぽく笑うゼス。無言でメリアの周囲に、冷気が漂い始めた。
「おっかねぇ女だなぁ! はいはい、大人しく言いますよー」
背後に広がる冷気に背筋を震わせ、ゼスが口を開く。
「俺様達に依頼したのは―――」
と彼が言った瞬間、異様な魔力が放たれゼスの首筋に突き刺さる。
「ぐあっ!」
彼は大きく仰け反り、そのまま横に倒れた。
俺は魔力が放たれた方向を振り返る。そこには、亡霊のように佇むあのフードの人物がいた。
「あいつ……!」
俺の視線に気付いたフードの人物が身を翻し、途端にその姿が掻き消える。
「ゼス!」
コーの叫び声に俺が視線を戻すと、ゼスが身をくねらせ、もがき苦しんでいた。
喉元を押さえる手は爪が首を引っ掻き、血が滲んでいる。激しくのたうち回っていた身体がびくびくと痙攣し、開かれた口から唾液が垂れる。
「なにこれ、この人の魔力を、変な魔力が暴走させてる! このままだと、この人死ぬよ!」
瞬時に虹色の瞳に変わったリックが、息を呑む。瞬間、ゼスの身体からとてつもない魔力が迸り、俺達は吹き飛ばされた。
「ぐっ……」
数メートル程地面を転がり、俺が顔を上げると痙攣するゼスの下の地面がクレーターのように凹んでいる。
「調律だ!」
リックが叫ぶ。確か、調律とは死にかけた時に核が変異する現象だったか。
刹那、リーフグリーンの三つ編みが跳ねた。
「ゼス‼」
ルイーゼがゼスに向かって駆け、衝撃に揉まれる。堪えるように足を踏ん張り、彼女は地面に手をついて四つん這いになり一歩一歩、ゆっくりとゼスに近付く。
「ゼス……!」
ルイーゼが手を伸ばし、ゼスの手を掴む。
「る……いぜ…………」
彼女の手の感触に、目を剥いて苦しんでいたゼスが、焦点を彼女に合わせた。
「……お……まえ……ち、は…………いき、ろ……」
喘ぐように告げられたその言葉に、ルイーゼが目を瞠る。
「……ぅか……いる…………る……ぜ……」
震える唇が名を紡ぎ、ゼスの瞳から光が失われる。
だらりと力の抜けた手を握り、ルイーゼは呆然と呟いた。
「ゼス――?」