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もう届かない人

 わたしは大学の合格通知を受け取った。喜ぶのもつかの間、学校の入学手続きを済ませた。それから新しい家も決め、引越しの準備に取り掛かることになった。忙しい日々に追われながらも、幾度となく三島さんのことが頭を過ぎるが、そのたびの首を振っていた。もう気にしても仕方ないことは分かっていたのだ。


 本棚の本を段ボールにつめたとき、携帯が音楽を奏でる。そして、液晶に表示された名前を見て、思わず両手でつかむ。そこに表示されていたのは三島さんの名前だったのだ。

 何度か深呼吸をしたあと、はやる気持ちをおさえるように、ゆっくりと通話ボタンを押した。

 電話口から驚きの声が漏れた。

 その小さなかすれ声を聞くだけで、胸の奥が締め付けられたように苦しくなっていった。

 わたしは涙を堪えるために、唇を噛んだ。


「久しぶり」

「そうだね」


 三島さんの言葉に、やっとの思いで返答する。

 彼の次の言葉が聞こえるまでの数秒が何倍にも長い時間に感じていた。


「合格おめでとう。真一から聞いた」

「ありがとう」

「もう準備はすんだ?」


 わたしは返事をした。


 少しの沈黙の後、暗い声が耳に届いた。


「なかなか電話ができなくてごめん」


 彼はすぐに黙り込んでしまった。

 わたしは彼に何も言えず、ただ彼の次の言葉を待っていたのだ。

 長い沈黙の後、再び低い声がわたしの耳に届いた。


「話があるんだ。できれば直接会って話がしたい」

「分かった。どこで話をする?」


 わたしは気持ちの乱れを気付かれないように、淡々と言葉を綴った。


「花火を見に行った森は?」

「分かった」


 わたしは服を着替えると、おばあちゃんに声をかけ家を出た。

 家を出る前におばあちゃんが何かを言いかけていたが、何も言わなかった。

 表情から何かを悟ったのかもしれない。


 家の外に出ると、短く息を吐いた。

 辺りはあたたかく、春の気温に満ちはじめていた。

 わたしはまっすぐ森に向かう。辺りももう命の源が木々を彩り始めていた。わたしが木々に手を伸ばそうとすると、木陰で佇んでいた鳥が羽を羽ばたかせて飛んでいった。


 わたしは自嘲的に笑った。まるで春自体がわたしの目の前から去っていくような気がしていたからだ。

 そんな気持ちに分け入るように、背後から土を踏む音が聞こえてきた。振り返ると、三島さんが立っていた。


 胸が高鳴ると同時に、締め付けられた。

 顔がどことなくやつれ、体の線が二回りほど細くなったように見えたからだ。


「久しぶり」


 三島さんは微笑んでいたが、以前のように顔を崩しては笑わなかった。彼の周辺でも大きな変化があったのだろう。


「久しぶりだね」


 わたしは唇を軽く噛んだ。

 三島さんはわたしの顔を見たまま話を切り出そうとさえしなかった。

 三島さんの口元は僅かに震えていた。

 きっと彼からはこの話を切り出しにくいのだろう。わたしは決意を固めた。


「由紀さんのこと聞いたよ。ついて行くのでしょう?」


 その言葉に三島さんは頷いた。


「由紀を一人にはしておけない。妹みたいなものだったから。彼女が落ち着くまで傍に居たいと思っている」


 わたしは頷いた。


「それが一番いいと思う。わたし、北海道の大学に受かったの」

「北海道? 県外の大学とは聞いたけど」


 三島は目を見開くとわたしを見つめていた。

 わたしは敢えて三島さんを見ずに言葉を続けた。


「向こうは広いからのんびりできそうだと思わない? 一度行ってみたかったの」

「寒いけど、平気か?」


 その言葉に思わず三島さんを見てしまった。三島さんの目が水で浸したように潤んでいた。 

 その瞳はわたしの決意を揺るがせた。だが、もうわたしの手に入らないものだと何度も言い聞かせ、首を横に振った。


「平気」


 わたしは下唇をそっと噛んだ。


「俺はやっぱり」

「だからもうあなたと会うことはない。わたしは誰かを傷つけてまで幸せになりたいと思わない」


 わたしの言葉に三島さんはそれ以上何も言わなかった。

 彼は唇を噛んだ。


「分かった」

「じゃあね。最後くらいお互いに笑おう」


 わたしの言葉に促されるように三島は表情を緩めたが、彼の瞳だけは笑っていなかった。今にも泣き出しそうな彼の瞳を見ると、心の奥が痛んだ。


「バイバイ」


 わたしにとってここ二ヶ月で一番の笑顔を浮かべたつもりだ。だけれど、笑った後、三島さんの顔を見ることができなかった。


 わたしは三島に背を向けた。歩くたびにわたしの足跡が刻み込まれていった。


 本当によかったのだろか。今、振り返って一緒に居たいと望めばわたしを選んでくれるのだろうか。もしくは、由紀とのことが片付くまで待っていると言えば、三島さんはわたしを受け入れてくれるだろうか。


 そんな思いが過ぎり、由紀の泣き崩れた姿が思い出された。それは許されない。

 わたしが何も知らずに生まれてきたように、由紀も真一も知らなかったのだ。

 わたしがここに来なければ、生まれてこなければこんな思いをしなくてよかった。


 わたしの瞳から熱いものがこみ上げ、わたしの頬を濡らしていく。


 泣いたらいけないと、心の中では何度も呼びかけているのに、涙はわたしの意に反して零れ落ちた。

 わたしが今体験したことは失恋に過ぎない。時間が経てばその痛みも癒え、また新しい人を好きになることもできるはずだ。

 心が痛むのも時間の問題に過ぎない。


 何度もそう言い聞かせた。まるで心が楽になるおまじないをしているみたいに。

 だが、わたしの心を否定するかのように心の奥に重いものがのしかかるのを感じていた。



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