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不愛想な男の人

 わたしは翌日、マツさんと千恵子さんと一緒に昔住んでいた町に戻った。転校手続きや住んでいた家を引き払うためだ。


 それからは忙しかった。主に荷造りだが、目まぐるしい日々を過ごしていた。マツさんや千恵子さんは引っ越しに必要な手続きをしていたため、忙しさはそれ以上だっただろう。何度か千恵子さんの夫の正文さんにもあった。千恵子さんより年上の、落ち着いた男の人という印象だった。


 実家の荷物はほとんど捨てずに、マツさんの家に送ることになった。広い家なのでとりあえず送ってから、捨てるかどうか具体的に検討したらいいということだった。


 ドアが閉まり、わたしたちは一息ついた。玄関を入ってすぐにある和室には荷物が詰められた段ボールが並んでいた。大きな荷物だけは部屋に運んでもらい、小物類は自分たちで部屋に運ぶことになったのだ。マツさんは全て運んでもらってはどうかと言っていたが、極力節約したかったのだ。


 わたしは手近な段ボールに手を伸ばし、中身を確認すると、袖のよれた服が入っていた。これはお母さんの服だ。小脇に分けておく。そして、次の段ボールに手を伸ばしたとき、段ボールに影がかかった。


 顔をあげると千恵子さんが立っていた。


「わたしも手伝うわ。おばさんは部屋で休んでいてもらっているわ」

「ありがとうございます。本当、何から何まで」

「いいのよ。千明の娘なら、わたしの娘も同じよ」


 彼女はにっとわらうと、段ボールに手を伸ばした。

 彼女は口元を緩めた。


「おばさん、嬉しそうだったわ。きっとあなたと暮らせて嬉しいのよ」


 わたしは恥ずかしさから口元を緩めた。

 母親以外に自分のことを大切に思ってくれているという人に慣れていなかったのかもしれない。

 大体の分別が終わり、まずはわたしの荷物だけを部屋に運ぶことにした。


「部屋は二階の空き部屋よね」


 わたしは頷いた。部屋はこの家の二階に決まっていた。二階には五部屋あり、一つはお母さんが使っていた部屋、一つは物置、最後の一つは空き部屋になっていた。お母さんの部屋はすでに見たが、何の変哲のない普通の部屋だった。ちり一つなく、今でもほぼ毎日掃除をしていたのが感じられた。


 わたしと千恵子さんは手分けして荷物を運ぶことにした。

 千恵子さんは階段を上って二つ目の部屋で足を止めた。その部屋の扉が開きっ放しになっていて、机や本棚などがすでに引っ越し業者の手によって運ばれていた。


「高校の編入試験も受けないといけないわね。あなたの成績ならまず大丈夫だと思うけど」


 わたしは引越しのときに千恵子さんに高校をどうするのかと尋ねられ、近くにある高校を説明してくれた。近くにある公立高校はその一帯の生徒が通っているらしく、わたしのお母さんの母校に当たるらしい。


 そこにはわたしの兄弟が通っている事を含めて。


 マツは少し離れた場所にある私立に通っても良いと言っていたが、電車が必要で駅までの距離がある。だから、わたしは母親の通っていた高校に通おうと決めたのだ。


 不安はあるが、わたしは新しい生活に胸を膨らませていた。

 千恵子さんは荷物の後片付けが終わると、家に帰っていった。


 夕方六時を回った頃、家の周辺が騒がしいのに気付いた。わたしが家の外を覗いていると、マツさんがやってきた。


「どうかした?」

「家の外が騒がしいみたいだけど、何かあるのかなって」

「祭りだよ。花火もあがると思う」

「花火か。行ってみていいかな?」

「一人で行ける?」


 マツさんの問いかけに頷いた。

 わたしは白いミュールを履くと家を出た。家を出ると、家の傍にある畦道に数人の人が歩いていた。見たところ中学生か高校生のようで、和気藹々と会話をしていた。彼女たちもお祭りに行くのだろうか。


 わたしは彼女たちと距離を取り、後をついていくことにした。彼女たちについていけばお祭り会場に迷わずにたどり着けるのではないかと思ったためだ。


 そんなわたしの視界を、オレンジ色の柔らかそうな光が横切っていった。わたしはその正体を見て、思わず声を上げた。それは蛍だったのだ。蛍などテレビや本の中の出来事で、こうして目で見るのは初めてだった。


 刺さるような視線を肌で感じ、辺りを見渡した。先ほどの少女たちはわたしを不審そうな目で見ていた。わたしは思わず口元を抑える。この人たちには蛍が珍しいものではないのだろうか。それともわたし自身が不審に見えたのだろうか。わたしにはまだこの辺りには顔見知りがいない。


 わたしを見ていた人たちの視線がわたしから逸れ、彼女たちは歩きだした。わたしは彼女たちの遠ざかっていくのを見ながら胸を撫で下ろしていた。


 わたしは辺りに人がいないのを確認すると蛍の動きを目で追っていた。不規則な踊りをしながら蛍は暗闇の中を舞っていた。


 辺りからざわつきが消失しているのに気づき、我に返り、周囲を見渡す。先ほどまで周囲にいた人たちの姿が完全に消えていた。体感時間よりも長い時間、蛍に気を取られていたようだった。


 当初の目的を思い出し、道を急いだ。だが、一本道と見られた道が途中から一本道に分かれていた。わたしは周囲を見渡していたが、祭りらしきものはどの方角にも見えなかった。


 溜め息を吐く。もう家に帰ろうと思ったときだった。


「そこに立つと邪魔」


 落ち着いているどころか冷たい印象を与える声が周囲に響いた。わたしはその声に驚き、振り返る。そこにはわたしより頭一つ分ほど背の高い男性が立っていた。暗がりで顔ははっきりとみることが出来ない。


「ごめんなさい」


 わたしは道路の脇に身を寄せた。すると、月明かりに照らし出され、男性の顔が薄っすらと伺い知ることができた。その端正な顔立ちに一瞬、心臓が掴まれたように、鼓動が跳ねた。年齢はわたしと同じくらいではないだろうか。


 その男はわたしを一瞥すると、感情のこもっていない声で問いかける。


「迷っていたとか?」


 わたしに相手の顔が見えていたということは相手もわたしの顔が見えていたのかもしれない。だが、冷淡な口調は全く変わらなかった。見知らぬ男のことを怖いとは感じていたものの、暗がりに一人でいるのも怖かった。わたしは素直に答えることにした。


「この辺りでお祭りをやっていると聞いたけど、道が分からなくて」


「お前って藤田のばあさんの孫だろう?」


 その男性はわたしの言葉を遮ると、鋭い目つきでわたしの顔をじっと覗き込む。わたしは彼の動作に思わず息を呑んだ。


「そうだけど何?」


 わたしは彼の視線に恐怖めいたものを感じていた。


「別に。連れて行ってやるよ」


 その人はわたしに背を向けるとスタスタと歩き出した。失礼な人だと思いつつ、わたしは彼の後を追った。だが、わたしが早歩きで歩いても彼とわたしの距離は縮まるどころか離れていった。



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