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初めて訪れた故郷

 千恵子さんに電話をした翌日、彼女の勧めもあり、貴重品と着替えを持って母親の住んでいたという町に向かうことになった。わたしはそこまで一人で行けると言ったが、彼女は心配だからと言い、わたしの家の最寄駅まで迎えに来てくれたのだ。


 その町はわたしの住んでいる場所から電車で四時間ほど掛かる場所にあった。近いとはいえないが、決して遠いわけではない。だが、わたしの率直な感想は思ったより近く人住んでいたということだった。


「ここからは少し不便なのでタクシーで行きましょう」


 改札口を出た千恵子さんはわたしにそう告げた。

 母親の実家は静かな場所にあるとは聞いていたが、駅の傍は商店街が立ち並び、人気も多く賑やかだった。


 わたしと千恵子さんは駅の前にあるタクシー乗り場でタクシーを待つことにした。タクシー乗り場はで払っているようで誰もいない。


「タクシーでどれくらいですか?」


 わたしの言葉に千恵子さんは微笑んだ。


「一時間ほどかな」

「意外と遠いんですね」

「交通機関がほとんどないのよ。バスは一時間に一本あるけど、そこからしばらく歩かないといけないからね。車酔いとかは大丈夫?」


 千恵子さんの言葉に頷いた。そのとき、タクシーがわたしと千恵子さんの前に止まり、ドアが開く。わたしと千恵子さんはタクシーに乗り込んだ。

 千恵子さんが運転手に行き先を告げると、タクシーは走り出した。


 タクシーで十分ほど走ると、建物の数が激減する。その代わり田畑が目立つようになり、視野が開けていく。タクシーはそんな中を走りぬけていった。


 ある大きな民家の前でタクシーが停まった。扉が開き、メーターに視線を映した。メーターは今まで目にしたことがないくらい高額になっていた。わたしがお金を出そうとすると、千恵子さんが肩を叩いた。


「ここはわたしが払うわ。外で待っていて」

「でも、わたしのせいで」

「いいのよ。それにこんなところで押し問答をしても仕方ないでしょう」


 千恵子さんは困りあぐねた顔をしている運転手をちらりと見た。

 確かにそうだ。お金のことは後から話をしよう。


 タクシーから降りると、再びその家を視界に収めた。その家はわたしの住んでいたアパートの五倍ほどの広さはあるだろうか。千恵子さんはわたしの肩を軽く叩いた。


「どうかしたの?」

「大きな家だなと思って」


 千恵子さんはわたしの言葉に微笑んだ。


「向こうに比べてこっちは土地が安いからね。おばさんというか、あなたのおじいさんの家は先祖の代からここに住んでいるのよ。じゃ、行きましょうか」


 千恵子さんに連れられて、古びた木造建築物の前に立った。玄関には藤田と書かれた標識が掛けられていた。ここにわたしの祖母が住んでいるのだろうか。会ったらどうしたらいいのだろう。


 千恵子さんは不安を紛らわすために唇を噛んだわたしの肩を軽く叩いた。


「大丈夫よ」


 わたしはその言葉に頷いてはいたが、不安は拭えなかった。


 千恵子さんは玄関のインターフォンを押した。すると、三十秒ほど時間が空いて、白髪交じりで頭をした細身の女性が玄関の扉を開けた。彼女の瞳がわたしに向けられ、見開かれた。彼女の唇が僅かに震えているようだった。


「おばさん、この子がほのかちゃんよ。千明に良く似ているでしょう?」


 この人がわたしの祖母なのだろう。彼女の灰色っぽい目には涙が浮かんでいた。


「彼女は藤田マツさん。あなたのおばあさんよ」


 わたしはその言葉をやけに新鮮に感じていた。

 マツと紹介された女性は口をぱくぱくしているが、うまく言葉が出てこないようだ。


 お互いに見つめ合い、言葉を発せないわたしたちを見て、千恵子さんは「まずは中で話をしましょう」と告げた。



 わたしと千恵子さんはマツさんに居間に通された。

 マツさんはイスに座るように促すと、そのまま台所に行く。そして、そこに茶葉とお湯を注いでいた。


「わたしも何か手伝いましょうか?」

「いいよ。すわっておいて」


 マツはテーブルの上に三人分のお茶を置くと、わたしの向かい側の席に座る。マツさんはわたしをじっと見たまま一言も言葉を発さなかった。


「初めまして。ほのかと言います」


 わたしはその沈黙に耐えられなくなり、口を開いた。わたしの声を聞いて、マツさんの瞳が大きく見開かれた。


「やっぱり千明の子だね。声まで似ているよ」


 彼女は顔をしわくちゃにして笑っていた。わたしはその笑顔を見ていると、心が自然と温かくなり、目に涙が溢れそうになる。


 わたしがほんの少し泣いているのに気付いたのか、彼女は戸惑いを露わにした。


「ほのかちゃん大丈夫かい?」


 わたしは名前を呼ばれ、マツさんをみた。


「平気です。おばあさんがいるという実感がなくて、すごく嬉しかったです」


 その言葉にマツさんは驚いたようだが、その表情が柔らかくなる。


「ほのかちゃんさえ良かったらここで暮らさないかい?」


 マツさんの口から聞こえてきた言葉に、わたしは自分の胸が高鳴るのが分かった。


「でもここで暮らしたら迷惑を掛けてしまうかもしれない」


 わたしの脳裏に千恵子さんの話が過ぎっていた。


「迷惑なんてことはないよ。もう良いだろう。こっちは随分苦しんできた。千明も亡くなった。一体誰に気を遣う必要がある? もういいよ」


 マツさんの体は小刻みに震えていた。それはどういう意味を持っているのかわたしには分からなかった。


 夫を失った悲しみなのか、娘を失った悲しみなのか。わたしには正解がわからない。寂しいと思う、と千恵子さんの寂しげな笑顔を思い出した。もうマツさんも若くはない。今日ここでこの町を離れたら次にきちんと会える保障もない。


 人の明日は保障されたものではないということもわたしは母親のことで痛いほど知った。きっと母親ならわたしの気持ちを分かってくれるだろう。


 大切なのは今わたしがどうしたいかということなのだろう。


 わたしはマツさんの言葉に頷いた。


「わたしもここで暮らしたい」


 マツさんはわたしの返事を聞くと、嬉しそうに笑い、今日はお祝いだねと言った。



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