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どうやら俺の赤い糸はドラゴンに繋がっているらしい  作者: 小伽華志
第一章 孤独の少女
30/120

30、テネレッツァ






 あの日のことは、よく憶えている。

 よく晴れた日だった。


 家の前で遊んでいたレティーと幼馴染おさななじみの少年は、突然起こった地震に驚き、その場に伏せてやり過ごした。

 地震はすぐに納まり、しばらく様子を見ていても何も起こらなかったので、二人は遊びを再開しようとした。


 その時、不意に太陽がかげり、不審に思ったレティーは空を見上げた。

 それは、まるで影が形を持ったかのようだった。


 尖った牙。鋭い爪。太い尾に、青空に広がった両翼は真っ黒なうろこで覆われ、黒々としたその姿は見たこともないような生き物の姿をしていた。


 「ドラゴン……」


 幼馴染の口から零れた呟きに、あの生き物はドラゴンというのか、と思ったことを憶えている。

 ドラゴンは空で羽ばたいたまま首を天に向けると、裂けたような大きな口を開けて咆哮ほうこうを上げた。


 まるで悲鳴を上げているようだった。その声は、何故だかとても悲しい声のように思えて、徐々に掠れていく音が、妙に物悲しかった。

 声が消えたと思った次の瞬間、ドラゴンの胸が膨らみ、口の端から火花が飛び散る。


 そして、仰け反ったドラゴンの口から勢いよく炎が吐き出された。

 真っ黒な炎は森の中に吸い込まれ、爆発音と共に燃え上がる。


 黒くよどんだ火はあっという間に回り、木々や建物、そして人や精霊を飲み込んでより一層燃え上がった。

 気付けばレティーは母に抱きかかえられていた。


 母の足元には幼馴染が一緒に走っており、彼の手に抱えられた父の大切な木箱に、嫌な予感が背筋を震わせた。


 「お母さん……お父さんは?」


 息を切らせて走る母の腕の中で、レティーは声を震わせる。

 娘に目を落とした母は口を引き結んで首を振り、その意味が理解できなかったレティーは何度も叫んだ。


 「ねえ、お父さんは? お母さん! お父さんは!? お父さん! おとうさん‼」


 声が裏返るほど叫ぶ彼女を止める声はない。

 母の髪で揺れた青い花の髪飾りを見たレティーは、何かを察したように目元をゆがませ、父を呼ぶ声に嗚咽おえつが混じった。

 その瞬間、彼女達の背後で火が爆ぜ、木々が倒れ込む。


 「エル!」


 間一髪かんいっぱつ逃れられなかった少年の上に木が倒れ、小さな人影が下敷きになった。


 「シュエルツ!」


 「エルぅ!」


 悲鳴を上げる親子の前で木が燃え、煌々(こうこう)と光り輝く。

 木の下からわずかに伸びていた手も炎に飲み込まれ、身を引き裂かれるような悲鳴が木の下からほとばしる。レティーの絶叫が上がった。


 「……ごめんなさい! シュエルツ!」


 レティーの耳元に母の声が届く。

 下敷きになった少年に背を向け、再び駆け出した母の腕の中でレティーは必死にもがいた。


 「お母さん! エルが、お母さん‼ エル‼ 嫌ぁああああっ‼」


 幼馴染の愛称を叫び、半狂乱になって暴れまわる娘を母は絶対に離そうとしない。

 母の足は止まらなかった。仲間の絶叫も、森の中で燃え移る火も彼女の足を止めなかった。


 そんな母の足が不意に緩み、レティーは怪訝に思って顔を上げた。

 彼女達の目の前には、大きな泉とそれを上回るほどの巨大な大樹がそびえ立っていた。


 泉はどこまでも澄み切っており、大樹の根まで見える。それなのに底が見えないということは、相当深いのだろう。大樹も見上げれば頭が背中にくっつきそうなほどで、今までレティーが見てきた木の中で間違いなく一番大きいと断言できた。

 レティーは、この泉が母が寝る前に語ってくれた昔話に出てくる泉だと、すぐに気が付いた。


 その瞬間、森の方から焼け焦げるような熱風が押し寄せ、同時に炎の渦が木々を乗り越えて迫ってくる。

 レティーは声にならない悲鳴を上げ、肩越しに炎を見た母は顔を戻して娘に視線を落とすと、不意に微笑みを浮かべた。


 「レティー。あなたのこれからの人生が、幸せなものでありますように」


 慈愛じあいに満ちた母の瞳が。震えそうなほど感情の籠った母の言葉が。一粒だけ流れた涙と共に、愛する娘に向けられる。

 次の瞬間、母はレティーを泉の中へと突き落とした。


 「おかあさんっ‼」


 一瞬だけ宙に浮かんだレティーが叫んだ声に、母は笑顔で彼女を見つめる。

 背中から泉の中に落ちる。痛い。冷たい。


 水が目に滲み、ぼやけた視界の中、水の中に落ちてきた何かに必死に手を伸ばした。

 レティーは水の中に沈みゆく中、意識を手放した。


 目が覚めた時、レティーは喉の奥に溜まっていた水を思わず吐き出し、その場で咳き込んだ。

 呼吸を整え、起き上がったレティーは傍に誰かがいるような気がして声をかける。


 「だれ……?」


 「…………」


 返事は返ってこず、姿は見えない。

 それでもレティーは誰かが寄り添ってくれている、と確信した。


 ふと自分が何かを握りこんでいることに気が付き、レティーは手を開いて目を落とす。

 それを見た瞬間、息を呑んだ。


 彼女の手に握りこまれていたのは、青い花の髪飾りだった。


 いつも母の髪で揺れていた、父が贈った髪飾り。


 「おかあ、さん?」


 意識を失う前、最後に見た母の姿を探す。


 しかし、そこには泉と大樹、そして周囲を取り囲む黒々とした炎しかない。


 刹那、里の方で金色の光が膨らみ、爆風と共に金色の炎が広がった。

 「ひっ」と声を裏返らせたレティーを何かが包み込み、彼女の周りで金色の炎が黒の炎を蹴散らす。


 黄金色に煌めく炎は一瞬燃え上がると、次の瞬間には掻き消えるように消えた。


 「おかあ、さん……」


 レティーは顔を歪めて立ち上がり、ふらふらと覚束おぼつかない足取りで里の方へと向かう。

 彼女の後ろを、何かがゆっくりと追った。


 木々は燃え尽き、辺りは焦土しょうどと化している。くすぶる大地を踏みしめ、レティーは視線を彷徨わせながら歩く。

 ふと地面に何か落ちていることに気が付き、彼女はしゃがんでそれを拾った。


 「あ……」


 手に取ったそれに、声を失う。


 いびつに削り出された、木彫もくちょうの端が焦げたペンダントトップ。


 いつも少年の首にかかっていた、自分が贈った首飾り。


 「エル?」


 足から力が抜け、座り込んだレティーは何かを探し求めるように視線を巡らせる。

 しかし、周りには木々すらなくなり、足元には真っ黒なすすだけが残っていた。


 「あ……ああ……あああああっ」


 髪飾りとペンダントトップを握りしめ、天を仰いだ少女の口から叫び声が漏れる。


 「うぁああああああああああっ‼」


 全てを察したレティーは、涙を流し慟哭どうこくを上げた。


 『レティー』


 レティーの耳元で、彼女の名を呼ぶ声が蘇る。


 『レティー』


 彼女の頭を撫でた父が。


 『レティー』


 手を繋いだエルが。


 『レティー』


 迫りくる黒い炎を背景に、微笑んだ母が。


 愛する人々の声が、蘇る。


 その日、少女は全てを失った。







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