『松江にて』
ふと筆を止め、文机から顔を上げれば、隣の屋根には布の魚が青空を泳いでいた。
端午の節句という、子どもの健康を祈る祭日があるらしいのだが、あれはそれにまつわる縁起物なのだそうだ。
なるほど。どこの国でも、親の子らへの想いは空高いというわけだ。
「珍しいですか?おかしいですか?」
屋敷の奥から彼女がやって来て、鯉幟に気を取られる私に笑う。
彼女の性格は、笑顔によくあらわれていると思う。素朴で、健気で、強くて、温かい。
頭の隅で彼女を愛でながら、私は「とても、よい文化だと思います」と返そうとする。
「とても......」
妙だ。
喉がチクリと詰まってしまった。
そう言うだけのことが、どうして私を泣かせようとするのか...
「もしも、あなたの故郷に、端午の節句があったなら」
私を見て、ふいに彼女が笑顔を柔らかくする。
「きっと、あなたのお母様は、毎年鯉のぼりを掲げていることでしょうね」
「...はは」
お手上げだ。私のいちばん欲しい言葉を見抜いて、それを私に与えてしまうのだから、彼女にはどうしたってかなわない。
「本当に、そう思いますか?そう思ってくれますか?」
「ええ。もちろんです。どんなに遠く離れていたって、親は子を思っているものです」
「長い時の流れを、散り散りに過ごしていても?」
私の背中がか弱く見えたのだろうか。彼女は私を抱きしめて、私の慣れない母性の温もりを分け与える。
「時も、道のりも、関係ありませんよ。あなたが集めた伝承の中にも、母親が亡霊になった後も赤子のために飴を買いに行く、そんなお話があったでしょう?」
「ええ。ええ...あれはとても...私の胸を打ちました」
「それはきっと、そこに真実があるからです」
「しかし...」
「ただ嘘やまやかしや、耳あたりのよい言葉を並べただけの話が、あなたの正直な心に響くわけがありません。そんなことは、あなたの隣にいる私が、とてもよく知っています」
私は耐えきれなくなって、彼女に縋ってしまう。彼女は私を抱き込んで、さながら子どもをあやすように、私の背中を叩く。
「あのお話も、そのうちあなたの手で紡ぎ直してほしいと思います」
「ええ...そうします。約束しますとも」
私は言った。