第4話 特訓!ポルシェ911!
12月某日 愛知県スパ西浦モーターパーク
「よーし、トランポから降ろせー!」
社長が声を張っている。何故かというと……。
「これが、ポルシェ……」
「カッコいい車です……」
トランポからゆっくりと降ろされる車両に見とれている楓くんと清美ちゃん。
来シーズンから乗る車両は、二人がこれまで乗ってきた車両とは、形も、操作も、特性も、レースの形態さえ、色々なことの勝手が違う。だから、まずはポルシェ911のレースカーがどの様なものか、彼らの慣れ親しんだホームコースで体験してもらうことになったのだ。
「これは今年まで私ともう一人のドライバーが乗っていたポルシェ911カップカーのラッピングを取り外した物。一週間前までレースしてたから不具合とかは無いと思うよ」
一週間前、鈴鹿サーキットにて私たちは、BeBeeracingとしての活動を終えた。ポルシェ・カレラカップ・ジャパン最終戦鈴鹿round。予選、決勝共に引退レースだった金岩氏が終始レースを牽引。ポールトゥウィンで一位。ベテランのポルシェレーサーとして、有終の美を飾った。
そのレースまで使用していた車両である2台を、わざわざ長野から愛知まで、整備士も連れて来たわけである。
「おーい、押してピット入れるから手伝ってくれー!」
呼ばれたので社長のもとへ走っていく。3人で後ろから押して、ピット内に車両を収める。次にドアを開け、思い出したかのように話を始めた。
「あ、そうだ。木坂と熱田二人ともいるし、ちょうどいい。シートに噛ませる調整パット選べ」
通常、前後左右に大きなGがかかるレースに使われる車両のシートは、ホールド性を高めるため、一人一人の体格に合わせてバケットシートといわれるシートが作られる。一人一人の体格に合わせて作られているが、耐久レースにおいては同じシートを複数人で使用するため、合わせた当人以外のドライバーが乗る時、体とシートを合わせる目的でクッションや、パットを噛ませてホールド性を保つ。
長身で腰回りの大きめな私のシートは、男性が乗っても肩周りや腰回りに、少し余裕が生まれる。恐らく身長の小さい二人では下手したらシートがブカブカな上に、ペダルに足が届かない可能性がある。
「お前らとこいつじゃ背格好が違いすぎるから苦労するぞー。それにな……」
社長が私の近づいてきて、後ろに立つ。そして、次の瞬間……。
「こいつはケツがデケェからな!」
バッシィ――ン!私のお尻を勢いよく平で叩いた。
──すぐに振り返って、拳を握って、振り返った勢いそのまま、下から登るように、振り抜けぇええええええ!
「こんのぉ……スケベオヤジがぁああああああ!」
ガッ、という音と共に私の右拳が社長の顎に、吸い込まれた。
──決まった……!
「いっっっってえぇぇええええええええ!!」
ゴロゴロと勢いよく転がりながら悶絶する社長。
──チッ……浅かったか。
「いてぇじゃないですよ!世の中にはやっていいことと悪いことがあるでしょう!ほら!ビックリして清美ちゃん車の影に隠れちゃったじゃないですか!」
「……………………」
驚いてウイングの影に隠れ、こちらの様子を伺う清美ちゃん。かわいい。
──いかんいかん。このままでは二人が心を閉ざしてレース云々じゃなくなっちゃう。
「おい」
声を上げたのは側で事態を見ていた楓くんだった。
「漫才見せるんじゃなくてよー。走りを見せろよ。あんたのさ。あ、パットはこれで」
「か、楓ちゃん!目上の人にそんな言い方……」
楓くんが喋り終わるのと同時に、今度は清美ちゃんが喋った。
「うるせーな。関係ねぇよ」
「でも……年上の人だよぉ……敬語ちゃんと使わないと」
「じゃあ、俺にも使えよ。俺の方が一つ上だろ?」
「うぅ……一週間しか違わないじゃない……」
動きを交え、話す二人。一人はパットを持ちながら、もう一人は車両のウイングに隠れながら。
「まったく……。最近のガキは、せっかちで礼儀知らずでビビりで……面白ぇなオイ。愉快なチームになりそうだ」
私の肩に腕と顎を乗せて社長が話しかけて来た。社長は元々ヤンキーだから、こういう子は好きなんだろう。こういう生きの良い子。
「そうですね。楽しそうです」
二人の若者を見て、年寄りの私達二人はニッコリした。しかし……
「社長?肩に乗ったこの手……」
肩に置かれた社長の手を……
「なんだ?」
「セ・ク・ハ・ラ・です」
思いっきりつねり上げた。
「いてぇーーーー!!」
サーキットに野太い悲鳴がこだました。
ーーーーー
ーーー
ー
2台のポルシェが、冬の日差しに照らされる。白い車体は光を反射し綺麗に輝く。ドライバー的には結構まぶしい……。
[あー、あー。テステス。テステス。無線ちゃんと聞こえるか?]
「1号車、感度良好、聞こえます」
[2号車、問題なし]
[お……同じく2号車担当……き、聞こえます……]
先程は体験と言ったが、これから行うのはいわば見極めテストだ。
最初、私が先行してコースを走りを、その後ろを二人が追随してポルシェという車に慣れる。どれぐらいで慣れるかという適応力のテスト。レーシングカーは一人しか乗れないので、二人は途中で交代を行う。慣れたら今度は二人が先行し、後ろから私が二人のドライビングを見る。勿論、これも途中で二人は交代を行う。これで、どれ程の運転技術があるかをテストする。
「慣れない車だけど緊張しないで。とりあえずは車に慣れる事だけに集中してね」
[……了解]
今2号車に乗っているのは楓くん。この前のFJはスタート早々にリタイアでほとんど彼のドライビングを見ることが出来なかった。
──あれだけ大口を叩けるんだし、少しは期待してもいいよね?
[コースオープンになったぞ。エンジンをスタートしろ]
スタータースイッチに手を伸ばし、エンジンをかける。キュキュキュキュキュというセルモーターが回る音がした直後、エンジンが唸りを上げる。無事にエンジンがかかった。楓くんも何事もなくエンジン始動させている。
[よし、エンジン始動したな。コースに入っていいぞ。日が指しているとは言え今日は寒いから、しっかりタイヤを温めろ。無茶はするんじゃないぞ。行っていこい!]
社長からの通信が終わる。天候晴れ、気温11度、路面温度3度、北西の風0.2m、タイヤはミシュラン製ソフトタイヤ。しっかりと温めなければ、ソフトタイヤでも危ない。タイヤと気温を念頭に置き、少しスロットルを開けて、ゆっくりとクラッチを繋ぐ。
ピットロードを抜けてコース内へ出る。コース左側から右側へ。ゆっくりと進み1コーナーへ進入。速度はそのままで右へ左へタイヤを温めはじめる。その時ふと違和感を覚えた。
「あれ?」
バックミラーにもサイドミラーにも2号車の姿が見えないのだ。
「2号車が見当たらないけど。近くにいる?」
不安になり、無線で呼び掛ける。すると──
[2号車ならここでエンストしてるぞ]
──社長から無線。なるほど、どおりで姿が見えないはずだわ。ま、まぁ、初めての車種とか良くやるし、半クラの位置とか車種どころか車両単位で差があることもあるし、そんなに、焦るようなことでは……
[何でお前が焦ってんだよ]
突然の通信に体がビクッとする。
「べべべべ別にィ焦ってないじゃないですかぁ~~」
[言葉震えてるし、音聞きゃあ分かんだよ。動揺してないで、さっさとタイヤ温めろ!]
──なんだか怒られてしまった……。
「うぃッス」
返事をして気持ちを入れ替える。入れ替えた所でストレートに差し掛かる。スロットルを開けてスピードを上げる。そして急ブレーキ、左右にタイヤをこじる。またスピードを上げる。繰り返す。
[2号車コースイン。2号車コースイン。気を付けろよ]
ピットロードから出てきた2号車の姿を確認した。ストレート上で、ストップ&ゴーを繰り返しながら2号車を追い越す。2号車と並んだ時、車内を覗き込んだが、ヘルメットのバイザーを完全に下していて、楓君の表情までは分からなかった。
──追い越して、1コーナーで左右に車体を振りぃ?!
真横には、さっき追い越したはずの2号車がいた。左に向けたステアリングを咄嗟に右へ。一瞬だが、姿勢を崩す。
「こっのォ!」
姿勢を直してコースに留まる。こっちが姿勢を崩している間に2号車が先に行ってしまった。血気盛んなのはこの前のFJとさっきの言動で分かってた。だけどこれは血気盛んと言うより──
「──ただの子供だ」
このじゃじゃ馬パートナーを乗りこなすには……
「教育する必要があるわね」
──あぁ、なんて邪悪な言葉だろう。
視界から消えかかっている2号車を追いかけ、スロットルを開ける。エンジンがゴアァッと唸りを上げ、ミッションがキュンキューンと悲鳴を上げる。車体が空気で地面に押さえられ、ズリズリとタイヤが踏ん張り、地面を蹴り上げる。スピードを上げたが、マシンが乱れるような前兆は無し。思っていたよりも早くタイヤが温まっていた。
──これからパートナーになって、共にレースで戦っていく仲間ではあるが、ここまでされて挑発されて一人の先輩レーサーとして、いや、一人の人間として黙っているわけにはいかない。先輩の実力、見とけよコノヤロー!
追撃、開始!