15.
彼はもういないのだ……。
夜に輝く星にでも彼はなってしまったというのだろうか。ぼんやりとみゆきは空を仰ぎ見た。
白い月と小さく輝く星がみゆきと真理子のちょうど頭上にあり、まるで二人を見守っている風間のような気がした。
真理子は真理子で風間のお通夜のことを思い出していた。満面に笑顔の遺影の写真を見るにつけ、一方で棺の中で、静かに眠る彼の姿が対照的で、かえって亡くなってしまったという事実を受け止めることが難しかった。そしてその最中に手術を受けていたみゆきもいた。
もし、みゆきも亡くなってしまったらと真理子は真理子で気が気でなかった。そうしてみゆきの手術が終わり、意識が戻らないと聞いた時、真理子は、すーっと心の芯が寒くなった。手を触れれば温かいのに、みゆきは生きているようであって、生きてはいないのだ。その事実を知った時、真理子は、自分も死んだ方がましなのではないだろうかと思ったのだ。
大事な人を二人も失ってしまったあの時。世の中が怖くて、怖くてしかたなかった。心の中がぽっかりと空いてしまって、どうしたらいいか分からなかった。それでも時は残酷に過ぎていった。二人の元気だった姿だけが、真理子のまわりにまとわりついて、なぜ自分だけが生きているのだろうか。そう思う日がない日はなかった。
そんな時、真理子は自分の部屋の掃除をしていると、風間が以前自分を描いてくれた絵を見つけた。それはあの絵だった。初めて風間と病院で会った時にお見舞いとして描いてくれた絵だった。病院で鬱屈している真理子の姿ではなく、健康になって外で遊んでいる真理子の姿だった。改めて見ると、風間の絵からは生きる喜びが満ちあふれているような気がした。それとともに真理子にも健康に生きて欲しいといった祈りが込められていることを真理子は感じ取った。
『そうだ。私は生きなくちゃいけないのだ。私はこの時、風間君からエールをもらったのだ。なら、きちんと生きなくちゃいけない』
そう思ったその日から今まで、真理子は自分なりに前を見て歩いてきたつもりだった。そうして今、意識を取り戻したみゆきと会っているのだ。前を向いて歩いてきたなりの、これはご褒美なのかもしれない。そう思うと、風間を失った気持ちも和らぎ、今度は私がエールを送る番かもしれないと真理子は思うのだった。
「それで、みゆきは記憶が戻るまでどんなことをしてきたの」
真理子は気を取り直して、みゆきに尋ねた。
「うん。実はね、私歌手のオーディションを受けたんだ」
「え? それってどういうこと」
いきなり言われた真理子は、とても不思議な顔をして、みゆきを見た。そこでみゆきは、今まであったことをかいつまんで話してやった。
「オーディションに出るなんて、ほんとすごいよ、みゆき! 私、友達として鼻が高いよ」
そう言って真理子は純粋に喜んでくれた。
「それで、結果はもう分かってるの?」
「うん、実はね、合格したの!」
「ええ?! それって歌手になるってこと」
真理子は目を大きく見開き、とても驚いた様子で、みゆきの顔を覗き込んだ。
「そう、私歌手になるの」
みゆきはにっこり微笑みながら、ぽろりと一粒の涙を流した。
「いけない」
慌てて、涙を拭くみゆきに、真理子は優しく肩を叩いた
「よくがんばったね、みゆき。ほんとによかった。友達としてとても嬉しいよ。風間君もきっと喜んでくれると思うよ」
「うん……。ありがとう」
みゆきは、しんみりとそう言うと、すっとベンチから立ち上がった。
「どうしたの、みゆき」
急に立ち上がったみゆきを真理子はびっくりして見つめた。
「今日歌った歌を真理子に聴いて欲しいんだ。聴いてくれる」
「もちろん、聴きたいよ。歌ってみゆき!」
「うん、聴いて。真理子と風間君に聴いて欲しくて作った歌なんだ。曲名は『宝物』だよ」
みゆきは一つ深呼吸をしてから、アカペラで歌い出した。
『誰もが眠る真夜中
空には星がまたたき
まだ眠っていいのだよと
夜は私に語りかける
でも私は知ってる
ここにいちゃいけないことを
見てごらん あの青空を
見てごらん あの青き山を
私は知ってる
風はそよそよと
草原はゆれ
私達の心は豊かな自然
すばらしき宝物
見てごらん あの青空を
見てごらん あの青き山を
私は知ってる
宝物はそばにあることを 』
真理子はみゆきの歌声を聴きながら、またたく星を見上げ、風間のことを想った。それから今ここにいる素晴らしき友のことを想った。美しい歌声、懐かしい歌声、二人が過ごしてきた学生時代が蘇り、自分らの友情はきっともう壊れないと真理子は思った。
みゆきは歌い終わると、真理子を包み込むような目で見た。二人の顔にはゆっくりと笑顔が広がっていった。
「私の心伝わったかな?」
「うん、伝わった。きっとみゆきは最高の歌手になれると思う」
「ほんとに?」
「私が保証する!」
「何を根拠に」
みゆきはふざけて、真理子の肩をつついた。
「私達が親友であることを根拠に」
「うん、それなら十分かも」
「でしょ」
「よし! じゃあ、真理子には特別に教えてあげよう。私ただの歌手を目指すだけじゃないんだ、歌うたいを目指すの」
「歌うたい? 歌手じゃなくて?」
「そう、歌うたい」
「何それ、何それ」
「それはこれから教えてあげるよ、だって私達」
「親友だからね!」
みゆきと真理子は二人で声を揃えてそう言った。そして空に輝く星を眺め、これから始まる新しい人生に思いを馳せた。
(完)




