14.
真理子の家に着いたのは、夜七時過ぎだった。そろそろ初夏の季節だったが、それでも空にはもう月が浮かび、薄っすらとした青空が黒く沈みこんでいく間際だった。
みゆきがチャイムを鳴らすと中から真理子のおばさんが出てきた。
「待ってたわよ、みゆきちゃん」
みゆきの母が真理子の母に伝えていたらしく、おばさんは快く迎えてくれた。
「ほんとに、ほんとによかったわ。こうしてみゆきちゃんの意識が戻って、自分の足で歩いてここまで来てくれる日が来るなんて、もうないのかと思ってたのよ。おばさん、ほんとに嬉しいのよ。みゆきちゃんが元気になって」
おばさんはそう言って、手の甲で、流れてきた涙をぬぐい笑顔になった。みゆきは、真理子もそうだが、真理子のおばさんにも本当に心配をかけていたことを知って、熱いものがこみあげてきた。
「ありがとうございます、おばさん」
深々と頭をさげて、みゆきは感謝の気持ちをどう伝えようかと思った時、家の奥の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おかあさーん、三島の家から電話だけど、どうする」
水色の水玉のブラウスに青色のロングのスカートを着た真理子がリビングの扉を開けて、玄関へとやってきた。耳もとでパーマをかけた短めの茶髪が印象的だった。
「あれ、お客さん?」
一瞬みゆきであることが分からなかった真理子はぽわんとした顔をしてこちらを見た。
「真理子……」
かすれた声で、みゆきが友の名を呼ぶと、真理子は何も言わず駆け寄ってきて、抱きついた。
ぎゅっとつぶった真理子の目からは、大量の涙がどっとあふれ出てきた。そばで見ていた真理子のおばさんは、何も言わず、そっと離れると、みゆきと真理子を二人だけにしてくれた。
「うっ、ぐっ……」
真理子が激しく嗚咽しながら、泣いている姿に、みゆきもつられて泣きそうになったが、そこはこらえて、真理子の背中を叩いてやった。
「ごめんね。心配かけてごめんね。もっと早く来たかったんだけど」
みゆきの中で、意識が戻ってからのこの数か月の自分の中の葛藤や、オーディションのことが、ぱーっと蘇り、今度はみゆき自身の胸がいっぱいになってきた。あの時絶交だと言ってた真理子がこうして自分を受け入れてくれたことが、とても不思議で嬉しかった。真理子に会うのが怖くて、怖くてしょうがなかったのが嘘のようだった。その時、心のうちに風間の声がふっと聞こえてきた。
『真の友達なら、友達の幸せを祈ってくれるよ』
本当に、本当にそうだね。風間君の言う通りだとみゆきは心底そう思った。そう思ったとたん、みゆきは自分が記憶喪失であったことを真理子に話そうと思った。包み隠さず風間君のことを話してくれたかつての真理子、臆面もなく抱きついてきた今の真理子。そんな彼女には自分の友達として全部知っておいてもらいたかった。もちろん、真理子の身体のことを考えれば心配ではあったけれども、それ以上に本当のことを言わないのは、彼女に対して失礼だし、他人行儀過ぎるのだ。それはきっと真の親友とは呼べないだろう。みゆきは決心をすると真理子に言った。
「外に出て、ちょっと話をしよう、真理子」
それを聞くと、真理子は泣きながら素直に頷いた。
外に出るともう既に日は暮れ、街灯の灯りがぽつぽつとつき始めていた。二人は家のそばの小さな公園に足を踏み入れると、端っこの方にあるベンチに腰掛け、お互いの気持ちを話し出した。
「ごめんね、みゆき。私とっても後悔してたの。みゆきに友達じゃないなんて言っちゃって。その後みゆきと風間君が事故に遭って、私とてもショックで」
真理子はさっきまで泣いて流れた涙をぬぐいながら、すまなそうにみゆきに言った。
「おばさんに聞いたよ、私と風間君の事故を知って、心臓の発作が起きたんでしょ。私のせいで真理子にも心配かけてごめんね。今は元気なの?」
「大学に入ってからは元気よ。みゆきの意識がこのまま戻らなかったらどうしようかと思ってたんだ。友達じゃないって言っちゃって、そのまま意識がもどらなかったら、私一生後悔したままだったかもしれない。だから本当に嬉しいの。みゆきがこうして元気に私を訪ねて来てくれたことが。みゆきが無事で、それから私のこと友達と思って来てくれたことが本当に嬉しいの」
真理子は、潤んだ瞳でみゆきを見た。その瞳には純粋な感情が映りこんでいるようで、とてもきれいだった。その澄み切った瞳に押されるように、みゆきは語り出した。
「私、意識が戻ってから、この数ヶ月、実は記憶喪失だったの」
「き、きおくそうしつ?! それってどいうこと」
真理子は目を大きく見開き、びっくりした顔をした。
「本当に何にも覚えていなかったの。両親のことも、真理子のことも、自分自身のことも」
「自分のことも覚えてないって……。そんなことってあるんだ。でも私何にも知らされてなかったよ」
「うちの母が真理子がショックを受けないように知らせてなかったんだって。真理子のおばさんには知らせてたみたいだけど」
そう言って、みゆきは先ほどのおばさんの涙を思い出した。
「それで今は記憶は戻ったの」
真理子は心配そうにみゆきの顔色をうかがった。彼女はどんなことを言われても平気なように一つ深呼吸をした。
「大丈夫だよ。今は全部思い出したの」
「ほんとに?」
「うん、ほんとだよ」
みゆきがゆっくりと微笑むと、真理子もほっと胸をなで下ろした。
「でもね、事故に遭う直前の記憶も思い出しちゃったんだ」
「事故の記憶…」
真理子の顔色が一瞬にして悪くなった。
「私がいけなかったんだ。道路にボールを拾いにきた女の子が、車にはねられそうになったから、私飛び出して助けようとしたの。そしたら私がつまずいてしまって、その私を助けようとして風間君が飛び出してきて、そこまで思い出したの。でもその後の記憶はないんだ。けど、母から聞いたよ。風間君が亡くなったことを」
みゆきが目を伏せながら、一言一言ずつ語っていくのを、真理子は懸命に聞いていた。
「ごめんね、真理子。真理子の好きな人を奪ってしまった、私が。お通夜にも出たんでしょ。辛かったよね」
みゆきは記憶が戻って、風間が亡くなったことを知った時の衝撃と辛さを再び思い出し、暗い気持ちになった。真理子はみゆきの手に自分の手を重ねてそっと言った。
「そんなこと言ったら、みゆきの方がもっと辛いじゃん。みゆきだって風間君のこと好きだったんでしょ」
「うん、そうだよ。私も彼のこと好きだった」
自然と何も考えずにその言葉が出たことにみゆきは、胸のつかえがとれる気がした。それとともに、好きだったという過去形に違和感を覚えずにいられなかった。




