違和感のある家族
わたしは家に帰ると、ベッドに倒れ込んだ。そのとき、冷たいものがこめかみを横切るのが分かった。わたしは目元を拭い、苦笑いを浮かべた。
由紀は口には出さなかったがいつからかわたしという存在をずっと恨んでいたのだ。ああなるまでわたしは気がつかなかった。
自分の未来ばかりを考えてきたばちが当たったのかもしれない。
せめて三島さんと距離を取っていたら。
後悔はとりどめもなくわいてくるが、今のわたしにはどうすることも出来なかった。
真一がわたしの元を尋ねてきたのはその日の七時過ぎだった。おばあちゃんに話を聞かれたくなかったこともあり、真一を部屋に通すことにした。
彼はわたしの差し出したコーヒーを受け取ると、短くため息を吐いた。
「まさか由紀があんなことを言い出すとは思わなかった」
わたしは首を横に振った。
「当然だよ。一歳しか歳の離れていない父親の子供が突然出てきて、自分の家族をめちゃくちゃにしてしまった。その上三島くんと一緒にいすぎたんだよね」
「由紀は甘やかされて来たから、自分の思い通りにならないと癇癪を起こす。昔からそうだった」
真一は深い溜め息を吐いた。
「由紀のことは気にすることないよ。将の件はもともと由紀の一方的な片思いだった。だけど由紀は学校内でああやってちやほやされていて、そのたびに将を好きだと言っていたんだ。二人は付き合っていると噂もされていて、将も由紀を庇う意味で敢えて否定しなかったのだと思う。ほのかに誤解されなければそれでよかったんだろうね」
「でも、彼には前に好きな人がいたときいたけど。そんな噂を放っておいたらその人とうまくいかなくなるんじゃないの?」
「その人はこっちに住んでいなかったから。まだそれが誰かわからない?」
いらずらっぽく笑う彼を見て、わたしの頬が赤くなるのが分かった。
「ずっとほのかのことが好きだったんだと思う。写真でしか知らなくてもね。だから気にしなくていいよ。将と同じ大学を受けると聞いた。ほのかと将の好きなようにしたらいい」
わたしは頷いた。
わたしは農学部で彼は獣医学部だ。学部は違えど、顔を合わせる機会はそれなりにあるだろう。
だが、胸も痛んだ
わたしは三島さんのアルバムに挟まっていた三島と由紀のツーショットの写真を思い出していた。
七歳の由紀と八歳の三島さん。きっとあの頃から由紀は三島さんのことが好きだったのだろう。わたしが三島さんを知るずっと前から。
「僕の家、ずっとおかしかったと言ったよね。由紀は気がついていなかったみたいだけど、ほのかが現れるずっと前の子供の頃から違和感あった。将や、他の友達の家に遊びに行った後、自分の家に戻ると特にね。でも今はその違和感が何だったか分かるよ。両親は仲が悪いわけではなかったのだけど、父親は母親を見ることが全くなかったんだ。母親がどんなに父親に視線を向けていても」
彼はそっと唇を噛んだ。
「だからその理由がずっと気になっていた。でも子供心にもそのことは触れてはいけないタブーだと分かったから誰にも言ったことなかったけどね。だからほのかのことを知って、すっきりした。そうだったのかって感じだった」
「ごめんね」
「だから、ほのかのせいじゃない。むしろ謝るのはこっちのほうだよ。母親と結婚した理由は父親から聞いたよ。本当なら君たち親子は幸せになれるはずだった。それなのに母親が周りを丸め込んで、強引に父親に奪い取った。そんなの上手く行くわけない。どんな形であれ、早かれ遅かれこうなっていた。だから気にしないでいい。父親はもともと俺と由紀が大学を卒業したら、離婚しようと思っていたらしい」
だが、彼のように割り切ることはできなかった。
「変な話、義理の姉がほのかで良かったと思った」
「どうして?」
「だって嫌な奴なら反感持ってしまうけど、ほのかは嫌な奴じゃないから」
わたしは茶目っ気のある彼の言葉に思わず笑い出していた。だが、同時に涙が零れ落ちた。わたしは泣いているのに気付き、慌てて涙を拭った。
「ごめんね。泣くつもりなかったのに」
「気にするなって。泣きたいときは、泣けるなら泣いたほうがいい。そうしないと心が持たなくなる」
彼の目にうっすらと涙が浮かんだ。
わたしは彼の目に誰が映っているのか、気になったが聞けなかった。
わたしの目から涙がとりとめもなく流れ落ち、そこまで余裕がなかったといったほうが正解なのかもしれない。
彼はわたしが泣き止むまでずっとそばにいてくれた。
真一が帰り、誰もいなくなった部屋で、わたしはカレンダーに視線を移した。試験までもうカウントダウンが始まっていた。だが、わたしは問題集に手を伸ばすことができなかった。
「わたし、将ちゃんのお嫁さんになりたい」
幼く、可愛らしい少女が芽を輝かせながら、同じくらいの背丈の少年に話しかけた。由紀だとわたしはとっさにそう思っていた。隣にいるのは三島さんのようだった。
「嫌だよ」
三島さんは面倒そうに返事をしていた。由紀は三島さんの言葉に目を潤ませる。
「どうして?」
「誰とも結婚する気ないから」
泣きそうだった由紀の表情が一瞬のうちに明るくなった。
「それなら妹にしてよ。将ちゃんの妹」
わたしはそこで目を覚ました。もう太陽が昇っていた。いつの間にか寝てしまっていたようだ。だが、あれがただの夢とは思えなかった。三島さんは由紀の言葉に頷いたのだろうか。わたしが彼に会うずっと前にこういった会話があの二人の間で交わされていたのかもしれない。
妹という言葉がやけに現実味を怯えていた。彼女は三島さんの傍にいることを願っていたのだ。
それが一方的な想いであればわがままととらえてもおかしくはない。だが、由紀の気持ちは痛いほどわかった。わたしも三島さんの傍にいたいと思っていたから。
わたしは机の上に置いていた茶封筒に入った大学の願書を手に取った。わたしがいなければ、由紀をこれ以上傷つけなくて済む。
わたしは唇を噛み締めた。力を込めて願書を破ろうとしたが、どうしても破る手に力を込めることができなかった。それは心のどこかで三島さんと一緒にいたいと思っているからだと自覚し、目から熱いものがこみ上げてきた。




