57、テラス
「失礼いたします」
声がかけられると同時にドアが開けられ、メイドが入ってくる。
部屋の中に居たメリアは、振り返った。
「メリア様、イツキ様からお花を頂いたので飾らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「構いませんわ」
返事を返し、彼女は再び背を向ける。
メイドは棚の上に花瓶に活けられた花束を置いていくと、「失礼しました」とお辞儀をして出ていく。
メリアは腰掛けていたベッドから立ち上がると、棚の前まで足を進めて花びらにそっと触れた。
「アルストロメリア、ですか……」
彼女は呟き、花びらから手を離した。
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アレスティアは両手で花瓶を抱え、ドアの前に立った。
「失礼いたします」
声をかけてからドアを開け、中に入る。
「お母様。イツキ様がお花をくださいましたの。とっても綺麗ですのよ」
声を弾ませて天蓋の奥に話しかけるも、返ってくるのは静寂ばかり。
アレスティアは花瓶をテーブルの上に置くと、そっと天蓋を捲って中に入った。
「お母様。ワタクシ、頑張っていますのよ?」
ベッドの傍らに立った少女は、突然蹲った。
「お母様、また昔のように、ワタクシを、ティアをっ、褒めてください。頭を、撫でてください……っ!」
アレスティアの悲痛な叫びが、部屋の中で小さく響く。
花瓶に活けられた花束から、花びらが一枚舞い降りた。
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俺は城の中の『せせらぎの間』で手を洗っていた。
『せせらぎの間』というのは、要はトイレのことだ。
一番最初に教えてもらったのはミュンツェさんの屋敷だったが、この国のトイレは便座の下に直接下水道が流れているため、トイレから川の流れる音と酷似した音が聞こえる。
その為、『せせらぎの間』なんてちょっと風流な名前がつけられたようだ。初めて聞いた時は、本当に何か分からなかった。
常に水が流れている水場で手を洗い、ハンカチで手を拭く。
横目で鏡を見て一応身だしなみをチェックしてから、せせらぎの間を後にした。
「いーつーき君」
その時、不意に声をかけられて俺が顔を上げると目の前で、バイオレットのマントが翻った。
「お、王様!?」
にこにこと笑う国王の姿に、慌てて跪こうとする。
「ああ、やめてやめて! 僕そういうの嫌いだし、そこ汚いから!」
必死に止めようとする国王に従い、降ろしかけた膝を戻す。確かにここ、トイレの前の廊下だったわ。
昨日の雰囲気と一変して、国王から親し気な雰囲気が流れている。一番最初に会ったときのようだ。
ふと彼の頭上を見やると、いつも被っていた王冠がない。
「あの、王様、王冠はどうされました?」
「ああ、今休憩中だから外してんの」
俺の質問に、国王はあっけらかんと答える。それならよかった。また失くしていたら城中が大騒ぎだったからな。
「あのさー、イツキ君。今時間ある?」
急にもじもじとし始めた国王を、俺は怪訝に思う。
「はい、大丈夫ですけど」
「ならさ! 僕とちょっとお話しよう?」
彼に誘われ、俺は一瞬戸惑ってから頷いた。そもそも王に誘われて拒否なんてできないだろう。
「やった! じゃあ、テラスに行こ」
「テラス?」
国王の言葉を思わず聞き返す。テラスなんて場所があるのか?
「ふっふー。僕の秘密の場所なんだー」
ご機嫌に言い、国王が率先して廊下を歩いていく。
いや、秘密の場所って、そんな簡単に教えていいものなのか?
彼の後に大人しくついていき、しばらく歩いていくと突き当りに掃き出し窓が見えてきた。
「こっちだよ」
国王は掃き出し窓の鍵を開けると、外に出る。
その後ろに続くと、手摺で囲われた空間があり、二階からの王都の街並みが一望できた。
「ここがテラスだよ。ここ僕の部屋と繋がっていて、僕の部屋からも出れるんだ」
無防備な国王の言葉に、思わず苦笑いを浮かべる。そういう大事な情報を駄々漏らしにしていいのか?
「ここなら誰にも聞かれない。お話し、しよ?」