58、父親の顔
「ごめんね、イツキ君」
突然謝られ、俺は驚いて国王を振り返る。
手摺によりかかって街並みを眺めていた彼は、そっと俺の方を見て微笑んだ。
「ほら、僕さ仕事中怖いでしょ? 実はね、仕事をしているときの記憶が曖昧なんだけど、それでも自分でもビックリするほど僕怖いんだもん。だから、いつも厳しくてごめんね?」
「いえ、そんな、気にしないでください」
俺は両手を振りながら、国王の口から出てきた『記憶が曖昧』という言葉が引っかかった。
もしかして、王様って本当に二重人格なのか?
「そういえば、明日か明後日には城を出るんだって?」
空気を変えるように話題を持ち出した国王に、相槌を打つ。
「はい。急な話ですが」
「ティアがイツキ君を治療できたらよかったんだけどね。まあ、あの子の研究は本当はそういうのに向いているわけじゃないから」
「そうなんですか?」
彼の口から意外な言葉が飛び出す。てっきり王女様もレティーさんのように、魔力や核に関する研究をしているんだと思っていた。
「そうそう。ティアはね、ローレン――あ、王妃のローレンティアのことなんだけど、ローレンの病気を治すために研究を始めたんだ」
俺から目を外し、再び彼は街並みに目を落とす。
「ローレンはティアを産んでから、魔力が不安定になって体調を崩してしまってね。もう何年もベッドから起き上がれていないんだ。ティアはそんなローレンの為に自分に出来ることはないかって模索して、それで研究を始めてね」
「すごいでしょ?」と一瞬横目で俺と視線を合わせて、彼は自慢そうに笑った。
「ティアはね、すごい頑張り屋さんなんだよ? 勉強もダンスも得意じゃなかったんだけど、人一倍努力してどっちも先生に褒められるほどになって。更に研究もしてるでしょ? もう親として鼻が高いよね! まだ十四歳なのに。あの子は自慢の娘だよ」
そう言いながら、彼は目を伏せた。
いや、王女様十四歳だったの!? もっと年上だと思ってた……。
「でも、国民はティアをよく思わない人もいるんだ。今まで王の位に就いてきた人は、王族直系の長男って決まっていたんだ。それで僕の代までは問題なかったんだけど、ティアは女の子でしょ? それで大騒ぎになっちゃって」
「そんな」
思わず話の途中に口を挟んでしまった。
「中には男の子が生まれるまで子供を作れって人も出てきてね。でも、僕はローレンに無理させたくないし、ホント困ったなって感じなんだよねー」
そう言ってから、彼はハッとしたように口を押えた。
「勿論、ティアに不満があるわけじゃないよ!? 逆にティアが産まれてきてくれて、僕達はすっごい嬉しかったんだ。ローレンと毎日話し合ってね、僕のアレスとローレンのティアを合わせて『アレスティア』って名前にしようって決めた時は、こんなにぴったりな名前ができるなんてって二人でビックリしちゃって。綺麗な名前だよね?」
「そうですね。すごい、いい名前だと思います」
心の底から同意を表すと、「でしょー」と国王は破顔した。
「それにね、ティアのあのぐるぐるの髪って産まれた時からなんだよ。髪が短かった時は小さな縦巻きがいっぱい頭からぶら下がってて可愛かったなぁー。それがどんどん伸びていったら、あんなに立派な縦巻きになっちゃって」
そうか、縦巻きって産まれた時からなんだ。いや、癖強いな!?
「ローレンもビックリしてね。『髪色はわたし譲り。癖っ毛は貴方譲りね』ってよく言ってて、でも僕ってそこまで癖強いわけでもないじゃん?だからすっごい極端に遺伝しちゃったのかなー?」
首を傾げ、ふと何かを思い出したように国王が手を叩く。
「そうそう。ティアはね、見てわかると思うけどローレン似なんだよねー。ローレンには確か会ったんだって? すっごい美人でしょー。ティアも将来ローレンそっくりの美人さんになるのかなー。今から二人を一緒に絵に描いてもらうのが楽しみなんだー」
その時俺は違和感を感じ、口を開いた。
「あの、王妃様って……」
「ん? ローレンがどうかした? あ、もしかしてまだ話してないの? できれば城を出る前にはお話ししてあげていってほしいな。ローレンもイツキ君とお話しするの楽しみにしてると思うよ?」
彼の言葉に、違和感が正しいものだと確信する。
「……はい。分かりました」
俺は静かに頷いた。
「あ、僕ばっかりべらべら喋っちゃった。ローレンにもよく注意されるんだよね。『貴方は自分の話ばっかり。少しは人の話を聞きなさい』……って、なんかセバス来てない?」
不意に振り返った国王が顔を強張らせ、俺も振り返ると廊下の奥から灰色の瞳の執事が歩いてきた。
彼は掃き出し窓を開けると、テラスには足を下ろさずに声をかけた。
「アレストレイル王。そろそろ仕事にお戻りください。それにしてもこんな時間まで外に出ているなんて、寒くないのですか?」
「はーい。僕は大丈夫だけど、イツキ君は平気?」
国王に訊ねられ、俺はもう一度頷いた。
「はい。大丈夫です」
今の時期は日本でいう六月に近い。確かに少し肌寒いかもと感じたが、中に戻れば身体も温まるだろう。
そう思い、廊下に戻る国王の後ろに続くと、セバスチャンさんが近付いて来てそっと耳元に囁いてきた。
「後で温かいお茶をお持ちします」
セバスチャンさんの観察眼に驚き、俺は国王にバレないようにお辞儀をした。