6.
「香川真理子……」
日記を読み終え、みゆきは彼女の名を呟いた。目を閉じて、彼女を思い出そうとした。ぼんやりとした霧の中彼女の姿を、声を追い求めようとしたが、やはり駄目だった。
「少しでもいいから覚えていることがあるといいのに」
みゆきは悔しそうに拳を握りしめ、自分にとって親友であった真理子が今どうしているのだろうかと思った。日記の中で私が彼女を心配したように彼女もまた私のことを心配しているのだろうか。母に訊いたところで、そればかりは分からないだろう。
日記から読み取れる真理子は持病の心臓病を除けば、ずいぶんと勝気そうな明るい少女なのが分かる。きっとまっすぐな子なのだろう。会ってみたい。真理子というこの子に。みゆきは切実にそう思った。ようやく真理子と風間の謎が解けて、彼女は内心ほっとした。気がつけば階下から母の夕飯よという声が聞こえてきた。
『さっきはしんみりしてしまったけど、今なら大丈夫かな』
部屋に置いてある鏡を覗き込みながら、みゆきは作り笑いを浮かべた。この作り笑いが、早く本物になれたら。みゆきはまた一歩、自分が百合子に近づいて行ってる気がした。すぐそばに彼女がいて、すぐそばに自分がいて、重なり合う日がいつか来ることを信じて。
日記その5
風間君と何度か病院に通ううちに真理子の様態はよくなっていくように見えた。なぜかっていうと、いつも行くとご機嫌だったからだ。本当に様態の悪い時は、もう来ないで!と、ものすごい剣幕で怒ったり、いらいらしたり、ひどく落ち込んだりと大変だったりするからだ。
でも風間君と行く日は不思議と朗らかだった。例の試験のことで悩んでいる様子も見せないし、快活に笑ったりしていた。だから私も安心していた。順調に快復しているんだと。そんな時だった。たまたま私だけで病院にお見舞いに行く日があって、いつも通り病室に行くと、真理子の笑顔が心なしか曇っているような気がした。私がしゃべっても、ぽんぽんと元気のいい返事が返ってこなかった。だから私は気になって真理子に訊いてしまった。
「元気がないみたいだけど、身体の具合が今日は悪いの」
私は心配した顔で訊いたのだと思う。だから真理子もしばらくうつむいたまま黙っていた。その沈黙の向こう側で、真理子はどうしようかと考えたんだと思う。でもきっと黙っていられなかったんだと思う。だから真理子はこう言った。
「私、風間君のこと好きになっちゃった」
その言葉を訊いた時、何かが、ぱんとはじけたような気がした。そうしてしばらく頭の中が真っ白になった。それくらいの衝撃を受けたのはなぜだったのか、その時の私には不思議だった。
「そう……。そうなんだ」
数秒の沈黙ののち、私は上の空で答えていた。まるで現実感のまったくないどこかに浮いているような気持ちだった。
「それで……」
真理子はもじもじしながら、指をいじりながら言った。
「告白してみようと思うんだ。どう思う」
まっすぐな瞳で、彼女は私を見た。そこには真剣な気持ちがにじんでいて、彼女の熱い気持ちが伝わってくるような気がした。でも私は、なんと言ってよいか分からなかった。頭の片隅で何かが邪魔をしていて、その答えを避けようとしていた。
「ふーん。そうなんだ。でも私風間君じゃないから分からないなあ」
私は顔を上げないでそっけなく返事をした。
「えっ……」
真理子は驚いて、私の方を見た。いつもだったら、なんでも相談にのってくれるのに、どうしたのと言わんばかりの表情をした。私は正直怒っていた。真理子の告白に衝撃を受けたのもあったけど、真理子の身体の調子をとても心配していたのに、それがそんなことだったなんて。私がお見舞いに行っても、元気の源にはなれないってことでしょ。それって、それって……。なんだか気持ち的にもやもやして、私は不機嫌になってしまった。
「なんか今日はみゆきらしくないね。体調でも悪いの」
しばらく間をおいてから、真理子はぽつんとそんなことを呟いた。私らしくないってどういうことだろ。というか、逆に真理子に心配されるってこと自体が変だ。私は思わずむっとしながら、こう告げた。
「うん、そうなんだ。悪いけど今日は帰るね」
「そう……。それじゃあ、しょうがないね。また相談にのってね」
真理子は少ししょげているようにも見えた。でもそれは私を傷つけてしまったという思いとは別のように感じられた。私はとりあえず、笑顔を取り繕って、病院を後にした。
家に帰ってきてから、こうやって日記に書いてたら、その時の自分の気持ちのことが少し分かったような気がする。私は真理子のことで風間君に嫉妬したのだと思う。私と真理子は親友なのだ。それなのに、まだ数日しか経っていない風間君にその垣根を越えられてしまったことが、なんだかとっても嫌だったんだ。真理子は私に恋の悩みを打ち明けてくれたのに、私はなんて心が狭いんだろうか。今度真理子に会ったら、謝らなくちゃと私は思った。今日はここまで!
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「えっ、そうなの。真理子は風間君のことが好きなんだ」
みゆきは日記を開いたまま驚きとともにその記述に釘付けとなった。言われれば、前の日記の中でも真理子の顔が赤くなって心配したとか書いてあったけど、それはそういうことだったのかと、みゆきは合点がいった。
「でも分かるような気がするなあ……」
百合子はきっと風間に友達を盗られたような気がしてたまらなかったのだろう。自分は必要ないと言われてるみたいで。そう思っていながらも、真理子のすまないという気持ちを持つ百合子はいい子なのかもしれないとみゆきは思った。
「いい子というか、これは自分のことのはずなのにね」
そう思うと、なんだかおかしいと思うみゆきがいた。




