78、託す
数時間前。
「いや、なに。ちょっとお前に頼みがあるんだ」
そう言うと、ゼスはひらりと部屋の中に降り立った。
ミュンツェは横目でドアを確認し、いつでも逃げ出せるようにドアとの距離を詰める。
その様子を見てゼスは笑い、「まあ、そう警戒なさんな」と肩を竦めた。
「お前にも悪い話じゃないはずだぜ」
「……私に、なにを頼みたいんだい?」
見極めるように目を細めるミュンツェの前で、ゼスは唇から笑みを引っ込める。
「お前に双璧、スカイルとルイーゼを託したい」
告げられた言葉に、ミュンツェは目を見開いた。
「使用人でも下僕でも何でもいい。この屋敷に、あいつらを置いてやってくれないか。なに、お前は鍛えられた護衛をタダで手に入れたと思えばいい。例えあいつらがギルドから追われたとしても自分達で対処できる。お前らに迷惑はかけねぇよ」
「……どういう心変わりだい?」
つらつらと並べられたゼスの言葉が、ミュンツェの一言で途切れる。
「……あいつらはな、普通のシアワセってやつを知らねぇんだ。生まれた時からギルドに居て、人を殺すことが普通で、そんな世界でずっと生きてきた。血が流れたら痛い、大事な物がなくなったら悲しい、そんなことも知らねぇであの年まで生きてきちまった」
「でもな」と彼は続けた。
「俺様はあいつらが普通のシアワセを手に入れてもいいと思うんだ。そんなシアワセってやつを、お前ならあいつらに与えてやれる。そう思ったから、俺様はあいつらをお前に託したい」
「どうして、今なんだ?」
ミュンツェの問いに、ゼスは真剣な眼差しを向ける。
「あの黒髪の小僧」
ゼスの言葉に、ミュンツェがピクッと反応する。
「あー、なんだ、その、上手く言えねぇんだが、あの小僧は何かが他人と違う気がするんだ。小僧と一緒に居れば、あいつらも何かが変わるかもしれねぇ。これでもな、俺様はあの小僧に期待してるんだぜ」
ゼスが足を進める。彼から一定の距離を取るように、ミュンツェは部屋をぐるりと回り込んだ。
「あ、ちなみに俺様とあいつらがお前達を襲ったのは、金髪の女を捕らえるように依頼があったからだぜ。まあ、俺様が手に塩かけて育てた双璧をコテンパンにされるとは思ってもいなかったがな」
「お嬢さんを?」
ついでのように言われたゼスの言葉に、ミュンツェが目を見開く。
「だから今度は目撃者ごと口を封じるために直接ここを襲った、って算段だ」
肩を竦め、彼はドアを開ける。
「処理はこっちで何とかする。頼んだぜ、領主様」
「おい、待て! 死神‼」
ミュンツェの呼び止める声には耳を貸さず、ゼスは悠々と部屋から出ていった。
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逃げ出したルイーゼを追いかけながら、ゼスは鎌に付いたスカイルの血を眺めた。
双璧をギルドから抜けさせる為には、彼らの死を偽装しなくてはならない。ギルドには血痕に含まれる魔力から、その武器に斬られた人物を特定できる能力の奴がいる。ゼスが双璧を殺したと言えば、鎌に付いた血からその虚言が信じられるだろう。
双璧を殺した理由としては、ギルドから逃亡しようとしたから、ということにしておく。
ギルドの連中も馬鹿じゃない。疑問を覚える奴も出るだろう。しかし幹部の肩書を使えば、そいつらの口を閉ざすことは容易いはずだ。
動揺していたのか、ルイーゼが足をもつれさせて転ぶ。
彼女の前に立ちはだかり、ゼスは無言で彼女を見つめた。
「ゼス……」
思わずといったように自分の名を口にする彼女の足元には、先程手渡したペンダントが転がり落ちている。
それは、かつてゼスが贈った物だった。
自分と同じ鎌を武器に選んだスカイルとルイーゼに、トーリスはそれぞれ大鎌と鎖鎌を制作した。
初仕事の前日、ゼスは二人を呼び出して彼らの首にトーリスお手製のペンダントをぶら下げた。
『これ、なに?』
幼いスカイルが首を傾げ、ルイーゼがペンダントトップを摘まむ。
『これはな、ゼスがお前らの為にって自分に作らせたお守りだよ』
『うるせぇ、トーリス。そんなんじゃねぇよ』
にやにやと意地悪く笑うトーリスを睨みつけ、ゼスはしゃがみ込む。
『これはな、俺様やお前らの鎌の刃と同じ形をしてるんだ。どうだ、かっけーだろぉ』
『かまのは?』
自慢げに鼻を膨らませるゼスだったが、スカイル達は不思議そうな顔をしている。
『ガキには分かんねぇか。まあ、いつもぶら下げとけ』
ゼスは手を伸ばし、二人の頭をわしゃわしゃと掻き回した。
あれから数年。地面に落ちた三日月型のペンダントは、月光を跳ね返して煌々と輝いている。
ゼスはそれから目を背け、蹲ったルイーゼに向けて鎌を振り上げた。