5、火花(2)
「へ?」
唖然としている俺の真横に、吹き飛ばされた兵士が、ガシャァアアア――ンッと穏やかではない音を立てて墜落する。
「わたくしを、誰だと心得ているのかしら?」
冷ややかな声に皆の視線を集めた少女は、涼しい顔をして髪をかき上げた。
「そっ、総員! かかれぇ‼」
号令と共に少女の元へと、緋色の甲冑が集中する。
少女は先頭にいた兵士を難なく躱すと、すれ違いざまに鞘ごと剣を奪い、丸腰になった兵士の背中に向かって振り上げる。途端、兵士は面白いくらい吹き飛ばされた。
次いで、二人目の兵士には地面すれすれから一閃。真上に打ちあがる仲間に目を奪われた三人目の後頭部を蹴り抜き、倒れこむ兵士に目をくれることもなく跳躍。自ら敵の真ん中に飛び込み、兵達の隙を見逃さず一網打尽にする。
「つっよ! 嘘でしょ!?」
いかにもか弱そうな女の子がバッサバッサと兵を薙ぎ払う姿に、兵士達の間にも動揺が走る。
このままでは埒が明かないと思ったのだろう。一人の兵士が抜刀し、少女に向かって斬りかかった。
「おい、待てっ!」
流石にそれは不味いと思ったのだろうか、仲間から静止の声がかかる。
その研ぎ澄まされた刀身に、俺の背筋に冷たいものが駆け上る。
少女はちらりと視線を向けると、鞘を抜くこともなく振り下ろされる剣をぞんざいに振り払った。
ピキッとやけに響いた儚い音に、その場の誰もが目を奪われる。
兵士の手の中で剣に亀裂が走り、やがて甲高い音を立てて砕け散った。
「言ったでしょう? わたくしを誰だと心得ていますの?」
呆然と両手を見つめる兵士に容赦なく剣の柄を叩きこみ、少女は冷たく吐き捨てる。
その滑らかで美しい戦いに目を奪われた瞬間、俺は背後から突然腕を取られ床に叩きつけられた。
「ぐっ!?」
肺の空気が呻き声と共に吐き出され、空気を求めて無様に喘ぐ。
「大人しく投降しろ! さもなくば、こいつがどうなってもいいのか!?」
「構いませんわ!」
「おいー‼」
きっぱりと潔く言い切った少女に、悲鳴を上げる俺。心なしか、兵士の俺を見る視線が可哀想なものを見る目に変わった気がする。
俺は必死に身を捩り抵抗するも、締め上げられた腕はびくともしない。鞘の金具と鎧が擦れる金属質な音が鼓膜を叩き、背筋に怖気が駆け上った。
もし、この鞘から剣が抜かれて斬られたら。
そう思うと、全身から力が抜けた。代わりに、今まで経験したことのないような震えが体中を支配する。歯の根が噛み合わず、口の中でカチカチと音がした。
正直に言おう。俺は人生初めての命の危機に、完全に呑まれてしまっていた。
俺の怯えを敏感に感じ取ったのだろうか。背中から再び投降勧告が告げられる。
「もう一度言う。剣を捨て、大人しく投降し―――――」
その声が突然途切れ、背中に被さっていた重みが不意に消えた。ハッとして首を巡らせると、声もなく床スレスレを吹っ飛んだ兵士が壁に激突し、糸を引くようにゆっくりと倒れこんでいく。
「な―――っ!」
絶句する俺の視界に映りこむ、金色の髪。
視線を滑らせると、床についた手を軸に両足を振り抜いた体勢で一瞬宙に浮いていた少女がゆっくりと足を畳み着地した。
広がるスカート。髪は翻り、翼のように背に広がっている。露わになった額は滑らかで引き結んだ唇と、吊り上がった瞳が凛々しく、どこか気高い。
あの距離を一瞬で? いくらなんでも速すぎないか!?
愕然と少女を眺めていた俺と、ちらりと視線を流した少女の目が合う。その瞬間、妙な高揚感と戦慄がゾクゾクッと全身を駆け抜けた。
心臓が脈打つ。激しい鼓動が、耳の後ろでがんがんと鳴り響く。
「……貴方、いつまで地べたに寝そべっているおつもりですの?」
桜色の唇から発せられた言葉に、俺が慌てて立ち上がると少女は俺を庇うように再び構えの体勢を取った。
さながらクラウチングスタートのように上体を低く落とし、身体の前で鞘に包まれた剣を構える。その背中が弓なりに引き絞られ、今まさに放たれんとする矢のようにサンダルを一歩踏み出した。
刹那、風を切る音と共に階段から白い影が突っ込んできた。
突如乱入してきたその影に、少女は思わずといったように足を止める。影はくるりと部屋の中を一周旋回すると、少女の飛び蹴りで吹っ飛ばされた兵士の背中の上へ降り立った。
それは、一羽の純白の鳩だった。足首には身体に合わない大きな筒のようなものが括りつけられている。
クークドゥッドゥドゥー
と、どこか間抜けな鳴き声を何度か発する鳩。ってゆーか、あれ鳩の鳴き声だったのか。今初めて知ったぞ。
身じろぎをするも中々起き上がらない兵士に業を煮やしたのか、鳩はこてんと首を傾げると次の瞬間鋭いくちばしで突き刺し始めた。しかも、兜と鎧の繋ぎ目に。
いかにも、痛そうな効果音が似合いそうな感じで。
鳩、意外と狂暴だな!?
「いでっ!」と鈍く悲鳴を上げた兵士はよろよろと起き上がると、ちょんちょんちょんと跳ねて肩から腕に飛び移った鳩に付けられた筒を開け、中から文書のようなものを取り出す。それに目を通した兵士が、兜の奥から驚愕したような声を漏らすと、不意に右手を左胸に叩きつけ俺達に向けて頭を垂れた。
「なんだと……さ、先程の言葉は訂正させていただく! 領主、ミュンツェ・ラルシャンリ伯爵が貴女方との面談を希望されている。どうか、屋敷までお越しいただけないだろうか?」
突然の畏まった口調に、警戒心を露わにする少女。戸惑いを隠せない俺。ざわめく兵士達。そんな俺達の芳しくない様子を見てか、兵士は文書の文面を掲げる。そこには、流し書きで本文とサインのようなもの、そして判子のようなものが押されてあった。
字、読めねぇ……!
書かれていた文字は、少なくとも見慣れた日本語ではない。しかし、どうやらアルファベットでもなさそうだ。そうすると、俺の知らない言語なのだろうか。でも、言葉は通じてるよな。
その時、文書を掲げていた兵士が困惑したように続ける。
「それと、ミュンツェ様から『サクラのことで話がある』とのことだ」
瞬間、少女が手に持っていた剣をおざなりに投げ捨てた。
思わずビクッと肩を揺らしてしまった俺が少女の顔を恐る恐る窺うと、彼女はどこか思い詰めたような表情を浮かべている。
「……行きますわよ」
「え?」
心なしか色を失った少女の唇から、低い声音が転がり落ちた。
「その領主とやらに会って差し上げますわ。屋敷まで案内しなさい」
「畏まりました」
高飛車に言い放つ少女に、軽くお辞儀をする兵士。
俺がわたわたしている間に、兵士は頭を上げると朗々と声を響かせた。
「総員、撤退!」
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