6、屋敷
こちらのミスで前回の更新がされておらず申し訳ございませんでした。
ドアの外から聞こえる風を切る音が、車体を激しく揺らす。
俺達は、窓すらない馬車に乗せられて屋敷へと向かっていた。
鳩に突き刺されていた兵士の、恐縮しきった態度を見る限り恐らくこの馬車は犯罪者を運ぶためのものだろう。ドアの上部には申し訳程度の空気穴があり、そこから白ずんだ空が垣間見える。あと、どことなく獣臭い。馬の匂いか。
正直言うと、俺は馬車に乗るのを躊躇ったのだが、少女が有無も言わさずに乗り込んでしまったので止む無く俺も乗車した。本来は兵士も中に同席するのであろうが、少女の希望(という名の命令)によって、車内は俺と少女の二人っきりだ。
そう考えると、いささか邪推してしまうこともないとは言い切れないが、それよりも俺は少女に聞きたいことがあり、タイミングを見計らっていた。
その少女はというと、座席の真ん中に腰を下ろし、足と腕を組んで空気穴に視線を向ける姿は中々様になっており、そのまま写真に撮ればファッション記事に載せられるのではないかと思うくらいだ。
ちなみに俺は少女と向かい合う形で、座席の隅に座っていた。こういうところは日本人の性だろうか。
「……わたくしに、何か用ですの?」
その瞬間、唐突に転がった鈴の音に俺は最初、自分が話しかけられているのだと気が付かなかった。
「あ? ああっ、おッ……れにっ、言ってんのっ?」
馬車が揺れるからまともに話せない。案の定、少女から呆れたような視線を感じる。というか、彼女は何故普通に話せるのだろう。やっぱあれか、体幹か。
「貴方の他に誰が居るんですの。先程から物言いたげにしていたではありませんか」
バレてた。俺は若干気まずくなりながらも、腹に力を込めて意を決し、口を開く。
「あのさ、あの赤い糸。あれって、なんなのか分か、んっ!?」
馬車が跳ねたと同時に俺の語尾も跳ねた。そして、ガチンッと閉まった歯に挟まれて舌を噛んだ。何気に痛い。
「ああ、あれは、け―――――」
だから口に広がる鉄の味に気を取られていた俺は、不自然に途切れた少女の声にも、何の疑問を抱くことはなかった。
「あれは……呪い」
不意に、少女の低い声音が馬車の中で響き渡り、俺はハッとして顔を上げた。
「強欲なドラゴンが、愚かにも結んでしまった呪い。
赤い糸は互いの血が混ざり合ってできたもの。その糸はどこまでのも伸びるが決して切れることはない。
互いを縛り付けて離さない……実に愚かな呪いですわ」
そして、彼女は笑みを浮かべた。
「そんなものにかかるなんて。貴方、随分とドラゴンに気に入られたのですわね」
今にも泣きだしそうに。金色の瞳をくしゃりと潰して。彼女はどこか嗤っていた。
少女の口から紡がれた単語に、覚える筈の違和感は網で水を掬うようにするりと通り抜けていく。
そのような些細なことよりも俺は彼女のどこか苦し気な表情と雰囲気に惹きつけられる。
何故、そんな顔をする?
どうして、そんなに哀しそうな顔をする?
「あ……」
何か、何か言わなければ。
俺は、彼女に――――――。
僕は、君に言わなければいけないことが――――――――。
刹那、左手の小指で燃え上がった熱に、俺はビクッと身体を揺らした。
「熱っ……!」
思わず声を上げ、視線を落とせば互いの小指を結ぶ赤い糸。
その糸は、妖しく色味を変えるとふっと掻き消えた。
その途端、一際強い揺れに手前につんのめった俺が少女の座る座席に手をつくのと、馬車が止まるのがほぼ同時だった。
立ち上がり、手を叩いて埃を払っていると間もなく外からノックの音が聞こえ、次いで外側からドアが開けられた。
てっきり中に兵士が入ってくるのかと思ったが、少女が先に降りてしまったので慌てて俺も後に続く。
地に足を下ろした瞬間、俺は目の前の建物に圧倒された。
「でっか!」
デカい。とにかくデカい。二階か、三階建てだろうか、とにかく横に広くまた庭も公園かと疑いたくなるほど広い。
「申し訳ないが、そなた達には裏口から屋敷の中へ入っていただく。悪く思わないで頂きたい」
「構いませんわ」
兵士の言葉に、俺は静かに目を瞠る。これで裏口なのか!?
驚愕している俺を他所に、兵士は重厚感溢れる扉の前で左胸を叩いてみせる。すると、見張りの為か槍を手に左右に控えていた兵士二人も同じように左胸を叩いてみせた。
あの仕草、塔の中でもやってたよな。挨拶か?
「報告する! 氷結塔の崩壊についての参考人二名をお連れした。屋敷の中へ案内する許可を願う!」
「了解しました! 領主様より伺っております」
「どうぞ、中へお進みください!」
この人敬語使ってないんだけど、もしかして鳩に刺されてた兵士さんって実は上の位の人なんじゃ……。
思わず目の前の兵士の背中を凝視していると、その直後、甲高く軋む音を上げながら扉が内側へと押し開いていく。
隙間から屋敷の中へと陽光が差し込み、白い光の帯が徐々に太くなってゆき。
そして、扉が完全に開ききった先には、足元を日の光に照らされている一人の女の人がいた。
足首まである黒のスカート。その上には真っ白なエプロンが装着されている。髪の毛は前髪まで含めて後頭部でひっつめられ、清潔感を感じさせた。
「な…………っ!」
思わず声を漏らしてしまい、少女や兵士が一瞬俺に視線を向けたのが分かった。
メイド、だと……!?
いや、確かにこの馬鹿デカい屋敷を見た時点で家政婦というような職業の人が働いていることを予想していてもよかったかもしれない。しかし、まさかメイド服を着ているなんて誰が予想できようか。
でも、ミニスカとかじゃないし結構上品な作りになってんだな。メイド服に変わりはないが。
俺の声に不思議そうに首を傾げていたメイドさんは、気を取り直したように訓練された美しい所作で腰を折って頭を下げた。
「ようこそお越し下さいました。主が応接室にてお待ちいたしております。僭越ながらワタクシめがご案内させて頂きます」
そう言って頭を上げたメイドさんが、「お荷物、お預かりいたします」と俺に両手を伸ばしてきたので、慌てて肩にかけていた鞄を彼女に預ける。
俺の鞄を受け取ったメイドさんは、かなりの重量がある筈のそれを貴重品のように胸の前に掲げながら歩き出したので、慌ててその後ろを追いかける。
その持ち方一番腕に負担かかるやつじゃん……腕ピクリとも震えてないんだけど、このメイドさんもしかして俺よりも筋肉あるのか?
男として軽くショックを受けながらも、メイドさんの後をついていくと簡素な造りになっていた内装が足を進めるほど華やかなものになっていく。緋色の絨毯はより毛が長く、壁には風景画のようなものが飾られ、廊下の至る所に彫像や芸術品が並べられていた。
まあ、俺と少女の周りは兵士達でガチガチに監視されていたので、とてもじゃないが独創的な芸術品を鑑賞するような余裕は俺には無かったが。
その時、速すぎず遅すぎないスピードで歩いていたメイドさんが足を止め、くるりと振り返り片手で飴色の艶のある扉を指し示した。(俺の鞄片手で持てるのか!?)
「こちら、風の間でございます。旦那様。お客様をお連れいたしました」
心なしか声量を増した声でメイドさんが呼びかけると、少しして「入れ」とくぐもった声が聞こえてきた。
それと同時に、風の間というからには風の流れを意識したのだろうか、躍動感のある動きが彫り込まれた深みのある飴色の扉がゆっくりと開いていく。
半分ほど開くと、扉を開ける二人のメイドさんの姿が見え、更にその奥にダークブラウンのブーツの後ろ姿が見えてくる。
そして、扉が半ばまで開き、ひっつめ髪のメイドさんが「失礼します」と一礼して入っていくので、俺も軽く頭を下げてから風の間へ足を踏み入れる。
その瞬間、ふわりと柔らかな風が俺の髪を撫で、ハッとして顔を上げたその先には、鮮やかな緋色の上着に身を包んだ青年が振り返っているところだった。