16、ディーネ
「な―――っ!?」
突如として爆発した地面に、咄嗟に腕で顔を庇いながら俺は身動きが取れずにその場で硬直していた。
地面から飛び散った飛沫が額に当たる。冷たい感覚に、手の甲で拭うと透明な液体が付着した。
水……?
俺が怪訝に思う間もなく、二回目、三回目の爆発で地面が揺れる。
「ミュンツェ様!」
「イツキ‼」
兵士とメリアの悲鳴が聞こえたが、爆風に紛れて姿が見えない。ミュンツェさんは無事だろうか。一人だけ声が聞こえない。
爆発から逃れていると、ツリーハウスからどんどん遠ざかっていく。
四回目の爆発。そこで爆発が途切れ、その隙に状況を確認する。
ツリーハウスの前の大地は酷く抉れ、見るも無惨なことになっている。
メリアは爆発地点を挟んで、ツリーハウスの真正面にいた。ツリーハウスの近くにはミュンツェさんと兵士の姿が見え、俺はその中間辺りにいる。
「イツキ、お嬢さん! 二人共無事か!?」
ミュンツェさんの安否確認に、俺は咄嗟に声を張り上げる。
「俺は大丈夫です!」
「わたくしは無傷ですわ」
こんな状況でも落ち着き払ったメリアの態度に、俺は冷静さを取り戻した。
「メリア! ミュンツェさん達の方に行くぞ‼」
とにかく大人数で固まるべきだと判断し、メリアに声をかける。
「いいえ。わたくしはこちらに残りますわ。貴方は早くあの男のところへ向かいなさい」
だが、メリアは首を振るとそっと右手を構えた。
「どうやら、狙いはわたくしのようですわ」
その瞬間、ツリーハウスの枝の先から何かが飛び降りてきた。
それは、爆発地点の上に着地するとキッとメリアを睨みつけた。
シアンブルーの髪は曲がりくねった川のようにうねって腰まで伸びており、右目を流した前髪で隠している。露わになった左目の瞳は綺麗なアクアブルーだが、その目は怒りに吊り上がっていた。
凹凸の激しい身体を包む淡いエメラルドグリーンのマーメイドドレスの下には、同色のヒールの高いパンプスを履き、頭の上からはシルのものと同じ様な透き通った布を被っている。
見た目は二十歳くらいか。姿だけ見ると、友人の結婚式に出席したご令嬢といった雰囲気の華やかな美女だ。
しかし、その手に持つのは華奢なパーティーバッグではなく、ハープと見間違えるほど小振りの弓だった。
その弓は、高校の弓道部が使っていたものとは比べ物にならないほど小さく、現に彼女は片手で持っている。弓幹や弓弦は透明で時折揺らいでいた。
透明な弓……魔法か?
そう考えられるほどには、どうやら俺はこの世界に染まってきているようだった。
口紅を引いたように艶やかな唇が、そっと押し開かれる。
「お前……! よくも平気な面下げてここに足を踏み入れたわね‼」
泉から湧き出た清水を思わせる美しい声が、怒声となって迸る。
指を差されたメリアは怪訝な顔をして、首を傾げた。
「わたくしが何かいたしまして?」
「―――っ‼ よっくも、いけしゃあしゃあと……! お前達のせいで、レティーは、全てを失ったのよ!?」
レティーさんが、全てを失った?
感情が高ぶったのか、目尻に涙を滲ませながら叫ぶ彼女の剣幕とは正反対に、メリアはぴんとこない様子で髪をかき上げた。
「そうですか。それは悪いことをしましたわね」
メリアの全く悪いと思っていない物言いに、彼女の額に青筋が浮かぶ。
「―――殺す。殺す。お前はここで殺す‼」
「よすんだ、ディーネ!」
絶叫を上げて弓を構える彼女に、ディーネと呼びかけて止めようとするミュンツェさん。
彼の静止を聞かず、くるりと右手首を回転させたディーネさんの手の中にはいつの間にか一本の透明な矢が握られていた。
矢を番え、弓を引き絞る。次の瞬間には矢が放たれ、メリアに向かって一直線に跳んでいく。
その瞬間ツリーハウスのドアが開かれ、中からシルとレティーさんが飛び出してきた。
「……駄目! ディーネ‼」
レティーさんの切迫した声が響く。
次の瞬間、地面に着弾した矢が爆発し、地面を新たに抉っていった。
爆発は立て続けに四回起こった。
四回!? なんで、打った矢は一本だけだったよな?
「メリア!」
咄嗟に、叫び声が喉をつんざいた。
「うるさいですわ」
刹那、高飛車な声がどこからともなく聞こえ、一番高い木の枝ががさがさと動いたかと思うとメリアが涼しい顔をして飛び降りてきた。
呆気にとられる俺達をよそに、メリアは呑気にワンピースの埃を払っている。
いや、猫かお前は。
「ディーネ、やめなさいよ! アイツなんだか前と違うの!」
ディーネさんを止めようと、シルが声を張り上げる。
「……うるさい。うるさい、うるさい、うるさいっ!」
しかしディーネさんは頭を振り乱して叫ぶと、再度弓を構えた。
「このお馬鹿! やめなさいって言ってるでしょ‼」
シルは空中に浮かび、右手を振りかぶる。
その手から風が放たれ、二枚の刃となってディーネさんに襲い掛かる。
瞬間、振り返ったディーネさんの右手から透明な鞭が伸び、刃と激突した。
鞭と刃がぶつかった瞬間、刃を形成していた風が解け、寄り集まって鞭となっていた水が弾け飛ぶ。
「きゃあっ!」
自身の生み出した風圧にシルが吹き飛ばされ、ツリーハウスの枝葉の中に突っ込んでいった。
「……シル!」
レティーさんの悲鳴に、ディーネさんが我に返ったように顔色を変える。
飛び散った水が辺りに雨のように降り注ぐ中、俺達はコツコツという足音を聞いた。
目を向けると、メリアがディーネさんに向かって歩いていく。
「……同士討ちは勝手ですが、少々おイタが過ぎますわねぇ」
水に濡れた前髪をかき上げたメリアの、冴え冴えとした笑みに、悪寒が背筋を駆け上る。
彼女から放たれるプレッシャーに、身体が強張る。目が離せない。
「小娘風情が。頭が高い」
カツンッと彼女のサンダルが、高らかに鳴り響く。
メリアと対峙するディーネさんは、真っ青な顔で小刻みに震えている。まるで蛇と蛙だ。
すっと右手を伸ばしたメリアの姿が、陽炎のように揺らめく。
ぞわりと全ての産毛が総毛立った。
「駄目だお嬢さん! ディーネもやめたほうがいい‼」
ミュンツェさんが叫ぶ。その声が皮切りになったように、プレッシャーに耐え切れなくなったディーネさんが鞭を生成、振りかぶる。
ディーネさんの素早い動きとは対照的に、メリアは全く動かなかった。
鞭がしなり、彼女のか細い身体を打ち据えようと牙を剥く。
メリアの周囲を覆っていた陽炎が揺らめいたかと思った瞬間、突き出した右手の中が赤く光り輝く。
刹那、ジジッというノイズがメリアから聞こえ。
「えっ」
彼女の短く漏らした声が。
突如鳴り響いた破裂音に掻き消され。
彼女の手の中から溢れ出た白い光と、氷柱を打ち鳴らすような甲高い音が辺り一帯を満たした。