14、蛹
「……それじゃ、二人は二階に行ってて」
お茶が終わり、食器を片付けている最中のレティーさんの言葉に、ルーが盛大にブーイングをあげる。
「えー、ルーも適正測るとこ見たい―」
「ダメだよルー。適正はその人の最大の秘密なんだからー」
コーがルーを窘めている横で、シルがミュンツェさんに問いかけていた。
「ミュンツェはどうする? 散らかってるけど地下にいてもいいし、双子と二階にいてもいいけど」
「そうだね。私もコーとルーと一緒に二階に居させてもらおうかな」
ミュンツェさんの言葉にルーがミュンツェさんの左腕に飛びつき、コーが控えめに右腕をとる。
「じゃあじゃあミュンツェ様―。最近の都の様子について教えて下さいー」
「いいよ。というか、今度二人も一緒に王都に行かないかい?」
「あー、それは大丈夫ですー。コー達は話を聞くだけで充分なのでー」
ぱっと見親子のように腕を組みながら、三人は階段を登っていった。
いや、ミュンツェさんって領主だよな? あいつら慣れ慣れしすぎんじゃねぇか?
些か二人の距離感が心配になっていると、窓を閉めたシルが下降しレティーさんの隣に並ぶ。
「シルも上にいるわ」
「……分かった」
「ちょっと、アンタはどうすんのよ?」
トゲトゲした口調でシルが話しかける先には、腕を組んだメリアがいた。
「いや、やっぱりアンタも上に来なさい。シルが見張ってないところにいかないで」
「……まあ、構いませんわ」
メリアを遮るように口を出したシルに、メリアが鼻を鳴らす。
「あ~、あいつらとかち合わないといいんだけど……」
何かを危惧するように頭を抱えてシルが階段の上を飛んでいき、メリアはゆっくりと優雅に階段を登っていく。
そうして、一階には俺とレティーさんの二人っきりになった。
「……上着、脱いで」
「は、はい」
レティーさんに言われ、俺はブレザーを脱いでワイシャツとネクタイ姿になる。
二人で向き合って椅子に座っている上に、レティーさんのジャケットが白衣じみているのでまるで診察中の患者と医者だ。
「……じゃあ、始めるよ」
眠そうな声の合図に、俺は背筋がしゃんと伸びる。
そのままレティーさんは右手を伸ばすと、俺の鎖骨の真ん中に指先を当てた。
ネクタイ越しに感触が伝わり、こそばゆい。てか、ネクタイ取った方がよかったんじゃねぇか?
今更そんなことに気が付き、どうしようかと迷っているとレティーさんが静かに半分だけ開いていた瞳を閉ざす。
「……目、閉じて」
レティーさんの指示に、俺も目を閉じる。
その瞬間、空気が変わったのが分かった。
俺の意識が、眠りに沈むように落ちる。
虚空に放り出されて、落ちる。落下する。
帰って来られなくなる。と、本能が警鐘を鳴らした瞬間、目の前に一匹の蝶が現れた。
その羽は薄水色に透き通っていて、曲線を描いた模様はまるで妖精の羽だ。その蝶が飛んだ軌跡にはきらきらと光る鱗粉が残っている。
蝶は自分の意思で奥へ奥へと飛んでいく。俺は誘われたようにその後ろを追って、落ちていく。
その内に、指先に白い糸が引っかかった。
いつの間にあったのだろう。振り返った後ろにも紐は続いていて、目の前にも真っすぐ伸びている。
蝶はその糸を辿るように飛んでいく。俺もその後ろに続いた。
その糸は蜘蛛の糸のように細く、いつ切れてもおかしくない。それなのに絹のように滑らかで、触れると仄かに温かく、微かに燐光を灯していた。
歩を進めていくと、次第に糸に絡まったような玉が出来ている。それは、進めば進むほど数を増していた。
そうして、蝶に導かれるように辿り着いた先。そこには、純白の塊があった。
それはさながら蛹のようだった。
白い糸が、蚕のように幾重にも幾重にも巻き付いている。所々飛び出した糸は紙縒り(こより)のように捻じれており、歪な繭玉を形成していた。
蛹の奥からはくぐもった光が漏れ、小刻みに胎動している。次第に俺は、それが秒針と同じリズムであることに気が付いた。
一秒立つごとに新たな糸が蛹から伸びる。しかしそれは蛹にきつく巻き付き、自分の首を絞めているようだった。
それを眺めている内に、俺は段々と息苦しさを覚えた。
当然だ。なぜなら、絞められている蛹も『俺』なのだから。
俺は、空気を求めて喘ぐ。苦しい。息ができない。
俺の異変に、蛹の周りを飛び回っていた蝶が俺の目の前で羽ばたく。
俺が蝶の姿を認めるや否や、蝶は真っすぐに真上に向かって飛んでいく。
その鱗粉を追いかけて、俺は必死に地面を蹴った。
蝶は何度も羽ばたきながら、燕のように物凄いスピードで昇っていく。もしも本物の蝶だったならば、自身のスピードに耐え切れずに羽がバラバラに千切れてしまっただろう。
爪先で虚空を蹴ると、ぐんっと身体が上昇する。それなのに風が頬を撫でることはなく、まるで水中にいるような感触だ。
必死に蹴る。蹴る。蹴る。
そして次の瞬間、俺は何かに腕を掴まれたように上に向かって引っ張られたのが分かった。
意識が浮上する。いつの間にか蝶はいなくなっていて、鱗粉だけが虚空に漂っている。
それすらなくなり、視界が白み始め。
気付けば俺は目を開けていた。
その途端、ドンッと自分の肉体の重みを認識し、耐え切れずに肘をついて蹲る。
先程の息苦しさとは一転して、有り余る空気に溺れそうになり、俺は貪るように呼吸を繰り返した。
「……大丈夫? ……大分深いところまで潜ったから、しばらく負荷が抜けないと思うよ」
眠たげにぼやけた声に顔を上げると、いつの間に用意したのか木のコップを差し出しながらレティーさんが俺の様子を観察していた。
「……ん、お水」
「……あざす」
コップを受け取り、一気に呷る。冷たく甘い水をごくごくと喉を鳴らして胃に流し込むと、身体の芯からひんやりとした感触が伝って気持ちいい。
「……落ち着いた?」
「はい。もう大丈夫です」
指先はまだじんじんとしていたが、靄がかかったようだった頭もスッキリし、これなら落ち着いて話を聞けるだろう。
「……それじゃ、イツキの適正を見た結果を言うね」
「はい」
姿勢を正し、レティーさんの言葉を待つ。
自分の心臓が緊張で、ドクドクと早まり始めたのが分かった。
「……このままだと、イツキは魔法を使えないと思う」