いつもわたしを導いてくれた人
わたしはいつの間にか、以前真一に教えてもらった小屋の前に来ていた。
わたしは涙を拭いながら、笑い出していた。
あのセンター試験の日のことを思い出していたのだ。
鍵はあっただろうか。コートのポケットをあさろうとしたとき、あきれたような声が耳に届いた。
「本当に、バカだよ」
真一が小屋にもたれ掛かったままわたしを見ていた。
「どうして」
「二人の姿が見えた」
彼は唇を噛んだ。わたしが返答する前に彼は言葉を続けた。
「開いてやるから、中に入れよ。人目が気になるだろう?」
彼はそう言い残し、鍵をあけた。彼に続いてわたしも中に入った。
そこは以前真一と過ごしたときのままだった。
扉を閉めると真一がわたしを悲しい目で見ているのに気付いた。
「おかしいよ。お互い好き同士なのに、何で由紀に気を遣う必要がある? 一番大切なのはあいつの気持ちがどこを向いているかということだよ。こんなことをしたら十九年前と同じじゃないか。間違っている」
十九年前にわたしのお母さんはお父さんのもとを去り、お父さんは真一のお母さんと結婚をした。
「でも、あんな由紀さんを見てしまったら、わたしは三島くんと一緒にいることができない。あの人にとって由紀さんは妹みたいなものなんだと思う。わたしは大丈夫だよ」
「泣いていたのに?」
彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。彼は唇を噛むと大粒の涙をこぼしだした。
彼がはっきりとなくのを初めて見た。
彼は唇をきゅっと噛んだ。
「ごめん。でも、どうしても許せなくて。母親と同じことをしようとしている由紀も。それを止めようとしない母親も。現状を変えることができない僕自身も。だから、周りのことなんか気にせずに、自分の気持ちを貫き通してほしかった。それが僕のエゴにすぎないことも分かっている」
「ごめんね。でも、ありがとう」
「礼を言われることなんてなにもしてない。むしろ責められてもおかしくないのに」
わたしの中で何かがすっと落ちた。いつも彼はそうだったのだ。
「そんなことないよ。今までわたしを何度も助けてくれたでしょう。学校への道を迷っていたときも案内してくれた」
わたしはずっと忘れていた。三島さんの存在が、彼との間に起こったことが大きすぎて、失ったものばかりを追い求め続けていた。だが、当たり前のようにわたしを支えてくれていたのは彼だけではなかったのだ。彼は、わたしが迷ったときにすっと現れ、導いてくれた。今もそうだ。自分の存在にまよっていたわたしの心を、当たり前のように救ってくれた。
ここに来なければよかったなんて本心じゃない。わたしがここに来たことで多くの人が傷ついただろう。それでも、わたしは嬉しかったのだ。おばあちゃんにとってわたしはいらない子ではなかったということや、お父さんがお母さんを愛してくれていたと知ったことが。三島さんに会えて、生まれてはじめて人を愛したことが。そして、性別が違っても、親友のように寄り添ってくれる真一に出会えたことが。多くのことを学んで、多くの気持ちを知った。
「真一がそう言ってくれたから、そうやって泣いてくれたから、わたしまだ頑張れると思う。だから、ありがとう。わたし、本当はここにこなければよかったと思っていた。でもね、やっぱりここに来てよかったと思う。辛いけど、それ以上に幸せなことを知ったの。そう思わせてくれたのはもちろん三島くんだということもある。でもね、真一がそう思わせてくれたんだよ」
わたしは彼の手を取った。
彼の目からより多くの涙が溢れ出した。
「ごめん。本当にほのかには敵わない気がするよ。調子が狂ってばかりだ」
彼は前髪をかきあげると、下唇を噛んだ。
彼は目に涙を浮かべたまま、苦笑いを浮かべた。
「そんなことないと思うけど」
「あるよ。今もそうだ。本当、ほのかといると僕はめちゃくちゃ格好悪くなる」
彼はそういうと笑い出してしまった。
わたしには彼が笑った本当の意味が分からなかった。
彼は目にたまった涙を拭った。
「僕もほのかに会えてよかったと思っているよ」
彼はそう微笑んだ。
「ありがとう」
改めてそう言われると照れてきてしまった。
「今でもお姉さんというのは信じられないけどね」
「真一はしっかりしているからだろうね」
「それだけじゃないけど、ほのかのお母さんが父さんと、僕の母さんが別の人と結婚をして、僕が生まれていたらどうなっていたんだろうと思うことがたまにある」
「どうなんだろうね。それでもきっと仲良くなれたと思う。今みたいに」
空想の世界なので、実際はどうか分からないが、彼が彼である限り、わたしはそう思う気がしたのだ。
「今か。そうだよな」
彼は自分の頬をつねって、もう一度微笑んだ。
「引越しの日、何時に発つ? 見送りに行くよ」
わたしはその言葉に首を横に振った。
「見送りはいいよ。周囲の目もあるし、おばあちゃんも困ってしまうと思うから。わたしはこの地を去れば、もう後ろ指さされることもないけれど、おばあちゃんは残りの人生をこの土地で歩んでいかなければならない。だから、話し相手になってほしいの。おばあちゃんは真一のことが大好きみたいだから」
「分かった。それに、ほのかが考えているほど、周りは非情じゃないと思うよ」
真一の言葉にわたしは顔を上げた。
「確かに陰口を叩く人もいるとは思うけど、分かってくれる人も必ずいる。口には出せなくても、君やおばあさんのことを見守ってくれていた人はいたんだよ」
「そうなの?」
真一は頷いた。
「よかった」
「見送りは断念するけど、連絡先が決まったら教えてよ。僕の携帯に電話でもメールでもいいからさ。いつでも困ったときは力になる。もちろん、君のおばあちゃんの力にもね」
わたしは真一の言葉に頷いた。真一はわたしの顔を見て、安心したのか胸を撫で下ろしているように見えた。




