39、後日談(2)
リックが帰った後、目の上に腕を乗せて仰向けに寝転がっていた俺の耳に、はっきりとしたノックの音が届いた。
「私だ」
「あ、どうぞ!」
声をかけ、慌てて起き上がる。ドアが開き、廊下からミュンツェさんとコーが入ってきた。
「調子はどうだい?」
「大丈夫ですかー?」
心配そうに顔を曇らせる二人に、意識して笑顔を向ける。
「もう大丈夫ですよ。熱も下がりましたし」
強がった俺の言葉にミュンツェさんは微笑み、コーは首を傾げた。
「……無理してますかー?」
「え」
彼女の問いに、言葉を失う。コーは首を傾げたまま続けた。
「痛いならー、我慢しないで痛いって言ったほうがいいですよー」
コーの間延びした声が、静かな部屋の中に吸い込まれていく。俺は思わず呟いた。
「……お前が、それを言うのかよ……」
「え?」
彼女はキョトンと目を瞬かせる。その時、黙っていたミュンツェさんが口を開いた。
「まあまあ。コー、男には強がりたいときがあるんだ。それに口を出すのは無粋ってもんだよ」
「でもね」と、彼は続ける。
「女の子は、強がらなくてもいいんだよ」
「へ?」
ミュンツェさんはコーに優しい眼差しを落とす。彼の諭すような声が、降り積もる。
「辛いとき。苦しいとき。泣きたいときは泣いていいんだ。勿論男にだって泣くときくらいあるさ。でも、女の子は特に我慢しちゃいけない。女の子に耐えさせる男は、男として失格だ」
ミュンツェさんはしゃがみ、片膝を床につける。
「コーは我慢していないかい? 一人で耐えていないかい?」
下から見上げてくる彼の視線に、コーがたじろぐ。
「コーは、大丈夫、です、よ?」
途切れ途切れに声を発し、彼女は口角を上げる。
「嘘つけ」
しかし俺の鋭い声に、彼女の笑みは固まった。
「大丈夫じゃねぇだろ。弟攫われて、大事な人いなくなって。普通に大丈夫じゃねぇよ」
真っ直ぐにコーの目を見つめる。ワインレッドの瞳が怯えたように縮こまった。
「自分で気づいてるか? お前、さっきから笑えてないんだよ」
俺の言葉に、彼女はハッと息を呑む。
コーの目は乾いて血走り、弧を描こうとした唇は片方が歪んでいた。
「泣いていい。怒っていい。恨んでも、憎んでもいいから、そんな辛そうに笑ってんじゃねぇよ……」
俺の声が消え、静寂が満ちる。彼女は顔を下に向け、ずり落ちた髪が表情を隠した。
「……約束を、したんです」
俯いた彼女の口から、ぽつりと言葉が流れ落ちる。
「……どこに行っても、ルーはコーと一緒にいるって……コーもルーとずっと一緒だって、約束をしたんです……なのに……!」
コーが顔を上げる。乾いた瞳がみるみるうちに潤み、目の縁から決壊した。
「ごめんなさい……約束、守れなくてごめんなさいぃ」
顔をくしゃくしゃに歪め、次から次に流れる涙を拭いながら少女は嗚咽混じりに懺悔した。
「こんなっ、頼りないお姉ちゃんでごめっ、なさい、ルーを守れなくて、ごめん、なざい、コーなんかが、ここにいて、ごめんなさいっ」
「それは違う!」
黙ってコーの独白を聞いていた俺は、強い口調で否定する。
「コーが無事でよかった。ルーだけじゃなく、コーまで攫われていたら、俺達はどうしようもなかったんだ。だからコーなんかって、言うなよ!」
「……うぅー」
俺の怒鳴るような声に、しゃくり上げていたコーが泣き声を上げる。
歯を食いしばり、唇の隙間から零れる声は無理やり感情を押さえつけたようで、段々と甲高くなっていく悲痛な声は、上手く泣けない幼子のようだった。
俺とミュンツェさんは、黙ってコーを見守る。
やがて涙が枯れた彼女は、一足先に部屋を出ていった。
その顔が、憑き物が落ちたように晴れ晴れとしているのを見て、俺は胸を撫で下ろした。
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「悪かったね。手間をかけさせた」
立ち上がったミュンツェさんが、膝を払う。
「いえ、俺は何もしてませんから」
「謙遜するな。あのままだときっとコーは壊れてしまっていただろうからね。今のうちに吐き出させることができてよかったよ」
そう言うと、彼は笑みを深くした。
「流石、兄であるだけあるな」
「いや、そんな……あれ? 俺ミュンツェさんに兄妹がいるって言いましたっけ?」
ミュンツェさんの言葉に引っ掛かりを覚える。
「さあ、言ったんじゃないか? とにかく、コーは取り敢えず大丈夫だろう。イツキはしっかり休んで傷を癒しなさい」
ミュンツェさんは謎めいた笑みを残し、立ち上がった。
「それじゃあ、また顔を出すよ」
ドアを開け、彼は颯爽と立ち去って行った。
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日も暮れ、ぼんやりと夕焼けを眺めていると、ドアが来客を告げる。
「どうぞ」
声をかけると、入ってきたメリアはベッドの傍らまで足を進めた。
「よお。お前は来ないんじゃないかと思ってた」
「……そう」
相変わらずつれない態度に苦笑いを零し、俺は上体を起こす。
「生き埋めになったとき、助けてくれてありがとな」
「……掘り起こしたのは、あの精霊ですわ」
お礼を言うと、メリアはツンと顔を背ける。
それでも俺は憶えている。瓦礫の中に埋まった時、赤い糸が出口に向かって伸びていたことを。その糸が煌々と輝き、熱を纏っていたことを。
「……わたくしに、聞きたいことがあるのではなくって?」
ぽつり、とメリアが声を落とす。
「そりゃ山ほどあるさ。でも、今は一つだけ教えてくれ」
俺は真っ直ぐにメリアの顔を見つめる。ゆっくりと顔を戻した彼女の金色の瞳と、目が合った。
「メリア。お前はドラゴンなのか?」
俺の問いに、いつもならすぐに目を逸らしてしまうメリアが、その時はじっと俺の目から視線を外さなかった。
「だったら何だと言うのです」
「いや、別にいいんだ」
彼女の言葉から答えを得た俺は、左手に視線を落とす。
どうやら俺の赤い糸は、ドラゴンに繋がっているらしい。