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どうやら俺の赤い糸はドラゴンに繋がっているらしい  作者: 小伽華志
第一章 孤独の少女
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2、時計塔






 ひやりと頬を撫でた冷気に、俺はハッと目を開けた。

 起床というよりは覚醒かくせいに近いような感覚を覚えながら、辺りを見渡す。


 真っ先に目に入ったのは、よく分からないアイボリーっぽい色をした石を、見上げれば首が痛くなるほど積み上げた建物。壁面には所々窓と思われる空間が空いており、ステンドグラスでもはめ込まれているのか、硝子がらすが色づいているのが見て取れた。やたらと洒落しゃれた造りの屋根の下にある小部屋のような部屋には何かあるのだろうか、隙間すきまから鈍い光が漏れ出ている。その下にはやたらとでかい文字盤と俺の身長よりも長いのではないのかと疑うほど立派な短針と、長針。所謂いわゆる時計塔というやつが俺の目の前に堂々とそびえ立っていた。


 その背後に広がるのは、刷毛はけいたような雲のヴェールが広がる真っ青な空。時計塔を中心にぽっかりと空間を開けながら、どこまでも生え広がるのは、青々とした葉を茂らせる木々。仄かに土の香りを立ち上らせながらも時計塔から離れた大地に根を張り、懸命に背伸びをする草花はどこか愛嬌あいきょうを感じさせる。


 かく言う俺は、ごつごつとした樹皮の立派な大樹に背中をもたれかからせて寝ていたようだ。背中と首と、あと尻も痛い。

 先ほどから早鐘を打つ心臓を無理やり抑え込む。無意識に言葉が口をついて出た。


 「ここ、どこだ……?」


 反射的にポケットに向かう己の右手が求めていたものを見つけ出し、急いで目の前に引っ張り出す。

 ブラックのカバーに包まれたスマートフォン。その電源を入れ、パスワードを入力しセキュリティを解除する。しかし。


 「圏、外? 嘘だろ?」


 画面のすみに表示される無慈悲な文字列に、俺の喉がひくりと音を立てて鳴った。

 左手で頭を抱えながら、吸った空気を細く長く吐き出す。

 再び息を吸い込みながら、頭の中では様々なことが思い浮かんでは、インターネットの生放送で流れるコメントのように消えていった。


 拉致らち。誘拐。外国。山奥。樹海。


 今の状況を表す単語を思いつく限り並べてみるが、何だかしっくりとこない。

 それに、何故だかこの景色が懐かしいような気が―――――。

 記憶の奥深くで何かがうずくような感覚に、眉をしかめた。その瞬間、


 「い―――――ッ!?」


 俺は激しい耳鳴りに襲われた。

 ハウリングに酷似こくじした、脳天を貫くような神経を逆なでる高音。咄嗟とっさに耳を塞ぐが、その行為に意味はなくむしろ鼓膜の中で反響しているような錯覚さえ覚える。不定期に訪れる強弱の波は音に慣れることを許さず、俺の聴覚はただただ翻弄ほんろうされていた。


 一向に治まる気配を見せない耳鳴りに、食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れる。思い切りつぶったまぶたの下で眼球が圧迫され、閉ざされた視界に星が散った。息継ぎの仕方を忘れた肺は役目を放棄ほうきしたかのように硬直こうちょくしている。心臓は早鐘を打ち、全身を駆け巡る血が沸騰したかのように熱い。

 不意に一際強烈きょうれつな波が鼓膜をつんざいた。脳みそをき回すようなあまりの騒音に、断線しかかる意識を必死に繋ぎ止める。やがて、途切れるように少しずつ耳鳴りは治まっていき、ようやくそれが消えたときには、俺はあごの先から雫が滴り落ちるほど全身にびっしょりと冷や汗をかいていた。


 「なに、今の……」


そっと目を開けると、思い切り目をつぶった影響か、モザイクがかかったような黒いドットが視界を覆っている。

 不意に、涼やかな空気が俺の首筋を撫でた。


 それが汗ばんだ身体に心地よく、俺はハッと顔を上げると流れてきた冷気を辿って首を巡らす。

 徐々に回復してきた視覚を何度も瞬きさせることで、強引に視界を晴らす。

 刹那せつな網膜もうまくの上でハッキリと輪郭りんかくを結んだそれを見た俺は、これ以上ないほど目をみはった。


 「は……?」


 時計塔が、凍りついていた。


 急速に冷凍された白濁はくだくした氷ではなく、澄み切った透明な氷が分厚く時計塔を包み込んでいる。更にその下の地面も凍結しており、俺の足元にも滑らかな氷の大地が広がっていた。


 「え、嘘でしょ? 今、この一瞬で?」


 あり得ない、と口にしかけたが、目覚めたときに感じた冷気を思い出し、ドッと冷や汗が噴き出す。


 「最初から、凍っていた…………?」


 それこそあり得ない、と理性は否定するが、頭の中のもう一人の自分はささやく。

 何故なぜあり得ないと思う?それに、お前はこの景色を知ってるんじゃないのか?

 やけに冷え切ったその問いに、俺の心臓は身に覚えのあるように震えた。


 その瞬間、クンッと小指を引っ張られるような感覚に、ハッと我を取り戻す。

 見れば、いつの間にか左手の小指に赤い糸がからみついていた。


 「なにこれ、いつの間に……」


 無意識に糸を解こうと、右手を伸ばすが変に絡まったのかなかなか解けない。イラつきながら糸の先を目で追うと、それは氷の奥まで続いているようだった。


 「はあ!? ふざけんな、これじゃ動けねーじゃんか!」


 怒声どせいを上げ、糸を引き千切ろうと手繰たぐるが中々強度があるのか全く切れない。むしろ、掌に食い込んで痛い。

 流石さすがにこうなると俺も不安を感じ、意味もなく糸をいじりながら誰か通りかからないものかと期待を隠せない。


 その時、突然リズミカルな音が鼓膜を叩いた。

 それは、日常にあふれた聞き慣れたリズムだ。いや、スマホやデジタル時計が一般化してきた現代では逆に珍しいのかもしれない。


 それは、一秒を刻む音だ。

 何者にもはばむことのできない、ときにその一秒を待ち焦がれる大切な音。

 昔、考えたことがあった。もし、一秒のない世界があったらどうなるんだろうと。


 もしそうなら、六十秒がないから一分がなくて、六十分がないから一時間がなくて二十四時間がないから一日がなくて、三百六十五日がないから一年がなくて。

 もしそうなのだとしたら、一秒のない世界は時間が進まないのではないのでは、という結論にいたったわけなのだが。


 まあ、子供の考えることなんてこんなもんだろう。もしかしたら哲学的てつがくてきには結構いい線いっているのかもしれない。

 なんてことを考えている間も、音は途切れることなくカチコチと正確な時間を刻んでいく。


 不意に、ガチンッとやけに重々しい一秒が鳴り響いた。歯車同士が噛み合ったような重厚じゅうこうな音だったのだが、その後は軽やかなリズムを刻み続けている。

 しばらくしてもう一度ガチンッと噛み合った音がした。次の瞬間、

 氷にビシッと亀裂きれつが走った。


 「え?」


 間抜まぬけな声を上げて俺が呆然ぼうぜんと見つめる中、儚い音を立てて縦横無尽じゅうおうむじんに細かいひびが入っていく。

 そして、三度目の重い一秒が鳴った瞬間、

 凄まじい轟音ごうおんを上げながら氷の部分が剥がれ落ちるように崩壊ほうかいしていった。

 大きな氷の層が次々と墜落ついらくし、砕けた欠片が舞い上がって雪煙ゆきけむりのようなものが上がる。


 「痛い痛い痛い……あっぶねっ!」


 細かい破片が俺の元まで飛んできて、ビシビシ当たって痛いと思っていたら鋭利に尖った破片がほほを掠め慌てて頭を抱える。

 やがて、一通り落ちたのか静寂せいじゃくが戻ってきたので顔を上げると、そこには様変わりした光景が広がっていた。


 崩壊にともなって崩れてしまったのか、塔の一部が欠けている。周辺には大きな氷塊ひょうかいが至る所に転がり、細かく砕けた氷が地面を真っ白に覆っている。一部パウダー状にまで砕けた氷は未だに空気中を漂っており、ダイヤモンドダストのように輝いていた。


「…――、―……」


 一瞬で白く染まった幻想的げんそうてきな景色に目を奪われていた俺は、ふと人の声のようなものが聞こえた気がして耳を澄ませる。


 「誰か、いますかー? いたら返事をしてくださーい‼」


 避難訓練で習ったように大声で呼びかけてみるも、返事が返ってくる様子はない。

 その時、俺は塔の中から気配のようなものを感じ、ハッと時計塔を見上げる。

 気のせいかもしれないが、小部屋から漏れ出る光がやけに強まったような気がして妙な焦燥しょうそうに駆られた。


 「……ちょっとしか崩れてないし、誰か怪我してるのかもしれない……それに、中に入らないとこの糸も解けないし…………っ」


 ぼそぼそと建前を口にし、俺は立ち上がると時計塔に向かって歩き出す。

 靴の下でパキパキと氷が潰れる感触かんしょくが、ちょっと気持ちいい。

 途中、氷の山の中に埋もれている俺の鞄を見つけ、何か使えるかもしれないと発掘して肩にかける。


 糸を辿っていくと、入り口と思われる空間が口を開けており、奇跡的に大きな氷同士が支えあってつっかえ棒のようにその下を潜れるようになっていた。

 俺は氷が崩れる前にと、慌てて時計塔の中へ駆け込んだ。






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