23、リクエラ
クライン王国ラルシャンリ領のとある小さな村。
そこの村長の家系は、代々特殊な木を育てていた。
溢れんばかりの魔力を蓄え、周囲に余った魔力を振りまく特殊な樹木。
彼らはそれを『魔木』と呼び、最初は忌み嫌い、見つけたら即座に切り倒していた。
だが、ある時彼らは気付く。魔木の樹皮から採れる樹液を煮詰めると甘いシロップになり、そのシロップは貴重な薬となることに。
村長はこの薬を領主に、領主が国王に献上したところ高く評価され、ラルシャンリ領そして村は一気に栄え始めた。
彼らは手の平を返し、魔木を大事に育てた。やがて一本だった魔木は二本、三本と数を増し、今では十本の魔木が村長の家の敷地内で育てられている。
経済的に豊かになった村に十六年前、さらなる吉報が舞い込んだ。
村長の家に子供が産まれたのだ。
綺麗な薄茶色の瞳を持った赤子は名を「リクエラ」と名付けられ、父と母、そして村民に愛されながら健やかに育った。
しかし、六年前。リクエラが十歳になったときのことだった。
彼女はいつも通りに母に起こされ、毛布の中から顔を出し目を開けた。
その瞬間彼女は悲鳴を上げ、また彼女の母親も驚きの声を上げた。
リクエラの薄茶色の瞳は七色に変わり、そして彼女の見えている世界は今までと全く異なるものだったのだ。
リクエラの見ている世界。それは今まで椅子やテーブルだと思っていたものがその輪郭に光る物体に変わり、そして愛する母はその顔や服は全く見えず、光り輝く人型だけが彼女の視覚に認識された。
両親は泣き叫ぶリクエラを森の中に住むエルフの元へ連れて行った。
そして彼女が下した診断は、『魔木から発せられる魔力の魔力過多による核の変容』。
リクエラは胎児の頃から魔木の発する魔力を浴びながら育ち、それ故に彼女の核は変化を遂げ視覚へと影響が出てしまったのだ。
両親は泣きながら謝り、彼女を抱き締めようとしたのだがリクエラはそれを拒んだ。
彼女にとってみれば、見分けもつかないような人型の生物が自分に近づいてくるのだ。幼い子供には恐怖でしかないだろう。
しかし、彼らは諦めなかった。
部屋に閉じこもる彼女に声をかけ、食事を運び、リクエラが自分の足で部屋から出てくる日をいつまでも待ち続けた。
そして一年後、おずおずと部屋から出てきたリクエラを、両親は温かく迎え入れた。
その頃には彼女の視界は安定し、やがて彼女は自分の見えているものが何かに気が付く。
彼女の視覚は、魔力そのものを見ていたのだ。
そう気づいた彼女は両親に頼み、再びエルフの元へ連れて行ってもらった。
リクエラは彼女に自分の見えている世界の話をした。
動物や植物の魔力の流れが視えること。家や食器、野菜などの『物』は魔力の残り滓で見ていること。人間の魔力の流れも視え、そして魔力が強ければ強いほど光り輝いて視えること。
リクエラの話を聞き終えたエルフは、彼女に一つ質問をした。
「わたしの研究を手伝ってくれない?」と。
リクエラは二つ返事で頷いた。
彼女は自分の視覚が誰かの役に立つ、ということが嬉しかった。
そうしてリクエラがエルフの家へと通う日々が始まった。
最初はどちらかの親がついて送り迎えをしていた。
リクエラの視界は不安定で、魔力の弱いものは認識することができず、ぶつかったりすることが多かった。
しかし、エルフの元へ通い続けている内に彼女の視覚は磨かれ、一人で道を歩けるようになり、そして魔力のないものについては水のように透明な塊で見えるということに気が付いてからは初めての場所にも一人で歩いて行けるようになったのだ。
そうして彼女は双子と出会い、精霊と仲を深め、恩人であるエルフを「先生」と慕い、彼らの家へと通い続ける日々を送っていた。
そんな彼女の元に一人の少年が現れた。
少年は実に変わっていた。
彼の魔力は今まで見てきた誰よりも複雑に捻じれ、本来体中を巡らなければならないはずの流れが枯渇していたのだ。
まるで自分で自分の首を絞めているような状態だった。
リクエラは先生と共に彼の魔力を『視て』きた。
そして彼女は、彼の魔力の純粋さに驚いた。
魔力にはある程度の『色』が付いている。
それは彼女にしか見えない『色』だ。
彼女は魔力の色で個人を判断している。
しかし彼の魔力はなんの色もついていない、『純白の魔力』だった。
それはまるで、染められる前の絹のようなまっさらな魔力で。
美しい、とリクエラは初めて魔力を恐れる前に感動を覚えた。
その瞬間、彼女はほんの少しの興味が湧いたのを感じた。
この魔力の持ち主は、一体どんな人なのだろう。と。
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イツキは、リクエラの話を聞いてから沈黙していた。
ああ、こんな話するんじゃなかった。
リクエラは彼に自分の話をしたことを後悔した。
意味もなくスカートの裾を直しながら、溜息をつく。
そもそもこの姿だって見せるつもりはなかった。
イツキが自分を男だと勘違いしているのは薄々感じていたが、それを敢えて否定しなかったのは自分だ。
なぜだろうと考えて、リクエラは合点がいった。
自分はただ、遠慮の要らない友人が欲しかったのだと。
この『目』を気味悪がらなかった彼に、友達になってほしかったのだと。
今まで言われてきた心無い言葉が、胸の中で蘇る。
リクエラの目を見て泣き出す幼子。
忌々しいと、直接悪意をぶつけてきた老人。
リクエラを気遣っているようで、結局距離を置いた村民。
『虹色の目なんて初めて見たんで、綺麗な色ですね』
彼の言葉が、蘇る。
あっけらかんと言われたその言葉には、一切の他意が含まれていないことが分かって。
ああ、私は嬉しかったんだ。
リクエラは、ようやく理解した。
だからこそ、怖い。
これから彼の言う言葉が、とてつもなく怖い。
イツキが口を開く。
リクエラは思わずギュッと目を瞑った。
「……今の俺は、怖くないか?」
「……は?」
思わず瞑った目を開いた。
「……なんで?」
イツキの質問の意味が分からなくて、リクエラは聞き返す。
「いや、リック――あー、リクエラ? にとってみれば人間なんか皆同じような形で光っててそれが動いてんだろ? ぶっちゃけ俺だったらそんなの普通に怖いわ。だから、俺と話してて今リクエラは怖くないのかなーって思っただけなんだけど」
あの時と同じようにあっけらかんと言うイツキに、リクエラは思わず動揺した。
「い、今は怖いとか思わないけど、それはイツキの方なんじゃないの?」
「何で?」
キョトンと、雰囲気で伝わってくるイツキに、リクエラは言い募る。
「だって、こんな変な色だし、自分の魔力勝手に見られるんだし、それに、そう! 魔木! 私がこんなんになった原因の魔木だって、ここに生えてるんだよ? イツキは怖くないの? こんな私と一緒にいて、怖いって思わないの?」
言いたいことをぶちまけて、息を切らすリクエラの言葉に、イツキは考え込むような仕草をする。
「うーん、リクエラの目に関しては、俺が元々いた所ではカラコンつって自分の好きな色に目の色変えられたし、俺の魔力見られることはぶっちゃけまだ魔力ってもんがピンときてないから、別に見られても何にも思わないな。あとは、魔木? これがそうなのか?」
指を折って話していてイツキが近くにあった木を仰ぐ。リクエラは頷いた。
イツキは手を伸ばして樹皮を触ると、ペチペチと叩き始めた。
「ふーん、そんなヤバい木には思えないけどな。別に普通じゃね? あー、あとはリクエラと一緒に居て怖いって思わないかだっけ?」
イツキは木に寄りかかりながら、ふっと笑い声を漏らした。
「思うわけねーだろ。確かにお前のこと男だって思ってたから今ちょっと混乱してるけど、でもリクエラはリクエラだろ。それ以外なんでもねーよ」
リクエラの不安を全て吹っ飛ばすような明るい声に、彼女は目頭が熱くなったのを感じる。
「いや、何で泣くの!? 俺気に障ること言った?」
彼女の涙にイツキが慌てている様子が伝わってきて、リクエラは笑いが込み上げてきたのを感じた。
「リックでいいよ。イツキ。ありがとう」
素直に伝えた感謝の言葉に、イツキが優しい声で「どういたしまして」と言う。
「あと、これからもよろしく」
差し出した手は、すぐに掴まれた。
「ああ、よろしくな。リック」
イツキの声が、すぐ近くで聞こえる。
その瞬間、不意に心臓が高鳴り、頬に熱が集まるような見知らぬ感覚に自分のことながら戸惑う。
繋いだ手からイツキに鼓動が伝わってしまうのではないかと、慌てて手を離した。
なんだろう、この感じ。
むず痒い感覚に、胸に手を当てる。
少しだけ手の中に残ったイツキの温もりが、なぜだか涙が零れるほど嬉しくて、リクエラはしばらく泣き続けた。
その隣でイツキは、困ったように頭を掻きながらもリクエラの傍で彼女が泣き止むまで待ち続けた。