42、到着
一日目の移動中、俺はほとんど寝ており気付いたら宿屋に着いていた。
ミュンツェさん御用達なだけあって、部屋にはベッドや机だけでなく湯舟まで用意されていたのには驚いた。
ただ、食事の味が少し薄くて食材の臭みが出てしまっていたのは残念だったが。
こう考えると、やはりサラさんは料理上手だったのだろう。
二日目や三日目も、移動は問題なく進んだ。
四日目になると流石にうんざりし始め、どこでも気軽にスマホが使えた日本時代を羨んだりもした。
俺のスマホは、今は鞄の中に仕舞い込まれている。その鞄は中身ごと今回の旅に持ってきており、もう一台の馬車に乗っているはずだ。
きっと頭の良い人ならばスマホを使って異世界で大活躍するのだろうが、俺には音楽を聴いたりゲームをするしか使いようが無く、そんなことで貴重な電池を消費するのも馬鹿らしい。
ちなみに俺はゲームでアイテムの使いどころが分からずに、バッグをぱんぱんにするタイプの人間だ。スマホもいつか電池が切れて使えなくなるだろう。
自分でも勿体ないことをしているという自覚はある。けれど、俺はこれでいい。この世界で下克上をしようとか、改革をしようなんて高望みはしない。
問題が起こったのは、五日目の夜だった。
俺は情けなくも、再び熱を出したのだ。
おそらく生まれて初の長旅のストレスだろうが、足の傷もジクジクと痛みを訴えている。
様子を見に来たミュンツェさんは、顔を曇らせてしばし熟考すると、「明日、予定通り進もう」と言った。
「もう王都の近くまで来ている。城にさえ着いてしまえば、十分な看病を受けられるはずだ」
「……すみません、ミュンツェさん」
俺が謝ると、彼は眉を下げて微笑んだ。
「イツキが謝ることじゃない。むしろ、謝るのはこっちの方だ。まだ怪我も治っていないのに連れ回して申し訳なかったね」
そう言い残すと、ミュンツェさんは自分の部屋に戻っていった。
夜中は宿屋の人がちょくちょく世話をしに来てくれ、翌日には大分体調も良くなったと思われた。
しかし移動中にぶり返し、おまけに馬車酔いも起こして大変な思いをした。
幸いなことに戻すことはなかったのだが、腹の中でぐるぐると気持ち悪さが渦を巻き、光も刺激になるほど辛く、移動中はずっと目を閉じていた。
そのせいで王都の街並みや城門を見ることが出来なかったのは残念だったが、城に着いた時、俺はあまりの安堵感に思わず脱力してしまったほどだった。
どうやら日が明るい内に到着したようで、窓の外から青空が見えた。
先にミュンツェさんとメリアが降り、次いで兵士さんと城の執事さんと思われる人が乗り込んでくる。
執事さんは俺の松葉杖と膝掛けを持ち、兵士さんは再び俺を担ぎ上げた。
俺はそのままミュンツェさん達と別れ、先に客間に案内されることになった。
俺的には自分の足で歩こうとしたのだが、兵士さんに有無も言わさずに運ばれ、部屋の前で下ろしてもらった。
「あの、ありがとうございました」
執事さんに支えられながらお礼を言うと、兵士さんは敬礼をして去っていく。
部屋の中に入ると、ずらりとメイドさんが並んでおり一斉に頭を下げられた。
「「「お待ちしておりました、イツキ様」」」
ざっと見て五人はいるだろうか。メイドさん達の迫力に度肝を抜かれていると、執事さんは彼女達の間を通り、俺をベッドまで案内する。
「こちらにお着替え下さい」
ベッドに腰掛けると、一人のメイドさんが着替えを差し出してきた。
「あ、ありがとうございます」
着替えを受け取り、一瞬変な時間が流れる。
「あの」
「どうされました?」
にこにこと笑いながら首を傾げるメイドさん。
「着替えるんで、後ろ向いてもらってもいいですか?」
俺の言葉にキョトンと目を開いたメイドさんは、クスッと笑いを零した。
「ああ、失礼いたしました。お手伝いが必要でしたら、お呼び下さい」
メイドさん達は背中を向けてくれる。俺は笑われたことに少し傷つきながらも、制服を脱いだ。
俺は右足の脛の骨を骨折しており、ふくらはぎに包帯が巻かれている。そのため、スラックスを膝まで捲り上げていたのだが、そこだけ脱ぐのに手こずった。
渡されたのはガウンのような服で、通気性の良い素材で作られており、簡単に着ることが出来た。
「もう大丈夫です」
脱いだものをまとめていると、メイドさんがそれを手早く回収していく。
「体調が優れないとお伺いいたしました。近くに待機しておりますので、ごゆっくりとお休み下さい」
制服を持ってかれてしまい、俺はなす術なくベッドに潜り込む。
毛布を鼻まで引き上げると、今までの疲れもあってかすぐに眠たくなった。
メイドさん達の足音を聞きながら、俺は意識を手放した。
次に目を覚ますと、室内が薄暗くなっておりギョッとする。
目を動かすと、どうやらカーテンが引かれているようだった。
寝る前の気持ち悪さは消え失せ、しばらくぶりの快調を感じながら起き上がる。
その瞬間、額からずり落ちた白い物が毛布の上に落ち、拾うとそれは濡らしたタオルで、すっかりと生温くなっていた。
「お目覚めですかな」
不意に声をかけられ、俺は驚いて顔を上げる。
ベッドの傍に一人の執事さんが立っており、深く腰を折ってお辞儀をしてきた。
丁寧に撫でつけられた白髪。灰色の鋭い眼差しに、執事服をカッチリと着こなし、初老と思われる年齢ながらピンと伸びた背筋はカッコいい大人という感じがする。
「お初にお目にかかります、イツキ様。ワタシはセバスチャンと申す者でございます。以後お見知りおきを」
凛と響く声は渋く、一瞬の隙もない。
「普段は姫に仕えさせて頂いておりますが、ご用がありましたら何なりとお申し付けくださいませ」
「姫?」
気になった言葉を繰り返すと、セバスチャンさんは「おや?」と不思議そうな顔をする。
「ご存じありませんか? また姫から挨拶があることでしょう」
そう言うと、セバスチャンさんはカーテンに近付いた。
「イツキ様が眠りについてから、一夜が明けました。体調はいかがですか?」
カーテンを開け、朝日を取り込みながらセバスチャンさんが振り返る。
「え、朝!? あ、はい。もう大丈夫です」
驚愕しながらも、返事をすると彼はにっこりと目を細めた。
「そうですか、それは何よりでございます。それから、僭越ながらイツキ様のお怪我を治させて頂きました」
「え?」
セバスチャンさんの言葉に目を見開き、毛布を引き剥がす。
ガウンの下の右足に恐る恐る触れてみるが、全く痛くない。足を立ててみるが、問題なく動く。
驚きのあまり言葉を失い、セバスチャンさんの方を振り返ると彼は胸に手を当てて再度頭を下げた。
「セバスチャンの魔法は『治癒』でございます。お怪我をなさいましたら、お申し付け下さいませ」