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歌うたい  作者: はやぶさ
14/16

13.

その夜、みゆきは一人泣いていた。風間に二度と会うことができないと思うと、涙が止まらなかった。そして自分が横断歩道でつまずかなければ、彼は生きていたかもしれないと思うと、自分の方が死んでいればよかった、記憶など戻らない方がよかったのかもしれないと思った。


優しい笑顔、大丈夫だよと言ってくれた声、優しくつかんでくれた手の感触、夢を語った日々。風間の温かみのある素敵な絵。すべてが失われてしまったことに、みゆきは自分の無力さと愚かさを感じずにはいられなかった。そして、真理子のことを考えた。真理子は一人だけで風間の通夜に行ったらしい。きっととても心細かったに違いない。そして今も彼女は心細いかもしれない。風間君を失って寂しいのは、私だけじゃない。そう、真理子だって同じ気持ちなのだ。私は友として、彼女に会いに行かなくちゃいけない。みゆきはそう思うと、流れていた涙を拭いた。


「そう、こんなことしている場合じゃない」

みゆきはそう呟くと、歌詞を書き始めた。いろんな記憶と気持ちが戻ってきたみゆきに歌いたい歌が、ふと舞い降りてきたのだ。自分の気持ちをこめた歌を今度こそ真理子に届けたい。みゆきは夜が更けるのも忘れて曲作りに励んだ。


数日後、みゆきは吉田とスタジオで会い、作った歌を披露した。声量もずいぶんと戻り、みゆきの特徴である鈴の鳴るような声も健在だった。吉田はその歌声を聴き、即オーディションに出るための打ち合わせにうつった。

「記憶が戻ってないと言ってたけど、それは大丈夫なの」

打ち合わせの合間に吉田はみゆきを気遣って声をかけた。

「実はこの間の電話のあと、記憶が戻ったんです」

「え、どういうこと」

驚きの声をあげた吉田に、みゆきはかいつまんで説明した。

「そうだったの。じゃあ、この歌はひょっとして彼に向けてのものでもあるのね」

「ええ、そうなんです。あと友人に向けての歌でもあるんです」

「そういう歌は、大事に歌うのよ」

吉田は優しく微笑んでみゆきにそう言った。

打ち合わせから、数日後オーディションが行われた。たくさんのミュージシャンがひしめきあい、控え室はいっぱいだった。順々に呼ばれていく中、みゆきの心は高鳴った。子供の頃ののど自慢大会が思い出されたが、それと違った緊張感がみゆきを包みこんでいた。


『私は今、プロへの道を歩もうとしているのだ。その最初のハードルがこれなのだ』

息を整え、控え室から出ようとした時、


『君なら大丈夫』

と言う優しい風間の声がふと背中から聞こえたような気がした。振り返ってみたが、誰もいなかった。


思わずみゆきは拳を握りしめた。風間君のためにも、真理子のためにも、そして自分自身のためにも今日は心おきなく歌い切ろう。みゆきはそう誓うと、オーディションの行われているステージへと向かった。

----------


オーディションを終えたみゆきは、その足で真理子に会いに行こうと思っていた。真理子には、リハビリを終えて、自分が確実にカムバックして、夢の一歩を踏み出そうとしていることを伝えようと思った。自分がしばらくの間記憶喪失であったことは言わないでおこうとみゆきは考えていた。彼女に変な心配をかけたくなかった。それもあったが、一番の心配は彼女がみゆきに会ってくれるだろうかということだった。母の話によれば、みゆきが風間君と事故に遭った時、とてもみゆきのことを心配して心臓の発作を起こしてしまったということだった。みゆきはそのことを、オーディションが終わってから、母へ連絡した電話で聞かされた。電話の向こうで母は言った。


「本当に今日真理子ちゃんの家へ行くの? 今からだと夜になっちゃうじゃない」

「それはそうなんだけど。真理子にどうしても会いたいんだ」

「そう。なら、あんまり遅くならないようにね」

「うん、分かった。じゃあ、あとで」

そう言ってみゆきは電話を切ったのだったが、真理子のことを考えると、勇気を奮い立たせなければならなかった。


『だって真理子に最後に会った記憶は絶交された時のことしかないのだから……』


真理子に友達じゃないんだからと言われた時の記憶が、生々しく戻ってきた。記憶がない時は、そのこと自体がとても辛いと思ったけれど、今この瞬間は記憶なんて戻らない方がよかったかもしれないと思ってしまうのは、自分って本当に勝手な人間だなと、みゆきはつくづく思った。


けれども早く行かなくてはいけない。まっすぐな心の持ち主の真理子に、自分のまっすぐな思いを打ち明けたい。ぶつかるだけぶつかって、風間君のことも自分のことも本当のところを知って欲しいと思うのだった。


オーディション会場を出ると、みゆきは急いで、地下鉄に乗り込んだ。電車の中は仕事帰りのサラリーマンやOLでひしめいていた。手にはスマホを持ち、皆黙々と画面を見つめている。その無言の車中で、みゆきは今しがた歌ってきた歌を頭の中で反芻していた。


『見てごらん あの青空を

 見てごらん あの青き山を

 私は知ってる 宝物はそばにあることを』

自然のことを歌いながらも、自分なりの今の心情を歌ったものだった。果たして真理子にもこの意味が分かるだろうか。みゆきは深い吐息をつくと、車窓に映る闇を見つめた。

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